「逃亡犯条例」改正案に抗議するため、2019年6月21日に湾仔(ワンチャイ)地区にある香港警察本部を包囲しデモを扇動したとして、無許可集会の扇動罪などに問われた民主活動家、黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、周庭(アグネス・チョウ)、林朗彦(アイバン・ラム)の3人への量刑言い渡しが西九龍裁判法院で12月2日開かれた。王詩麗裁判官は黄氏に禁錮13カ月半、周氏に同10カ月、林氏に同7カ月の量刑をそれぞれ言い渡した。
抗議活動に身を投じる周庭氏らはタレントなのか
日本人にとって周庭氏はすっかり知られた存在だが、筆者は2019年1月11日付の周庭氏へのインタビューを最後に彼女にフォーカスした記事を一切書いていない。
それには理由がある。その2カ月後の2019年3月には「逃亡犯条例」改正案が香港政府から動き出し、6月には100万人、200万人規模のデモが発生し抗議活動が続いた。そのとき、周庭氏らはデモの中心になることを自ら望まなかったほか、筆者は2003年の基本法23条に伴う国家安全条例制定問題、2014年の雨傘運動など、長年の香港社会の動きをずっと見てきたなかで、筆者を含めた大の大人が20代前半の彼らに香港の命運を託すのは何かおかしい、または依存するのはおかしいと感じたからだ。そういう意味で「取り上げられない、取り上げない」という周庭氏と筆者の方向性は一致したともいえる。
その上で、周庭氏は日本語が流暢だったこともあり、日本のマスコミが飛びついた。まるで、突如売れ出したタレントのような取り上げ方だった。もちろん、筆者が周庭氏たちと現場で会えば会話はするが、彼らをまるで消費物のように扱うマスコミには違和感があった。
誤解をしてほしくはないが、周庭氏らの活動には敬意を表している。民主国家である日本で生まれ育ったならば、ほとんどの人がそうだろう。しかも、彼らの活動は世界中の同年代を見渡しても、体制と戦っていることが誰の目にも明らかだ。そんな彼らが今回、禁錮刑を受けたということで、執筆をしたいと思う。
筆者が周庭氏に初めてインタビューしたのはかなり前だ。その頃も日本語は上手ではあったがすべてを日本語で答えるわけではなかった。しかし、国際社会に訴えることが重要だとわかっていた彼女は“日本担当”を買って出て、日系メディアに積極的に発信を続け、取り上げられ、有名人になり、「地位は人を作る」ではないが、今の彼女を形成していった。
その意識と自覚の高さから、日本語だけでも十分インタビューできるまでに上達した。身なりもそうだ。最初は普通の学生で化粧っ気があまりない典型的な香港の女性だったが、あるとき、写真撮影の前に「ちょっと待ってください。口紅を塗るから」と言った。常に人に見られているという認識をちゃんと持っていたからだろう。
人より注目されているという罪
今回の裁判において、黄之鋒氏はすでに実刑判決を受けた経験があること、主導していたこともあり3人の中で一番重くなるのは想像できた。しかし、周庭氏は初犯で、煽動したといっても、演説をする黄氏の声を流すスピーカーを持つなどアシスタント的な役割だった。このレベルの逮捕であれば、普通は社会奉仕活動を課されるのが一般的だ。
周庭氏はすでに7月6日に行われた公判で罪を認めていた。香港の自由のために活動してきただけに罪を認めなくても不思議ではないが、実際には罪を認めた。勘のいい人であればすぐピンとくるが、明らかにこれは法廷戦術の一環で、素直に認めれば罪が軽くなる可能性があるのと、裁判官の心証を良くすることで量刑が緩くなるかもしれないからだ。人より注目されている存在ゆえに、量刑は普通よりも重くなるかもしれないから、早々に罪を認めることで「社会奉仕活動」というノーマルな量刑の言い渡しを狙っていたと考えられる。
しかし、王裁判官は「周庭と黄之鋒は高いレベルで関与した」としており、黄之鋒氏と周庭氏の量刑に大差はなかった。
量刑が伝えられる前、メディア関係者のなかでは「禁錮刑になったらスケープゴートにされたことになる」という話になっていた。彼女の公式Facebookを見ると、「當日在庭上裁判官斷言說「唔會」索取社會服務令的時候,真的感到很委屈[=裁判官は法廷で社会奉仕令について検討はしないと言われたことを思い出し、(不当な扱いを受けて、または不公平な感じで)悔しい])」と書き記している。日本での活動が社会奉仕活動ではなく禁錮刑を生んだのだとしたら、これほど切ないものはない。
周庭氏は心が折れても不思議ではない
量刑の言い渡しは12月2日14時半からだった。筆者は傍聴席には入ることができなかったので、裁判所の外で取材活動をしていた。裁判所の正門の前では親中派2人と民主派1人が互いの主張を訴えていたが、香港は新型コロナウイルスの第4波が到来し、公共での集まりは12月2日から最大2人までと制限されたため、裁判所に集まった人はそれほど多くはなかった。
量刑が伝えられると、親中派の2人はビール瓶などのようなものを開け、禁錮刑を喜んだ。一方、3人を支持する民主派の人は、彼らが出てくるバスを待ち、バスが出てくると支持をするプラカードを捧げたりしていた。
裁判を傍聴した人に話を聞くと、コロナ対策で隣同士の座席の距離もソーシャルディスタンスをとったことから法廷内に入れる人数も制限されたという。ただ、法廷の外の廊下でも傍聴することが可能で、そこにある画面を通して裁判を見守った人もいた。
黄之鋒氏と林朗彦氏は量刑が下された後は比較的冷静に受け止めていたようだが、周庭氏は泣き崩れたという。彼女と話すと、強い意志を持っていると同時に、どこかガラスのように崩れてしまいそうな心の繊細さを感じさせる。7月6日の公判で「収監の心の準備もしている」と発言するなど強い女性を演じていたが、禁錮刑というつらい現実を前に、ついに心が折れても不思議ではない。
無論、そんな彼女を誰も責められるわけがない。イギリスの女性リポーターもため息をつきながら、バスを見送っていた。
これで終わり…?
香港警察は、周庭らのほか、警察にとっての本丸で、民主派寄りの新聞を発行する「蘋果日報(アップルデイリー)」の創業者、黎智英(ジミー・ライ)氏を8月10日に香港国家安全維持法の容疑でも逮捕している。この罪で起訴、有罪、収監となればまさに香港は“民主都市”としてのステータスをほぼ失う。
民衆を率いた活動家3人への禁錮刑という現実、香港国家安全維持法、コロナ対策による公衆での集まりの制限によって、現在、デモは非常に起こしにくい環境にある。しかし、香港人はこれであきらめるような人たちでもない。表で堂々とできないのなら地下活動、昔でいうなら「隠れキリシタン」ではないが、長時間にわたって脈々と民主化運動を続けていく可能性は決して低くない気がしている。