佐藤優の名著解説

第5回:『菊と刀 日本文化の型』ルース・ベネディクト

2014.7.10

ビジネス

0コメント

ルース・ベネディクト(長谷川松治訳)『菊と刀 日本文化の型』講談社学術文庫、2005年

そもそも、「日本人」「アメリカ人」を一つの括りにして論じること自体に無理はないか? 異質の文化が入ってこない時代であればいざ知らず、多様な価値観が存在する現代において文化の型があるのだろうか? 自らの意見を持って読んでみると興味深い。

日本人は恥の文化が定説?

世間では古典的な名著とされ、無視できない影響力を持っているが、内容的には乱暴なものがいくつかある。米国の文化人類学者ルース・ベネディクト(1887~1948年)の『菊と刀 日本文化の型』もその一つだ。本書は日本人論の古典と見なされているが、私にはなぜこの本の主張を多くの日本人が鵜呑みにするのかがわからない。

人間共同体には「罪の文化」と「恥の文化」があり、米国人は前者、日本人は後者に属するというのがベネディクトの基本的な主張だ。

<日本人は罪の重大さよりも恥の重大さに重きを置いているのである。  さまざまな文化の人類学的研究において重要なことは、恥を基調とする文化と、罪を基調とする文化とを区別することである。道徳の絶対的標準を説き、良心の啓発を頼みにする社会は、罪の文化(guilt culture)と定義することができる。>(272頁)

しかし、「罪の文化」と「恥の文化」という二分法は、少し考えてみればおかしいことがわかる。なぜならば、罪も恥も普遍的な概念で、特定の民族と結びつけることはできないからだ。日本人でも、罪の意識を強く持つ人もいれば、米国人でも世間体ばかり考え、恥をかかないようにすることを重視する人もいる。ベネディクトは「恥の文化」の問題点について、こう指摘する。

<恥が主要な強制力となっているところにおいては、たとえ相手が懺悔聴聞僧であっても、あやまちを告白してもいっこうに気が楽にはならない。それどころか逆に、思い行ないが「世人の前に露見」しない限り、思いわずらう必要はないのであって、告白はかえって自ら苦労を求めることになると考えられている。したがって、恥の文化(shame culture)には、人聞に対してはもとより、神に対してさえも告白するという習慣はない。幸運を祈願する儀式はあるが、贖罪の儀式はない。>(272~273頁)

「まこと」の捉え方によって見方が変わる

日本の親は子どもに「誰も見ていないと思っていても、お天道さまが見ている」と言ってしつける。これは「世人の前に露見」しなければ何をやっても構わないという倫理観と真っ向から対立する考え方だ。むしろ罪に近い概念だ。

ベネディクトは、「まこと」を尊重する日本人の発想に根源的な病理があると考え、こう主張する。

<「まこと」は私利を迫求しない人聞を賞める言葉としてたえず用いられる。このことは、日本人の倫理が、利潤を得ることを非常に悪いことと考えていることの反映である。利潤は――それが階層制度の当然の結果でない場合には――不当な搾取の結果であると判断される。そして、その仕事から利潤を得るために脇道にそれた仲介入は、人の忌みきらう金貸しとなる。そのような人間は常に、「まことのない人間」と言われる。「まこと」はまたたえず、感情に走らない人間に対するほめ言葉として用いられる。このことは、日本人の自己修養の観念を反映するものである。誠実と呼ぶに他する日本人はまた、けんかを売るつもりのない人聞を辱めることになるような危険にはけっして近づかない。このことは日本人の、人は行為そのものに対してはもちろんのこと、行為の派生的な結果に対しても責任を負わねばならないとする信条を反映するものである。(中略)  このように日本人の「誠実」には種々さまざまの意味がある。したがってこの徳は、勅諭や大限伯の言うように、日本人の倫理を単純化するものではない。それは彼らの道徳の「基礎」をなすものでなければ、それに「魂」を与はるものでもない。それはいかなる数でも、適当にその後に書き添えれば、その数を高次の冪数にする指数である。小さな2という数字を右肩につければ、9であろうと、159であろうと、bであろうと、xであろうと、全く無差別に自乗数になる。それと同じように「まこと」は、日本人の道徳法典のいかなる条項をも高次の冪数に高める。それはいってみれば、独立した徳ではなくて、狂信者の自らの教義に対する熱狂である。>(266~267頁)

確かに、目的と手段を行動し、冪数(べきすう)のごとく「一生懸命に努力する」ことだけを重視する日本人がいる。しかし、米国人にもそのような人はいる。日本人が私利私欲を捨てて努力する「まこと」心を「狂信者の自らの教義に対する熱狂」と見なすのは明らかに間違えている。合理主義的原理とは別の位相で、物事に真剣に取り組む「まこと」心は、日本人が世界に誇ることができる美点だ。日本人と日本国家が生き残るためには、「まこと」心の倫理観を強化する必要があると思う。