近年、電子書籍の普及が進み、紙の本の成長が鈍化している出版業界。しかし、紙の本の可能性が出尽くしたのかというと、そうでもなさそうだ。インディペンデント(独立)系の出版社を中心とした本の祭典「BOOK MARKET 2023」では、ユニークな紙の本が並び、思わず手に取ってベージをめくってみたくなるものばかり。装丁、印刷、企画内容など、電子書籍と一線を画す紙の本はどのように生み出されたのか。会場で出会った出版社の方々から声を聞き、紙の本の可能性を探った。
巣ごもり需要は終わり、出版業界はマイナス成長もイベントは盛況
出版科学研究所によると、出版市場規模は2022年、前年比2.6%減の1兆6305億円と、4年ぶりのマイナス成長となった。コロナ禍での巣ごもり需要が終息し、電子出版市場は7.5%増加したものの、紙の出版物市場は6.5%減と売上が落ちている。
しかし、2023年7月15・16日に開催された本好きのための本の祭典「BOOK MARKET 2023」の会場はそんな状況が信じられないかのように熱気に満ち、大きな袋を抱えた人であふれていた。今年も台東区・浅草の台東館で開催。2009年から始まったこのイベントは13回目を迎え、過去最高の全55ブース・73社が出展した。
主催のアノニマ・スタジオの安西純さんは、こう語る。
「BOOK MARKETはコロナ禍で2020年から2年ほど中断した後、2022年から再び開催しています。再開後は新型コロナウイルス感染症の影響はほぼなく、今年も多くのお客さんに来ていただいていますよ。出店する出版社のジャンルの幅も広くなり、人文系の出版社が増えてきた印象がありますね。今年は8ブースの新規参加がありました」
安西さんによると、人文系の書籍は特にコアなファン層を持ち、その熱い読者たちにこだわりの本が並ぶBOOK MARKETが浸透しつつあるという。
ざっと出店している出版社を見てみても、心理学、社会学に強い「新曜社」、文芸、芸術、科学の本を手掛ける「作品社」、写真集の出版を専門とする「冬青社」、ユニークな建築本を多く出版する「トゥーヴァージンズ」、詩歌を中心に展開する「ナナロク社」、台湾雑貨やリトルプレスを扱う「ハオチーブックス+ fermentbook」など、小規模だが個性的な出版社が多い。近隣の書店などでは、なかなか見つけることができない本との一期一会を求め、多くの本好きが全国から集まってくる。
拡大する需要に合わせた本作り
美術・デザイン系の書籍の老舗として知られる「マール社」のブースでは、ポップなイラストが目を引く、『UFOの歴史』『GHOSTの歴史』の2冊が好調な売れ行きを見せていた。営業の西久保靖さんによると、2022年から続けて出版されたこのシリーズは、マール社にとっては「チャレンジもの」の位置づけだという。
「マール社は主に人体ポーズ集や人物画の描き方など、美術を学ぶ人のための絵画技法の本を専門としてきました。最近はコミックマーケットに参加したり、ネットで創作を楽しんだりする一般の人たちも増えているので、そうした方々にも向けて、世界観の設定やイメージ作りの資料となる本も狙って出版しています。この2冊もそうした層の人たちがきっと好んでくれるだろうと出した本。実際、ポップなイラストは若い人にも人気なんですよ」(西久保さん)
本の多様化を支える“ひとり出版社”
近年、個人で出版事業を担う“ひとり出版社”が存在感を高めている。主な担い手は、出版社から独立した編集者たちだ。
「Book & Design」を営む宮後優子さんもその一人。25年近く複数の出版社に勤務してから独立し、“ひとり出版社”として今年5年目を迎える。『欧文書体のつくり方』や『<美しい本>の文化誌』など、出版社時代の経験を活かして、デザインや書体に関する本を生み出してきた。宮後さんは“ひとり出版社”を始めた動機についてこう語る。
「本作りの際、会社組織ではどうしてもコストを下げる方に向かわざるを得ません。たとえ制作コストがかかっても、心から納得できる本作りがしたいと思って、出版社を立ち上げました。出版点数は年に2〜3冊、1冊のときもありますが、本当に世に出したい本だけを作っています」(宮後さん)
会社員時代、本作りにまつわるさまざまな仕事を経験したことが独立後に役立っているという。 “ひとり出版社”一本でやっていくことはせず、ほかの出版社からの業務委託も受けながら、兼業でBook & Designを続けている。取次を通さず、流通のハードルを下げるなど販売方法も工夫している。
「うちは専門書中心で、読者層が割と絞られているので、全国に広く配本するメリットがあまりないんです。デザイン系の本に強い書店さんに直接卸したり、自社の通販サイトから販売したり。宣伝は主にSNSです。“ひとり出版社”の良いところの一つは、本に合わせて印刷所を選ぶことができることですね。装丁やイメージに合わせ、この本ならここ、と各印刷所の持っている特性や技術で選べるので、クオリティを上げることができるんですよ」(宮後さん)
装丁や紙、書体にこだわった美しい本は、BOOK MARKETでも特に目を引いた。手製本を得意とする「美篶堂」が製本を手掛けた詩画集『目に見えぬ詩集』(Book & Design)や、一枚一枚切り離して便箋などに使える「100枚レターブック」シリーズ(パイ インターナショナル)など、紙の手触りや重みなど、その本の存在感を手にとって味わえるのは、リアルなイベントだからこその醍醐味だろう。
土地に“根っこ”のあるメッセージの発信
大阪に拠点を持つ西日本出版社は、「地域に根を持つ人が、その土地から発信すること」をポリシーに出版活動を続けている。代表の内山正之さんは、こう話す。
「“伝える”ことが出版の原点。地域密着型の出版社だと、流通は県内のみということも多いのですが、うちは『それ、みんなに伝えんとあかんのちゃう?』ということを、全国に発信するというのを大切にしています。本が生まれるのは、人との出会いから。だから企画ありきでは本は作らないんです」
ブースには「奈良のお寺の365日」シリーズや、瀬戸内の島の旅をテーマにした本など、西日本エリアに根差したローカル発の書籍が並ぶ。2015年の発売から継続して高い人気を誇る『よみたい万葉集』は、文と絵を担当した女性3人が、偶然、万葉集の大ファンだったことから生まれた本だという。美しいイラストと読み応えたっぷりのコラムには、関西出身の3人の万葉集への愛があふれている。
「真剣にやらなきゃいけない」テーマに向き合う
2021年設立の「生きのびるブックス」は、主に人文、カルチャーをテーマした本を手掛ける出版社だ。ユニークな社名の由来について編集長の篠田里香さんに尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「コロナ禍の前に出版社創業の構想があり、そのときは軽い気持ちで『とにかく生きのびる』って大事だよね、と話していたんです。その直後に社会が大きく変わってしまい、これはもう真剣にやらなくちゃいけないテーマになった、と本腰を入れました。『生きのびるブックス』では、明日をちょっと明るく照らし、日々のデコボコと味わい深く付き合うための本を届けたいと思っています」
ラインアップには、カウンセラーや周囲との対話を通して、ままならない自己を記した『死ぬまで生きる日記』や、新聞欄に寄せられた過去の人生相談を再び見つめ直す『人生相談を哲学する』など、息苦しい社会を“生きのびる”助けとなる本が並んでいる。
さまざまな出展社から、多様化する出版のあり方を垣間見ることができた「BOOK MARKET 2023」。こうしたイベントの魅力はやはり、紙ならではの本の存在感を味わいながら、編集者や著者など作り手の思いに触れて、お気に入りの一冊を購入できることにあるだろう。出版社にとっても、届けたい本を読者層に強くアピールできる大きなチャンスだ。
出版不況と言われながらも、まだまだ全国に潜在する本好きたちと、利益追求だけでなく文化、思想を支える気概を持った出版社たちにとって、こうしたイベントはこれからも互いの貴重な出会いの場となるに違いない。