竜電と阿炎の違いは何? 「不倫」は組織として処罰すべき問題か

2021.6.2

社会

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竜電と阿炎の違いは何? 「不倫」は組織として処罰すべき問題か

幕内力士:竜電が日本相撲協会の定めるガイドラインに抵触していたとして3場所休場の処分が下された。不要不急の外出を禁じられていたのだが夫人とは別の女性と25回にわたり逢瀬を重ねていたことが原因だ。だが、処分に対する世間の反応は「甘い」と不倫が根底にあるため厳しい。本来、不倫は当事者間の話だが、果たして組織として処分せねばならない問題なのだろうか?

厳しいガイドライン制定と順守は必須だった

髙田川部屋の幕内力士:竜電(りゅうでん)が、日本相撲協会から3場所連続休場処分を受けた。

処分について振り返ると、竜電は新型コロナウイルス感染対策ガイドラインに違反する行動があったとして場所前に師匠の髙田川親方の判断で5月場所を休場した。コンプライアンス委員会によると、竜電は場所前や場所中に不要不急の外出が禁止されているにもかかわらず夫人とは別の女性と昨年3月から25回会っていたことが判明したのだという。

コロナウイルス感染対策として部屋によっては半ば軟禁状態で生活しているといわれるほど、相撲協会は力士と関係者と本場所開催を守るために努力を重ねてきている。その結果、1000人余り居る関係者のすべてが5月場所のPCR検査で陰性、かつ場所中にも陽性者が出ることは無かった。感染力の強い変異ウイルスが蔓延し、緊急事態宣言下にある東京近郊においてこのような成果を出すことは容易ではなかっただろう。

ましてや相撲協会は何かと批判を受ける機会の多い組織である。おかみさんによるモラハラや師匠による不適切な指導、付き人に対する暴力など、日馬富士事件以外にも断続的に問題が発生している。何か問題が起これば批判をされるのは力士や部屋ではなく、相撲協会である。だからこそ関係者と興行を守るためにも、厳しいガイドラインの制定と順守はクリアせねばならない使命だったのだ。このような背景から、竜電は幕下最下位付近への転落という厳しい処分を受けざるを得なかった。

ただ、これには異論もある。

同じくガイドラインに違反する形でキャバクラに数回通っていた錣山(しころやま)部屋の阿炎(あび)も昨年、3場所連続休場処分を受けており、当然比較の対象になるわけだが、竜電の処分は甘いと批判の声が上がっているのだ。

竜電の処分は話がそれてしまっている

果たして竜電の処分は本当に甘いのだろうか。

確かに回数をベースに考えれば竜電の方が多いことは事実で、ガイドラインを長期間にわたって断続的に違反していたということについては悪質性が高いといえるかもしれない。ただ、感染リスクの高い行動を取ったのは阿炎の方である。竜電が夫人とは別の女性と逢瀬を重ねていたのに対して、阿炎はキャバクラへの出入りである。

ガイドラインの目的が新型コロナウイルスの感染を防止することだと考えると、要不急の外出の禁を破っている点では同じだが、中身には差があり単純比較は難しい。もちろん回数を重んじるという判断もありだとは思う。

竜電の問題をややこしくしているのは、処分の論点がガイドライン違反というところからそれてしまっているということだ。つまり、竜電の処分について多くの人が彼の不倫を重く見ているきらいがあるのである。

私は竜電を擁護する気は一切ない。今回の不倫で竜電に落胆したし、一連の流れを知ったことで竜電のイメージは地に堕ちたと言っていい。「竜電」という名前を見るのも正直なところ嫌悪するほどだ。十両昇進からすぐに大ケガをして序ノ口まで転落し、それでも不断の努力で這い上がり、自己最高位を更新して上位で活躍する姿に心底感動していたからだ。そういうドラマがある生き方をしているのが竜電という力士なのである。竜電という名前を彼は自ら汚してしまった。苦労と努力が沁みついた竜電という名前を捨てて別の名前(「R」でも何でもいい)を名乗ってほしいとさえ私は思っているくらいだ。

ただ、それを差し引いても力士は不倫で相撲協会から処分を受けるべきなのだろうか?

組織は組織に不利益を与えた行為を処分すべきだが…

最近のニュースは世論を反映しているのか、メディアが世論を煽動しているのか、不祥事に対しては内容を問わずとにかく厳しい。組織も処分を重くせざるを得ないわけだが、本来、組織が罰するべきは組織に打撃や不利益になる行為を働いたケースか、犯罪が発覚したケースである。

例えば“貴の乱”を例にとっても貴乃花親方は当時協会に対して反旗を翻していたが、反旗の翻し方が悪く、相撲協会の立場からすると組織の一員として処分せざるを得ない行為があった。だからこそ徐々に地位を失っていったわけだ。

だが、不倫は相撲協会という組織に不利益を与えるだろうか?

国会議員やスポーツ選手の不祥事に対する処分が軽いとき、世論によるバッシングに「一般企業ではそのようなことをしたらもっと重い処分になる」というものがある。よほど事態が悪質で組織に悪影響を及ぼしている場合は別だが、一般企業が社員の不倫を理由に減給や降格といった処分を下すことはないだろう。処分しなくても知れ渡って会社に居づらくなり自主退社するケースも少なくないだろうし。よって不倫に関しては一般社会の物差しで批判するのは難しい。

にもかかわらず世論が厳しい処分を望んでいる理由は簡単だ。公人の不倫によって不愉快な思いをさせられているからである。

タレントの活動自粛と力士の処分を混同している

これが人気商売で生きているタレントや俳優であれば、イメージダウンが避けられないために会社による処分というよりは活動自粛に追い込まれることになる。5年前の“ゲス不倫”以降、不倫に対して世論が一層厳しくなっているのは、メディアと共闘して当事者をサンドバッグにできるという意識を持ってしまったからではないかと私は思う。そして今回の竜電の件は、このイメージダウンによる活動自粛と力士の処分を混同していることが一番の問題だ。

ただ、いま世論は不倫を絶対に許さない方向に舵を切っている。不愉快にしたことが罪になるならば、いかに「一般社会では不倫は罰せられることは無い。あくまでも当事者間の問題だ」と主張してもただ反発を受けるだけだろう。感情論が道理を越えてしまっているのだから。

われわれはもし、今回の竜電のような不倫について処罰するのが筋だという方向で進める決断をするのであれば、道理ではなく感情論を優先しているということを認識すべきだと思う。公人に不愉快な思いをさせられた罪を問う世の中、に賛同していることを重く受け止めねばならない。

なお、力士が不倫によって処分を受けたとしたら、地位は落ちるが、いずれ別の誰かが事件や不祥事を起こすか、時間がたてば世の中が不倫の衝撃を忘れるため、復帰後にそこまでダーティな扱いを受けることは無いだろう。人は忘れる生き物である。

だが、もし不倫で処分を受けなかったとしたらどうだろうか? 土俵に上がる間は針の筵(むしろ)である。ネット上では罵声が飛び交うことは確実だ。つまり世の中には処分を受けない方がより残酷な事態になることも存在するのである。

不倫は個人間の問題にしたほうが合理的

感情に支配されていることを認め、不倫も処分の対象とするか。処罰の対象としないことによって、逆に残酷な事態を招くか――。

ひょっとすると、処分を受けなかった今までの方が厳しかったのかもしれない。自らの行いによって世間の反発を招いた結果、メンタルは削られ、本来の力が発揮できなくなるのだから。

不倫に限らず昨今さまざまなことが感情で支配されている。だが、一歩引いてみると感情論を押し通すより望む結果が得られることもある。世の中の仕組みの大半は、長い歴史の中で構築されてきたものであり一定の合理性がある。不倫を個人間の問題として処理してきたこともそういうことなのかもしれないということを、竜電の騒動から考えさせられた次第である。

あなたはそれでも、不倫で力士を処分したいですか?