社名と事業が異なる企業たち【富士フイルム・日立造船・凸版印刷】
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社名と事業が異なる企業たち【富士フイルム・日立造船・凸版印刷】

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国内企業360万社の中で創業100年を超えるのは全体の1%未満。買収や倒産等、企業が無くなるケースはさまざまだが、経営不振に陥るのはその企業の商品・サービスが時代の変化によって売れなくなることが大きな要因のひとつだろう。ここ数年のコロナ禍で事業・業態転換が叫ばれるなか、それまでの積み重ねや資本的な問題で思うようにいかないのが実情だ。一方で創業以来の事業にとらわれることなく事業転換を行い、生き残ってきた企業もある。社名からは事業内容が想像できなくなってしまったが、こうした企業は新たな分野で活躍し業界で確固たる地位を確立しているのだ。

医療・素材…当初の面影がない富士フイルム

多角的な事業展開がリスクヘッジにつながった例とし富士フイルムが挙げられる。富士フイルムは社名通りのフイルムメーカーとして1934年に創業した。1940年には写真機を完成させ、1962年には富士ゼロックスを通じて複写機にも参入。複写機の技術は現在の複合機につながっている。60年代後半~80年代は欧米など現地法人設立にも努めた。しかし、90年代からはデジタルカメラやPCの普及によって写真のペーパーレス化が進み、事業の兆しが怪しくなっていく。実際に世界のカラーフィルム市場は2000年にピークを迎えその後は急落に転じている。

だが同社は事業の脱フィルム化によって存続の危機を免れた。同社は関連会社を通じて1965年から医療用X線フィルム自動現像機の販売を行っていたが、この関連会社は83年にデジタルX線画像を世界で初めて製品化し、98年には医用画像/情報ネットワークソフトを発売、現在の「富士フイルムメディカル」に至る。富士フイルムメディカルは現在、病院のIT・画像診断システム、内視鏡システムなどを主事業としている。

また、富士フイルムは現在の「富士フイルムエレクトロニクスマテリアルズ」を通じて半導体事業も展開。83年に開始したフォトレジスト販売事業を発展させ、89年には液晶ディスプレイ用の感光材料、2000年代には各種半導体材料の生産を進めた。そして近年では富士フイルム和光純薬を通じて化粧品や化成品にも進出している。

富士フイルムグループ全体の売上高約2兆1900億円(2021年3月期)に占める各事業の売上高は以下の通りだ。

  • ヘルスケア&マテリアルズ:医療システム・医薬品・半導体材料・化成品 1兆526億円 48%
  • ドキュメント:オフィス向け複合機など 8,547億円 39%
  • イメージング:カメラ・撮影機器 2852億円 13%

フィルムによる写真撮影やプリント等のフォトイメージングに限った売上比率は10%以下だ。創業事業は企業にとって大切なもので簡単に手放せるものではない。しかし、富士フイルムがそこに固執していたならば、現在の2兆円の売上は到底望めるものではなかっただろう。同社が事業転換できた理由は、創業当時から、創業事業にこだわらずに次々と事業展開した下地があったためだ。60年代には医療、80年代には半導体材料に進出した野心的な多角化によってリスク分散ができていたわけだ。

船を製造していない日立造船

社名からして造船メーカーであると決めつけたくなるが、日立造船は2002年に造船事業から撤退している。同社の歴史は1881年にさかのぼり、北アイルランド人が始めた大阪鉄工所からスタートした。1882年に木造の第1船「初丸」を製造し、90年には日本初の鋼船となる貨客船「球麿川丸」を製造した。その後は船の大型化を進めるが1930年代には日立製作所の傘下に入り1943年に現在の社名となる。同社は早い段階から造船以外の事業も展開しており、60年代にはごみ焼却プラントを製造、これは現在の主事業となっている。一方で古くからプレス機器や加工機器、掘進機などの機械類も製造している。

グローバル化が進むなかで世界の新造船建造量は2011年まで伸び続けていた。造船の世界シェアトップの日本もこれにあやかりたいところだったが、90年代後半から韓国を筆頭に中国も造船事業を伸ばし続け、日本のシェアは低下してしまった。こうした状況下で日立造船は財政を健全化させるべく、2002年に造船事業を日本鋼管と共同で設立した会社に移管することを決める。不採算事業からの撤退は一般的だが、創業以来の事業を畳むのは当時でも異例といわれた。

日立造船の2021年3月期の売上高約4086億円に占める各事業の割合は以下の通りだ。

  • 環境:ごみ焼却発電施設など 2694億円 65.9%
  • 機械:プレス機器・船舶搭載用機器・工場設備など 1017億円 24.9%
  • インフラ:橋梁・土木など 291億円 7.1%

ごみ焼却施設の受注は日本のみならず2010年に買収したスイス・イノバ社を通じて欧州でも積極的に受注しており、欧州の売上高は全体の16%を占める。そして近年各社が参入する環境分野にも進出しており、ごみを発酵させて微生物由来のガスを得るバイオガス施設も受注。また、プラスチックのマテリアルリサイクル施設も受注しているようだ。廃棄物処理のグリーン化が進められているなか、日立造船が持つ環境分野の技術は強みとなるだろう。

同社の歴史を振り返ると、造船事業以外はあくまでも周辺事業に過ぎず造船事業からの撤退後は厳しい時期が続いていた。しかし親会社の倒産で売りに出されたイノバ社にチャンスを見出し、ごみ焼却事業が成功につながった。自社の努力で伸ばしたわけではないが、以前からごみ焼却事業に手を伸ばしていなければチャンスをつかむこともできなかっただろう。主要事業だけにリソースを費やすのではなく他事業の知見をもつこともリスク分散には必要といえる。

半導体事業の今後が期待される凸版印刷

凸版印刷は大日本印刷を抑え業界トップの印刷企業だ。1900年に当時の先端技術であった「エルヘート凸版法」(精緻な文様を再現し、同一の版を多数増殖可能)から事業を始め、日本の文明化による印刷物の増加に沿って事業を拡大してきた。戦時中は国債の発行、戦後は経済成長に支えられ事業拡大してきた。創業当初は海外の印刷法を輸入していたが、70年代には同社独自の「トッパンTHグラビアプロセス」し逆に海外へ技術を輸出するようもなった。

だが、出版不況やペーパーレス化と言われて久しい現在では印刷業界も市場規模を縮小している。日本印刷産業連合会によると市場規模は1991年をピークに減少し続けており、印刷所の数や人員も減少した。凸版印刷の売上高も2008年3月期にピークの1兆6704億円を記録して以降減少に転じており、2021年3月期は1兆4669億円となった。

市場縮小にのまれてじりじりと減少したわけだが、同社は既存事業からの脱却を進めている。特に2005年には米デュポンフォトマスクインクを子会社化し、IBMとの先端フォトマスクの共同開発を始めた。フォトマスクは半導体にパターンを印刷する際の原版となるものだ。2010年代からは印刷技術を応用し、酸素ガスのバリア率が世界最高レベルの次世代フィルム材料も開発した。

凸版印刷の2021年3月期の各事業の割合は以下の通りだ。

  • 情報コミュニケーション事業:チラシ・書類・ICチップの印刷 8781億円 59.0%
  • 生活・産業事業:食品向け包装紙・トイレタリー 4259億円 29.0%
  • エレクトロニクス事業:フォトマスク、ディスプレイ材料、ナノプリンティング 1837億円 12.0%

全体を見ると新規事業の割合は低く既存事業への依存度が高いが、供給が追いつかない半導体業界の現状を見るとエレクトロニクス事業は期待できる。凸版印刷の今後は新規分野の技術開発がカギといえよう。

主事業にとらわれない姿勢が変化への対応力に

富士フイルムが生き残った一方で、ライバルだった米コダックは世界初のデジタルカメラを開発したにもかかわらず主事業への依存を続け、2012年には倒産してしまった。デジタル化を進めると主事業の利益を圧迫してしまうと当時の経営陣は考えたといわれている。

しかしどんなに優れたモノでも永遠に売れ続けることはなく、時間とともに市場は縮小してしまう。市場の変化に対応できた企業はいずれも思い切って他事業にも進出していたことがわかる。

織機を製造していたトヨタも自動車で成功し、かるたの町工場だった任天堂もゲームで成功した。ミクシィも主力のSNS事業が不調のなかでアプリ「モンスターストライク」が売上高を大幅に伸ばした。

そして今の産業界は、脱炭素やEV化、IoTなどが主要なテーマとなっている。従業員の雇用や取引先といった縛りはあるかもしれないが、日本企業がジリ貧にならないためにも新規事業への思い切った投資が必要となってくるだろう。