2023年5月8日から新型コロナウイルス感染症の扱いが2類相当から5類に移行して以降、街中やレジャーシーンの人出はコロナ禍前のにぎわいに戻り、2020年から続いてきたコロナ禍は終焉へと向かいつつある。ただ、一度定着したマスクをし続けている人は、この暑い夏場でも一定数存在する。厚生労働省が昨年6月、熱中症予防も兼ねて屋外でのマスク着用は必要ないとする旨のリーフレットまで配布し、2023年3月13日以降は個人の判断が基本となる旨も発信したが、日本人が外すことはなかった。
以前、「コロナ禍と日本人論」をテーマに話を聞いた、日本世間学会幹事で九州工業大学名誉教授である佐藤直樹さんに改めて現状について聞いてみた。
“様子を見る”のが好きな日本人の国民性
まずはマスク着用の意識について見てみたい。日本トレンドリサーチは4月19日、ナチュラルハウスと合同で全国の男女1000人を対象にマスク着用についてのアンケート調査の結果を発表した。「3月13日の個人の判断に変更になってからも外出する際にマスクを着用していますか?」との問いには「必ず着用している」が60.4%、「だいたい着用している」が30.0%。2つを合わせると9割にもなった。
「5類移行になった場合のマスク着用について」問いには「引き続き着用する」が66.2%、「周りを見つつ判断する」が26.1%という回答があった。現在は、この数値はある程度下がっていると推測されるが、マスク着用義務がなくなったとたんにすぐ外す欧米との違いが際立つ。これはどちらが正しいという意味ではないが「特に周りを見てから判断する」というのは、日本らしさを表していると言えよう。
日本を“まとめ”ている論理
「欧米は、マスク着用義務という法のルール、つまり『命令と罰則』で対処してきました。そうしなければ、マスク着用反対といったデモを起こすなど、彼らは言うことを聞かないからです。欧米社会をまとめるには法のルールしかないのです。
一方、日本は、もともとマスクをすることに慣れている上、感染の恐怖があるために、政府が法律を定めずとも推奨するだけで国民が自主的にマスクを着用したので、罰則を設けるようなことはありませんでした。“推奨”が命令と罰則以上の効果を上げたのです。これは『世間』という同調圧力が作用したからで、その象徴が、感染初期の“マスク警察”でした」(佐藤直樹さん、以下同)
戦争は始めるより止めるほうが難しいと言われているが、日本のマスクにおいても似たような状況だ。
「コロナ禍において日本人は、『マスクをつけなければ感染症を移して人に迷惑をかけるかもしれない』と考え、積極的にマスクをつけようとしました。それは、日本の家庭では幼いときから『人に迷惑をかけてはいけない』と育てられるからです。周りも皆そう考えている人たちばかりなので、バッシングも恐れます。
日常生活で人に迷惑をかけても法を犯していることにはならないのと同様に、マスクをつけなくても犯罪にはなりません。しかし、日本では法律違反ではないにもかかわらず、法律と同じくらい、マスクをつけなければならないという強制力が働きます。法のルールより『世間』のルールの方が強いのです。結果、周りの多くがマスクをしていたら、自分もせざるを得なくなるということが常態化しました」
筆者は2003年に香港で発生した重症呼吸器不全症候群(SARS)を経験し、2019年から流行したCOVID-19も経験した。そう考えると、そう遠からずまた新しい感染症が広まる可能性は低くないと考えている。今回の経験を踏まえ、次の感染症で日本人は変わるだろうか?
「変わらないでしょうね。『世間』が存在し続けているからです。Z世代が40代、50代になったときでも、今の日本人とそう変わっていないでしょう。そもそも、彼らが就職活動で着るリクルートスーツが同調圧力の際たる例ですよね」と世間はそれほど強固に、日本に根付いているとした。
“自主的”にマスクを着けている人はどのくらい?
【自主性】ある事柄について誰かの指示を受けずとも自ら行動できること
最終的には個人の判断なので、マスクを「つける」「つけない」はどちらの意見も尊重されるべきだ。では、5類感染症に移行されてもマスク外さない人は「外さない?」のか「外せない?」のどちらなのか? つまり、日本人はどのくらい“自主的”に、自分の判断においてマスク着用の有無を実行しているのだろうか?
「ほとんど個人の判断ではやっていないと思います。クリティカルマス(注:集団の中で大多数ではないが、存在を無視できなくなる分岐点、または商品やサービスの普及率が一気に跳ね上がる分岐点の普及率)は3割と言われています。逆を言えば、9割の人が外せば、“外す”という同調圧力がかかって、いま外すことに悩んでいる人も簡単に外すことになるかもしれません。日本人の行動原理はどこまでも数の問題で、自分という個人は無いのです」
一方、マスクを着用し続けるのには別の理由もあるという。
「かつて“だてマスク”というのが流行りましたが、病気でもないのにマスクをする理由は、『何となく落ち着く』『顔を隠せる』『視線にさらされない安心感』などです。同調圧力が強いからこそ、マスクをすることによって自分が守られている感覚があるのです。これまでマスクを着ける習慣がなかった人も、コロナ禍の3年間でマスク着用は意外に居心地が良いと感じる人が増えましたから、ますます外しにくい状況も生まれたりしました。
ただ、これは個人が考える理由があってマスクを付けている積極的な行動ですので、むしろそれでいいと思います。これからは本当に個人が自由に判断できる社会をつくらないといけません」
同調圧力に左右されないで、一人ひとりが気兼ねなく意思が反映できる雰囲気の醸成が重要だと佐藤さんは語った。
同調圧力vs 多様性
今の世の中は「多様性」が求められている。多様性と同調圧力は相反しそうだが……。
「相反します。日本人は言葉としての『多様性』は使っても、本当の意味では理解していないと思います。個人に基づいたものは感覚的にわからない国民性なのです。ジェンダーギャップ指数が依然として順位が低かったりする(146カ国中125位[2023年])のはそういうことです」と語る。
同調圧力がある以上、日本はいつまでたっても世界標準になれない可能性があるが、その象徴ともいえる日本のマスクの着地点はどこにあるのか。
「難しいですね……。日本ではいつでも“空気を読む”ことを重要視しますが、それでも空気を無視して行動する勇気が必要です。それを、社会を変える一歩にすることです」
佐藤さんは、「新型コロナウイルス感染症によって、日本国民は、同調圧力の強さをみんなが認識した」と語る。逆にそれを意識したからこそ、同調圧力に対して「自分たちがどう考えるのか?」と考える人も出始めてきている。
「そういう人たちが増えていくことで今後、『世間』が『社会』に変わるようになれば、日本の同調圧力も減少するでしょう」
佐藤さんは、日本人の自主性を考えるにあたり、コロナ禍で生まれたこの意識の芽を摘み取らないことが重要だと説く。そうすれば、いずれ『世間』が個人の集合体である『社会』に変わり、同調圧力も減った先に、日本人はより自由な選択をするようになるだろう。