社会

坐禅の歴史~「坐禅」を知る 第2回

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写真の中曽根元総理をはじめ、多くの政治家が訪れる禅寺・全生庵の平井住職から、日常に生かせる「禅」の心得を学ぶ本連載。 禅宗とは、坐禅そのものを目的とする仏教の宗派だ。一見シンプルでありながら、2万を超える禅寺は宗派などによって微妙に異なる。禅宗のおこりや宗派による違いなど、坐禅の歴史を遡り、禅のなんたるかにもう一歩近づいてみよう。

臨済宗国泰寺派全生庵 住職

平井正修 ひらい しゅうしょう

1967年東京生まれ。臨済宗国泰寺派全生庵七世住職。1990年、学習院大学法学部政治学科を卒業後、2001年まで静岡県三島市龍澤寺専門道場にて修行。2002年より現職。2016年4月より日本大学危機管理学部客員教授として坐禅の指導などを行なう。著書に、『とらわれない練習』(宝島社)、『男の禅語:「生き方の軸」はどこにあるのか』(知的生きかた文庫)など。

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禅宗のおこり

仏教世界に「八万四千の法門」という言葉がある。仏教には非常に多くの宗派やお経が存在し、そのすべての大本はお釈迦さまの教えにある、という意味だ。この教えは、旧暦の12月8日[成道会(じょうどうえ)]に、お釈迦さまが明けの明星を見て悟りを開いたときからのもの。

お釈迦さまが誕生したインドでは、この教えを口伝していた。教えのなかにある真理は見えないものであり、文字で真理そのものを表すことは不可能だと考えられていたからだ。

中国へ伝来してからは、口伝の不確実性の問題や学問としての仏教が発達したことで、多くの経典が書かれた。しかし、文字になったことで解釈が揺らぎ、権威の象徴として政治にも利用されたことで、お釈迦さまの教えは本来の姿を失いつつあった。

そんな仏教の過ちを正すべく、達磨という僧がインドから中国へ渡り誕生させたのが禅宗だ。禅宗の修行の根幹は、坐禅。本来の教えに立ち戻るべく経典(=文字)を捨て、お釈迦さまがひたすらに坐禅をして悟りを得たように、自分たちも坐禅をすることで悟りを得ようとしたのだ。それが臨済宗や曹洞宗という宗派を通じて日本に渡来し、鎌倉時代に大きく隆盛した。

臨済宗(りんざいしゅう)

開祖は、中国留学で臨済宗に参禅し、日本へ持ち帰った栄西。その後も多くの渡来僧や留学僧によって教えがもたらされたため、14つの本山がある。修行には禅問答が用いられ、起きている間中、その問いと向き合う。自分の見解が出たら師匠へ伝え、禅問答を行うのだ。こうした修行を経て真理に到達できるとされている。坐禅の形式は道場の内側に向かって坐る「看話禅(かんなぜん)」。

全生庵
臨済宗国泰寺派 全生庵(東京都)

曹洞宗(そうとうしゅう)

開祖は、中国留学で曹洞宗の教えを体得した道元。本山は福井県の永平寺。道元が記した膨大な量の経典「正法眼蔵」の教えが現代まで混じることなく受け継がれている。坐禅をして真理を体得するという本質は臨済宗と同じだが、曹洞宗の坐禅形式は壁に向かって坐る「黙照禅(もくしょうぜん)」。悟りを求めて修行をすることは打算的であるとされ、「只管打坐(しかんたざ)」というひたすら坐る修行の威儀・作法が大切にされる。

永平寺
曹洞宗 大本山・永平寺(福井県)

黄檗宗(おうばくしゅう)

開祖は、明の時代に中国から長崎に渡来した隠元。本山は、京都・宇治にある萬福寺。明治9年に独立して一宗をなしているが、本来は臨済宗に含まれている。お経などで使用する言葉が中国・明時代のものであることが特徴。修行形態も基本的に臨済宗と同様だが、坐禅形式は「念仏禅」。はじめに念仏を唱えてから坐禅の修行を行う。

萬福寺
黄檗宗 大本山・萬福寺(京都府)

変わりゆく時代、変わらない禅宗

臨済宗が日本に伝来したのは、鎌倉時代。それから800年以上経つが、全生庵の坐禅会には、今も総理大臣や経営者らさまざまな人たちが教えを求めに訪れる。めまぐるしい時代の変化のなかで、臨済宗や全生庵はどのように時代に寄り添ってきたのだろうか。

「現代はテクノロジーに囲まれ、日常で使用する”道具”は昔に比べて大きく変わりました。お寺のHPを作ったり、坐禅会の告知をインターネットで行うようになったりしたことも変化の一つです。しかし、どんなに科学が発達しても人間の喜怒哀楽の感情が変わらないように、禅宗が伝えるべき真理も変わることはありません。一番大切なものは目に見えないものであり、自分自身で感じなくてはならない、と禅宗は説いてきました。だから、坐禅や公案(禅問答)という修行によって懸命に自分と向き合い、体で得る、つまりは体得できるようになるまで修行を積むのです」(平井住職)

かつて全生庵を訪れていた中曽根元総理は、学生の頃から坐禅を組んでいたという。そのきっかけは、戦争で命を失うかもしれない、という理不尽な現実に直面したから。自分はなんのために生まれてきたのか、その真理を知るために坐禅を組んだのだ。

今の時代、生死に関わるような出来事は滅多にない。しかし、理不尽なこと、力及ばないことに立ち向かわなければならない瞬間は誰にもあり、それに立ち向かうひとつの方法として、世の中に坐禅が求められているのかもしれない。

全生庵住職 平井正修インタビュー

「坐禅で心を整える日々が自然と布教に」

現代におけるお寺や住職のあり方は、本末転倒になっている節があります。住職とはその字のごとく、寺に住まうことが本職です。”住む”とは、ただ生活することでなく、いつもお寺を隅々までキレイに保ち、坐禅によって心を整え、きちんとした日々を営むこと。そうした生活が自然と布教になっていくものなのです。

檀家さんからもらうお布施は、住職がそうした生活をしていくための糧であり、葬式や法事への対価ではありません。しかし形式的には行事ごとにお金をもらうことになるので、対価のためだけに葬式や法事を行うお寺が増えてしまったのです。

臨済宗の本山は14あり、東京にあるお寺も50近い。お寺の数だけ住職が存在すれば、教えの説き方もさまざま。修行を積んできたとはいえ住職も人間であるかぎり、いろんな人が居ます。

全生庵では、父の時代から毎日坐禅会を開いてきました。坐禅会はお寺の経営的にはやればやるほど苦しくなるし、手間もかかります。けれどさまざまなご縁が増え、本を著すことにもなり、わが寺の坐禅会に通って総理大臣になった人も出ました。禅宗のお寺としてできる布教はすべてやってきたと思います。

ただ、忙しく生きる現代人には、修行としての坐禅以前に、”静かに坐ること”の必要性が高まっていると思います。日々の仕事や雑事に忙殺されて冷静さを失ったら、ケータイを置いて静かに坐ってみる。すると頭に上っていた血が下がり、きっと何かが見えてくるはずです。日本の皆さんに、まずは一回、坐禅をしてもらいたいと思っているところです。

“ギリギリの経験”を乗り越える

私は坐禅をしてみて思った。何も考えないことがいかに難しいか。
平井住職に聞くと、今まで坐禅を組んできた政治家のなかで、中曽根元総理が一番素晴らしい坐禅をしていたという。政治家に限らず、1時間半も微動だにせず背筋をすっと伸ばして坐る人はそうそういないらしい。

戦争で人の生き死にに直面して覚悟することも多々あっただろう。中曽根元総理は、平静を保つために坐らずにはいられなかったのだ。現代社会において、生き死ににかかわる経験はなかなかしないだろうが、政治に限らず、組織のリーダーには”ギリギリの経験”が必要だと思う。坐禅はきっと、そんな苦境を乗り越えるための心の在り方を教えてくれるはずだ。

全生庵までのアクセス

住所:台東区谷中5-4-7

最寄り駅:JR・京成電鉄 日暮里駅より徒歩10分/地下鉄千代田線 千駄木駅(団子坂下出口より徒歩5分)

 

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