年末に安倍総理大臣が訪れた全生庵。一年間の雑念を振り払いに行ったのだろうか。平井住職は禅とは捨てることから始まる、と言っている。どんな組織であれトップは孤独である。これから、禅にまつわる言葉を解説していく。また、機会を見て、メルマガ会員の中で、禅を組みに行く会も催していきたい。
「諸悪莫作・衆善奉行」
読んで字の如くです。「しょあくまくさ・しゅぜんぶぎょう」と読みますが、禅宗の基本です。というよりも、全てにおいての基本でしょう。諸々の悪いことをしてはいけない、善いことをしなさい、ということです。「自浄其意・是諸仏教(じじょうごい・ぜしょぶっきょう)」と言葉が続き、自ら心を浄め、これらが仏の教えだという意味になります。
お釈迦様とそれより前の仏様6人を合わせて過去七仏といいますが、この七仏が戒めたもの、「七仏通誡偈(しちぶつ つうかいげ)」の言葉です。
白楽天と鳥窠の問答
白楽天(白居易)が鳥窠(ちょうか)という禅僧に「禅の一番大事なことを教えてくれ」と問うたところ、上記の言葉を言ったのです。白楽天は「そんなことは、子供でも知っている。私が知りたいのはもっと深遠な禅の極意のようなものだ」と不満を表すのですが、鳥窠は「確かに子供でも知っているが、80歳の老翁でさえ実際に行うことは難しい」と諭したら、白楽天は黙ってしまった、という逸話があるのです。基本中の基本のことさえ、実際に行うことは難しいのです。
口先だけの世の中になっている
少し話は逸れますが、民主党の若手の方も座禅を組みに来ます。民主党政権が国民から支持されなくなったのは、口に出したことを行動に移さなかったことでしょう。実現できなくとも、身を削ってでも、そこ(約束したこと)に近づく努力をしないと、人間として本物になっていかないだろうと思います。鳥窠の言葉は、口に出したことをやることがいかに難しく、それを実行することがどんなに大事かをも言っているのではないかと思います。
座禅を始める時に必要なことは
私が住職になったのは25歳の時でした。そんな私でも中曽根総理は語り掛けてきます。本を読み、その知識の中で答えるのですが、体験が伴っていないから空虚です。経験がないと言葉に重みは増しません。言葉だけで語らなければならない時もありますから、その時は言葉を徹底的に極めていかなければなりません。
座禅も、痛いとか、気持ちがいいとか、体験をしてみて初めてわかるのです。本を読んで座禅を語っても意味がありません。私も実際にやってみてどうだったかを語れるのです。
今では私も経験を積んできて、お答えすることに厚みが増してきたと思っています。聞くということは、迷っているからです。迷いの種類は人それぞれで、私も個々の話はできません。しかし、聞き詰めて行けば、迷いの元はわかります。その時に、選択肢を選ぶのか、捨てるのか、それとも別の方策をとるのか、ご助言することは可能です。これは、迷いの人をたくさん見てきたからです。
直観力を信じることが道
一つだけ言えることは、誰にでも直観力はあるし、座禅で研ぎ澄まされることがあるということです。人間は迷うものです。その時に、裏付けのない直観に頼るのは不安で、理由を探して別の選択肢を選ぶことが多々あります。しかし、私は直観を信じてそれに従います。直観を妨げる思考は、座禅で捨てることがいいのかもしれません。失敗した時に言い訳のきくものを選びたがります。自分を束縛するのは自分自身です。座禅とは腹を練る修行だから、度胸が決まるようになるのだと思います。
初めに戻って、仏教でいう善いことというのは、自分の心に従ってということだと思います。自分の本心は正しい方向を導くというのが、仏教ですから。皆さんも、その通りに行動できるかどうかは別にして、本当はこうしなきゃいけないよな、とか思っているでしょう。心に従うのが善で、本心に偽ることが悪ということでしょう。法や社会的な道徳を基準にした、善と悪ということとは少し違うのではないでしょうか。