残すべきは企業か人か――。ゴーン流 三菱自動車リバイバルプラン

2016.7.11

企業

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2016年4月20に発覚した燃費データ不正によって、壊滅的な打撃を受けるかに見えた三菱自動車だったが、虎視眈々と狙っていた日産ゴーン社長の出資によって窮地を救われる。しかし、中で働く従業員にとって、それは本当に救いの手なのか? ”コストカッター”の異名を持つゴーン社長の触手が迫っている。

閉鎖的で危機感が薄い社内

「『一時はどうなるかと思ったが、日産自動車が支援してくれることになったので、助かった』……社内はこんな雰囲気に包まれていますよ。危機意識などほとんど感じられません。こんなのでいいのかとちょっと心配しています」

三菱自動車のある管理職は自嘲気味にこう打ち明ける。

三菱自動車は2016年4月20日、軽自動車4車種で燃費を実際よりよく見せるために試験データの不正を行っていたことを明らかにした。この不正発覚に多くの人は「今度ばかりは生き残ることができないだろう」と見ていた。なにしろ三菱自動車が不正を行ったのは、今回が3回目だったからだ。

2000年に1回目の大規模リコール隠しが発覚し、当時の河添克彦社長が引責辞任に追い込まれた。そして、04年にも2回目のリコール隠しが露呈。この時は資本提携関係にあったダイムラー・クライスラーから見放され、提携関係を解消されてしまった。それ以前にも、三菱自動車は1996年に米国でのセクハラ問題、97年に総会や利益供与事件と続けざまに不祥事を起こしている。

当時の三菱自動車に救いの手を差しのべたのが三菱グループだった。三菱グループ御三家といわれる三菱重工業、三菱商事、三菱東京UFJ銀行が中心になって優先株約6000億円の出資により、三菱自動車は経営破綻を免れた。社長には三菱商事出身の益子修氏が就任し、再建の道に踏み出した。

それから約10年後の2014年、優先株の償却と復配で再建を果たしたと、益子社長は三菱自動車プロパーの相川哲郎常務に道を譲り、自らは会長に就任。SUVとEV(電気自動車)を中心とした新たな生き残り策を模索し始めた。ちなみに相川氏の父親は三菱重工で社長、会長を務めた相川賢太郎氏だ。

そんな矢先に今回の燃費不正が発覚。益子会長は5月11日の記者会見で、三菱自動車でなぜ不祥事が繰り返し起きるのかとの質問に対し、次のように答えた。
「リコール隠しの際に徹底的に調べたつもりだったが気づかなかった。問題の根は深いと感じている。社内は閉鎖的で、新しいことに挑戦しない風潮がある。こういったところにも踏み込まないと再発を防ぐことができないと思う」

三菱自動車が大きく変わるチャンス

さすがに今度ばかりは三菱グループ御三家も支援に消極的だった。なにしろ、3社とも自社で問題を抱えていたからだ。三菱重工は客船事業で巨額の特別損失を計上し、業績を下方修正。三菱商事は資源安の影響で2015年度の純損益が戦後初の赤字。そして、三菱東京UFJ銀行はマイナス金利政策の対応に追われていた。

そんななかでカルロス・ゴーン社長率いる日産が間髪を入れずに救済に乗り出したわけだが、ゴーン社長はいつか三菱自動車を傘下に収めようと狙っていた。そして、燃費不正で三菱自動車の株価が大きく下がったところで34%出資することを決断。三菱自動車は日産が得意でない東南アジアとSUVに強みを持っており、規模と利益の拡大に野心を持つゴーン社長にとっては格好の”獲物”だったわけだ。

5月12日に開かれた提携会見で、ゴーン社長は「両社の提携は広範囲に及ぶ戦略的なアライアンスでWin-Winの関係だ。これから新しい旅が始まろうとしている」と語り、高揚感を抑えきれない様子だった。

今後、早ければ秋にも臨時株主総会が開催され、益子会長は退任。そのポストにゴーン社長が非常勤で就くと見られる。そこから三菱自動車の試練が始まると言っていいだろう。日産で始めたコミットメント経営を導入し、結果が出なければすぐにその役職から退いてもらうのだ。

かつての日産も今の三菱自動車と同様、危機意識がほとんどなく、セクショナリズムがはびこっていた。会社が赤字になっても、社員は他人事だった。そのためゴーン社長が日産の経営陣に入ると、退任させられる人間がゴロゴロ出た。COO(最高執行責任者)を務めた志賀俊之氏も業績悪化の責任を取らされて副会長に追いやられた。しかし、日産はゴーン社長の経営によって大きく変わることができたのは事実。

三菱自動車の益子会長は、「開発部門が非常に大きな問題を抱えている。それを改革するのには外部の目が必要だから、日産に開発部門への人の派遣をお願いした」と話し、6月24日付で日産の副社長を務めた山下光彦氏を代表権のある副社長として迎え入れた。それだけでは済まないというのが元日産管理職の見方だ。「改革は開発部門だけでなく、本社機能もガラガラポンで、結果が出なければ、三菱の生え抜きは徐々に駆逐されてしまうに違いない」とのことだ。

しかし、見方を変えれば、三菱自動車が大きく変わるチャンスでもある。災い転じて福となすではないが、今回の燃費不正がきっかけで日産の傘下に入ったことは、三菱自動車の将来にとってむしろいいことだったと言えよう。