北京五輪で加速するデジタル人民元 そのときアメリカは

2022.2.17

経済

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北京五輪で加速するデジタル人民元 そのときアメリカは

写真:新華社/アフロ

北京冬季五輪の裏テーマは、“21世紀の通貨革命”ともいえる「デジタル人民元」が披露されたことだろう。氷上・雪上の戦いの裏で起きている、デジタル通貨をめぐる覇権争いとは。

2049年までに人民元を世界の基軸通貨に

2020年に中国国内で実証実験が始まっていた「デジタル人民元」は、北京冬季五輪で選手や関係者ら外国人も対象に運用され世界に初披露された。中国の中央銀行である中国人民銀行のデジタル通貨研究所によって開発されたデジタル人民元のスマートフォン向けアプリは試験段階ながら、米Appleや米Googleが中国で運営するアプリストアからダウンロードできる。利用者は、中国の国有銀行と民間銀行の大手7行と電子決済サービス「アリペイ」「ウィーチャットペイ」から事業者を選ぶ仕組みだ。利用できる金額の上限は、身分証番号や携帯電話番号、銀行口座など、提供する個人情報の数によって変わる。

中国は2008年の北京夏季五輪以降、人民元を国際化しようと必死になってきた。だが、2013年に就任した習近平国家主席が「一帯一路」を提唱して以降も、米ドルの圧倒的な趨勢の前に、人民元の国際化は思うように進んでいない。そこで土俵を変えて、世界の主要国通貨として初めて中央銀行デジタル通貨(CBDC)を発行する戦略に転換した。

そこには中国の遠大な野望が隠されていると指摘される。ある通貨マフィアによると「中国は中国建国100年を迎える2049年までに人民元を世界の基軸通貨とする野望を持っている」というのだ。

中国人民銀行は2014年からデジタル通貨の研究に着手し、2017年には人民銀デジタル通貨研究所を設立した。デジタル通貨関連技術の特許出願数も120件を超えるとされる。表向きの理由は、人民元の国際化や利便性向上だが、本当の狙いはアメリカによる通貨覇権への挑戦にある。当面のターゲットは、「一帯一路」で経済支配を進める新興国における「デジタル人民元経済圏」の形成だ。「銀行口座の保有率が低い新興国では、デジタル通貨がハード通貨を凌駕して浸透する。その基軸通貨としてデジタル人民元を普及させるのが最終的な目標だろう」(金融アナリスト)とされる。

国の枠組みを超えて流通する仮想通貨に危機感

2019年10月末、中国の習近平国家主席は、演説でデジタル通貨のベースとなるブロックチェーン技術の重要性を強調した。習主席がデジタル技術に言及することは異例で、この発言を受け仮想通貨ビットコインは数時間で3割以上も値上りした。しかし、中国が認めるのはあくまで中国共産党が認め、統制下に置くデジタル通貨に限られると釘を刺している。「中国はデジタル人民元で国民の資金移動の監視を完全な統制下に置くとともに、世界の通貨覇権を握ろうとしている」(中央官庁幹部)と言っていい。

そこに持ち上がったのがFacebook(現Meta)のデジタル通貨リブラ(現ディエム)だ。世界の総人口の4割近くが利用するFacebookがデジタル通貨を発行し、決済に乗り出すことにFRB以上に敏感に反応したのが中国人民銀行だった。

約27億人が利用するFacebookが発行する仮想通貨の潜在力は絶大だ。リブラは既存の政府や中央銀行がコントロールしていたこれまでの通貨システムとは異なり、コントロールの及ばない存在となり、銀行を含む既存の金融システムを侵食しかねないというわけだ。国の枠組みを超えて流通するリブラは、既存の国家権力や既存の金融システムにとって、まさに破壊者となりかねない危険な存在となる。

当初、このリブラ構想に最も危機感を強めたのは世界の基軸通貨ドルを発行するアメリカだった。トランプ大統領(当時)は「リブラは信用できない。Facebookは銀行免許を取得すべきだ」とツイートし、FRB(米連邦準備理事会)のパウエル議長は「リブラはプライバシーや資金洗浄、消費者保護の面で深刻な懸念がある」と、封じ込めに躍起となった。

FRBが恐れたのは、「国が通貨を発行する権限を侵食されかねない」ことにあった。つまり“主権”を脅かされかねないという懸念だ。「中央銀行は紙幣を発行して国債などの資産を買い入れ、利益を上げている。いわゆる通貨発行益(シニョレッジ)だ。FRBは2017年に807億ドルの純利益を上げ、802億ドルを国庫に納付したが、この通貨発行益がなければ金融システム維持のコストは賄えない」(銀行アナリスト)とされる。

だが、米政府の封じ込めもあり、その後、既存の法的通貨に対抗する世界的なデジタル通貨を目指したリブラ構想は急速にトーンダウンしていった。リブラについては2019年10月に発行主体となる非営利組織「リブラ協会」(現ディエム協会)がスイスに設立されているが、他の仮想通貨と違いドルやユーロ、円などの法定通貨や国債といった裏付けとなる資産を保有し、ひも付きとなる。いわゆる「ステーブルコイン」として利用者はそれぞれの国の法定通貨とリブラを交換して、決済や送金等に利用する仕組みに変更された。リブラの価値を保証する最大の通貨は米ドルとなる。実質的に「リブラの裏側は米ドル」という構図だ。中国はそこにアメリカの思惑をかぎ取った。

※2022年2月1日、ディエム協会は仮想通貨ディエムのプロジェクトが終了したことを発表した。

ドルの楔から外れるために

中国がデジタル人民元の発行を急ぐのは「リブラ」の圧力ばかりではない。米中の経済摩擦の激化に伴う“人民元封鎖”への恐怖がある。実は中国の輸入に占めるドル建ての比率は90%を超え、主要国中で最も高い水準にある。一方、アメリカは国際間のドル建て決済の大半を国際決済網であるSWIFT(スイフト)と米銀を通じて行っており、世界の資金の流れに係る情報をほぼ握っている。これが基軸通貨ドルの強みであり、アメリカの安全保障上の優位を支えている。仮にアメリカが経済制裁から中国をスイフトから外せば、中国の輸入は決済できずに事実上停止する。トランプ政権末期にこの危機が現実味を帯びた。これが、中国がデジタル人民元の発行を急いだ最大の要因なのだ。

なぜならデジタル人民元はSWIFTネットワークを使う必要がないためだ。「中国は一帯一路で友好国の貿易で人民元建て取引を進めており、これをデジタル人民元に置き換えることでドルの楔(くさび)から逃れるつもりだ」(メガバンク幹部)といわれる。米中のCBDCをめぐる争いはハードカレンシーからデジタル通貨にいたる通貨覇権に行きつく。

さらに、中国にとってCBDCを発行することは、国内的にも絶大な効果を生む。中国人民銀行は2018年に、すべてのスマホ決済が経由するよう義務付けたシステム「網聯」を稼働している。ここにデジタル人民元を乗せれば、技術的にはすべての取引を中国当局が把握することが可能となる。国民のお金のやりとりが丸裸になり、行動はすべて管理される。特に「国内の資金が海外に流出することを監視、抑制するにはデジタル人民元は有効だ」(メガバンク幹部)。中国は深圳に続き、蘇州、雄安新区、成都へもデジタル人民元の実験を拡大している。

バイデン政権でアメリカもCBCDに動き

バイデン政権に移行し、アメリカのCBCDへの対応も変化の兆しが見える。家計がFRBに決済口座を持ち、FRBがCBDCを供給すれば口座を持たない低所得者も低コストで決済や送金ができることになる。マイノリティなど弱者対策に重点を置く民主党・バイデン大統領政権下で、CBDCは大きく動き出す可能性もあろう。

一方、日本の中央銀行である日本銀行は「デジタル通貨(CBDC)を発行する計画はない」とするが、2020年に日銀、カナダ銀行、イングランド銀行、ECB(欧州中央銀行)、スウェーデン・リスクバンク、スイス国民銀行の6中央銀行とBIS(国際決済銀行)は共同のグループを設立し、CBDCの研究を開始することを決めている。

このCBDCの共同研究にFRBは参加していないが、デジタル通貨を最も警戒しているのは基軸通貨ドルを発行するFRBにほかならない。デジタル人民元の発行を進める中国の存在を意識しているためだ。北京冬季五輪で戦うのは、各国のアスリートだけではない。米中のデジタル通貨をめぐる覇権争いも見物だ。