日本人が大事にする「世間」の正体~コロナ禍の日本人論

写真:武田信晃

社会

日本人が大事にする「世間」の正体~コロナ禍と日本人論

1コメント

「日本人は『世間』と『社会』でほとんどのことを説明できる」とは、日本世間学会幹事で九州工業大学名誉教授の佐藤直樹さん。新型コロナウイルスは、人類の生命を脅かし、かつ経済にもダメージを与える一方で、普段の生活に隠れて見えなかったもの、特に差別や非難といった負の面をあぶりだしもした。人はなぜそうしてしまうのか? 日本で大事にされてきた「世間」をキーワードに現代日本人の社会性をひも解くことを試みる。

 九州工業大学名誉教授/日本世間学会幹事

佐藤直樹 さとう なおき

1951年生まれ、宮城県仙台市出身。専門は世間学、刑事法学。「日本世間学会」の創設に携わる。著書に『加害者家族バッシング 世間学から考える』(現代書館)、『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』(講談社現代新書、鴻上尚史との共著)、『なぜ自粛警察は日本だけなのか-同調圧力と「世間」-』(現代書館)などがある。

続きを見る

「世間」と一体化しようとする日本人

新型コロナウイルスに感染し自宅療養をしていた東京都内の30代女性が1月下旬に自殺した事件があった。遺書には「自分のせいで周りに迷惑をかけてしまい申し訳ない」と書かれていたという。

筆者はカナダと香港に住んだ経験があるが、海外では感染した人を「大変だね、不運だったね」と元気づけ、本人もそのようとらえる。それだけに、自殺するほど精神的な負担を強いられる日本の状況に首をかしげたくなった。

「海外では人種差別はあっても病気に罹った人を差別することはありません。コロナ禍当初、東洋人がコロナにかかると差別されましたが、あくまで人種差別でした。

しかし、日本人の彼女はコロナに罹ったことで他人に迷惑をかけたと大きな精神的負担を感じてしまった。それはなぜか? 日本の場合は世界中にどこにもない『世間』というものが根底にあるからです。同調圧力が強いことも関係しています。

よく有名人が『世間をお騒がせしました』と謝罪しますが、日本人は当事者でもないのに『迷惑をかけられた』と『世間』と一体感を感じ、共同体の秩序を乱したことに対する謝罪を求めるのです」(佐藤直樹さん、以下同)

日本人は小さいころから「他人に迷惑をかけるな」と教育される。親から、他人に迷惑をかけることが世の中で一番悪いこと、というのが刷り込まれる。日本人が最初に「世間」を知る瞬間だ。

「『世間』は英語にも訳せない言葉で、コミュニティでもソサイエティでもワールドでもありません。『世間』という言葉自体は『万葉集』の山上憶良の歌に出てきますが、日本人が集団になったときに出る力学的なものと定義しています。スマホなどの電子的なコミュニケーションがこれだけ発達した今でも、おそらく日本人は1000年前と同じ人間関係の作り方をしてきています」

例えば、結婚式は大安に集中する。お中元はもらったら送り返す。そうしなさいとは法律に書かれていないが、人間関係をスムーズにするために皆そうする。「そのためにみんなが守っているルールは山のようにあり、特にもらったらお返しするという“お返しルール”が『世間』においては重要」だという。

近代化の過程で「社会」を作れなかった

これらのルールは海外では通用しないが、実は11世紀、12世紀ぐらいまではヨーロッパでも「世間」があったという。それを宗教、つまりキリスト教が他宗教を排斥する過程の中で「社会」に変えていった。

同様に日本でも近代化によって「世間」は少しずつ崩れ「社会」に変わっていくと思われたが、グローバル化によって復活し逆に強固になるという現象、バックラッシュが起きる。

「1998年以降、日本では自殺者が2万人台から3万人台に増加し、うつ病も増えていきます。戦後のグローバル化によって競争が激化し、その後入ってきた新自由主義によって強い個人たれと言われ、それまでとのギャップからストレスがたまって息苦しさを感じるようになっていった結果です。徐々に同調圧力が強まっていって、この一年で一気に爆発したというのがコロナ禍に表れていると思います」

このころから叫ばれるようになった「自己責任論」は、もともとは金融用語で、自分で出した損失は自分で責任を持てという意味だった。いま一般的に使われている「自己責任論」は、それを自業自得的なニュアンスに置き換えられたものだ。

これらの背景には、「社会」の概念をインストールできなかった近代化の歴史が影響していると佐藤さんは言う。

「日本は明治に入り近代化を進めました。欧米から『ソサイエティ』という言葉が入り、『社会』という言葉を造語します。しかしその当時、日本に『社会』はありませんでした。では、150年たった今、日本に『社会』はあるかといわれると、無いのです。

社会は『インディビジュアル=個人』が集まってできますが、当時の日本には『個人』の言葉はあっても実態がありません。その代わりにいるのが“個人ではなない人”です。それはまさに現代のような“悪目立ちしない”在り方です」

明治以降、日本は海外からの法制度や政治制度の輸入には成功したが、その根底にある社会、人間関係の作り方の輸入はうまくいかず、それまでに存在していた集団、つまり『世間』が残ることになる。その大きな要因は、「社会」を醸成するキリスト教が日本においては大きな広がりを見せなかったことだという。

宗教というのは人間の価値観の軸となるものの一つだ。日本人は無宗教に近いと思っていたが、佐藤さんは「日本人は信心深い」と言う。

「日本人はクリスマスを祝った後に神社でお参りするなど、常に何かを信じている多神教ですね。アミニズム(生物・無生物問わず魂が宿ると考える)に近いと思います。一方、世界標準のキリスト教やイスラム教、本をただせば仏教は一神教です。この一神教が『社会』を作るのです。つまり、キリスト教において神に告解(懺悔)することで個人が形成され、そこから社会が生まれました」

日本人が多神教だったとは驚きだが、そういう意味では、日本はそもそも「社会」をインストールできない文化背景だったといえるかもしれない。

コロナ禍に見る「世間」的な出来事

一時期、コロナ禍を最前線で働く医療従事者に拍手を送るというのがあったが、海外に比べて日本ではどこか義務的だったり、広がりがなかったりした。佐藤さんは「それは拍手がパブリックな行為だから」と指摘する。なお、英語でいう『Public』は日本語でいう“公共”と“市民の総意”という意味を内包するが、日本語でいう“公共”は“市民の総意”を内包しない。

「日本人は皆どこかの『世間』に属していて、自分の『世間』の状態をとても気にします。『世間』はウチとソトが隔てられた“閉じた”もので、パブリックが存在しません。日本人は『世間』のウチでのことは積極的にやりますが、ソトのことはどうでもいいと思う。一方、『社会』は原理的に閉じておらず、そこにはパブリックという概念が存在します。『世間』は『社会』より狭い。そのため医療従事者への拍手も一部にとどまったのです」

では、「自粛警察」はどうだろうか。

「彼らは自分たちを『世間』の代表だと思っています。自分たちを正当化できるのは、自分たちは他人に迷惑をかけていないから。つまり正義感です。自粛警察は同調圧力の典型。同調圧力は世界中に大なり小なりありますが、日本はコロナではっきりと出てきました」

「世間」の強力なルールである「他人に迷惑をかけないこと」はこういった局面に強く表れるようだ。どういった条件なら同調圧力が強まるのだろうか?

「正直、わからないところはあります。ネットの場合、下手をすれば何でもたたかれる可能性がありますし、ときには寄付ですら売名行為とたたかれます。出る杭は打たれる……の典型ですが、人間平等主義といって彼らにとって人間は均質でなければならないのです。

その一方で日本的な身分にも束縛されます。年上年下、名刺による肩書、昔なら士農工商です。そういった身分差と均質でなければならないというねじれが、妬み、ひがみを生み、たたかれることにつながっているのだと思います」

「世間」の効能

一方、『世間』がもつ抑止力がポジティブに表れたのは東日本大震災のときだという。

「非常時には法律が崩壊するので海外では略奪が起こります。しかし、日本では避難所でも“あなたは〇〇担当”というように、避難所がうまく回るように『世間』を作った結果、冷静に行動でき、略奪は起こらず、海外からも賞賛されました。

『世間』のルールは法律よりも強く、日本人はそれを律儀に守ってきたのです。日本は安全で、他国より殺人率が低いというのは、『世間』の圧力の強さによって犯罪にまで至らない、ということが言えます。

コロナ対策についても、海外では社会のルールは法のルールと同義なので感染症対策はマスク着用義務など罰則をつけてやります。それでも守れない人がたくさんいます。日本は1回目の緊急事態のとき、自粛は要請のみで罰則はありませんでした。それでも皆行動に移し、感染を抑えたことはすごいことです」

ある種の危機においては、「世間」の同調圧力は治安維持に貢献するようだ。ところで2月の改正特別措置法で、ついに日本でも命令に従わない場合、過料などの行政罰としての罰則が設けられたが、日本人自らが私権を制限する罰則規定を設けることを望んだのには違和感を覚えた。

毎日新聞の2021年1月16日に行った世論調査では、特措法や感染症における罰則強化が「必要だ」との回答した人は51%で、「必要ない」の34%を上回っている。

佐藤さんはこの結果について、「世界の感染状況から不安になり、日本人の間に、罰則を設けてでも感染を抑えたほうがいいという空気が広がりました。今回の法改正はそれを政治が読んだためでしょう」と話す。

また、罰則の効果については、「過剰にルールを守ると思います。懸念するのは、過料だろうが何だろうが法律を守らない人=犯罪者と思いがちなので、感染者差別が地下に潜る可能性もあります」と分析。

そう語る佐藤さんから見た日本人に適切なコロナ対策とはどんなものだろうか。

「大勢の人が、罰則が法制化される前から外出を控えていたのは事実です。日本人は真面目なのですから、このままでいいと思うのです。この事象は世界的にもすごいことなのですから」

東京五輪は、開催されたら楽しむ空気に変わる

コロナ禍での東京オリンピック・パラリンピックの開催について、1年延期した2021年になっても、開催中止や延期を主張する人は多い。佐藤さんはこれを「日本は呪術的でもあるので『こんな時期に……』と言う空気が形成され、これには逆らえないから」と話す。もし強行した場合どうなるだろうか。

「開催されたらされたで楽しみますよ。そういう空気になるからです。空気というのは非合理的で、持続せず、変わるものです。日本人は思想や信条があまりないので、空気が変われば自分も変わってもいい、と思うのです」

海外と比較すると日本人は合理性に欠けるように思えてしまうが、アフターコロナに向けては前向きな空気が欲しい。息苦しい日本の状況が変わっていくにはどうしたらいいのだろうか?

「おかしいと思ったことは、空気を読まずに抗うことかもしれません。ちょっとした勇気が必要ですが。そうすれば、風通しがよくなって生きやすくなると思います。

SNSの在り方も考えたほうがいいでしょう。発信する前にもし実名アカウントなら投稿をしてもいいのかと一旦立ち止まって考えてみてください」

少し前だが、検察庁法改正案についてネットで大きな反発があり、同国会での成立を見送り廃案になったことがあった。佐藤さん曰く、「極めて例外的ですが、ネットが『社会』として機能した例です。日本に全く『社会』がないわけではないということですね」と。ネット社会の世の中だが、正しく使えば今後の希望の光にもなり得るように感じた。