年老いた母を持つすべての“息子”たちへ【映画『北の桜守』】

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年老いた母を持つすべての“息子”たちへ【映画『北の桜守』】

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『北の桜守(きたのさくらもり)』 は、唯一無二の映画女優・吉永小百合の120作目となる映画出演作で、吉永主演の『北の零年』、『北のカナリアたち』に続く“北の三部作”の最終章に位置づけられるヒューマンドラマ。吉永と堺雅人が親子役で共演し、『おくりびと』の名匠・滝田洋二郎監督が、戦中から戦後にかけて極寒の北海道で懸命に生き抜いた母と子の30年間に渡る軌跡を、ケラリーノ・サンドロヴィッチが演出を担当した舞台パートや最新VFXを織り交ぜて描いた。

“吉永主演”と聞くと、年配向けの作品と思われがちだが、そこで描かれる親子の愛情は、とりわけ“息子”の胸にこそ染みるのだ。

『北の桜守』

劇場公開:3月10日(土)/配給:東映

出演:吉永小百合、堺雅人、篠原涼子、岸部一徳、阿部寛、佐藤浩市ほか

監督:滝田洋二郎

1945年、樺太で暮らす江蓮てつ(吉永)は、ソ連軍が侵攻してきた8月、2人の息子と一緒に決死の思いで北海道への脱出を図る。命からがら北海道の網走までたどり着いたてつたち親子は、凍てつく寒さと飢えのなか、必死に生き延びるのだった。1971年、アメリカで成功を収めた次男の修二郎(堺)は日本初のホットドッグ店の社長として帰国し、網走へと向かう……。

映画『北の桜守』 本予告

年齢的に引き込まれる要素が多い映画

歳のせいか、葬儀に参列する機会が増えた。40代も後半。この1、2年で30代~40代で帰省した回数を上回ったのだから驚くばかり。オリンピックと同じ周期でしか帰省していなかったことにハタと気づき2度、驚く。

両親をはじめその兄弟姉妹は、皆すでに70代から80代。当たり前といえば当たり前の話なのだが、自分も親族を送る立場になったのか……と、感慨深いものがある。故人の知られざるエピソードを聞くにつけ、もう少し話を聞いとくんだったなあ……などと、親不孝を棚に上げて反省したりもする。

そんな折、間もなく公開される吉永小百合の主演作『北の桜守』 を試写会で観て、なおのことそう思った。同じく吉永が主演を務め、北海道の過酷な大地で懸命に生きる家族を描いた『北の零年』(2005年・行定勲監督)、北海道の離島を舞台に教師と生徒の人間模様を描いた『北のカナリアたち』(2012年・阪本順治監督)に続く“北の三部作”の最終章であり、吉永の映画出演通算120本目となる記念作。戦中から戦後の激動の時代を死に物狂いで生き抜いた親子の姿を描き、吉永は厳しくも温かい愛情を息子に注ぐ母を演じている。

出演120作品目は構想7年の一大巨編。

物語は、終戦間近の1945年から始まる。5月、南樺太に暮らす江蓮(えづれ)家の庭に待望の桜が花開く。夫・徳次郎(阿部)と息子たちと暮らす妻・てつ(吉永)が大切に育てたその花は、やがて家族の約束となる。しかし8月、本土が終戦に向かうなか、樺太にはソ連軍が迫っていた。樺太に残る夫との再会を約束し、てつは2人の息子を連れて決死の思いで北海道・網走への脱出を図る。時は流れ1971年、次男の修二郎はアメリカに渡って成功し、米国企業の日本社長として帰国する。15年ぶりに網走へ母を訪ねると、そこには年老いたてつの姿があった……。

修二郎を演じるのは、NHK大河ドラマ「真田丸」や「半沢直樹」(TBS)などで国民的人気を得た堺雅人。徳次郎・てつ夫妻は筆者の祖父母、修二郎は両親と、ほとんど同じ年齢だ。ほかにも筆者の母方家族も満州からの引き揚げ組であること。世代的には修二郎の子どもに当たるものの、彼と同じく親を田舎に残し、都会に出た(修二郎はアメリカだが)こと。ちなみに、堺とは同郷で、10数年前にわりと早い段階でインタビューをさせていただいたこと……などなど。物語に入り込むには十分だった。

ふと田舎に住む母親を思い出す

再会を誓った家族への思い。寒さと貧しさに耐え、懸命に生き抜いた親子の記憶。戦後の苦難を共にした懐かしく温かい人々との再会。幸せとは、記憶とは、そして親子とは――。

吉永とは初タッグとなる『おくりびと』(2008年)の滝田洋二郎監督は、これらの情景・心情をときにリアルに、ときに舞台パートを取り入れるなどして、ファンタジックに活写した。

舞台演出は、劇団ナイロン100℃を主宰する岸田國士賞受賞者ケラリーノ・サンドロヴィッチ。

舞台パートに関して吉永は、「舞台演劇の形で抽象的に表現することで、樺太の悲惨な出来事が若い人にも受け止めやすくなるのではないか」と語っていたが、実際、忠実に再現された実写パートのセットや北海度の雄大な景色とのメリハリも相まって、より深く胸に刻まれることとなった。

戦後、ようやく安住の地に落ち着いたものの、息子からの仕送りに手をつけず、隙間風の吹くバラック小屋で清貧を貫いてきたてつ。一人暮らしが心もとなく思えるその様子に、再び母と一緒に暮そうと決意を固める修二郎。親子の思い出の味である、“おにぎりのくだり”で涙しない“息子”はいないだろう。

そうしたなか、母の苦労へ報いたい一方で、修二郎は仕事を中断せざるを得ないジレンマにいら立ちを覚え始める。やがて何不自由のない生活を手に入れた息子とその嫁・真理(篠原)に迷惑をかけたくないと、姿を消す母……。年老いた親の面倒と仕事の両立。確実に忍びよる老い。急速な近代化についていけない親世代の戸惑い。時代はめぐれど、今も昔も変わらない。

物語も後半。網走に戻ろうとするてつを見つけた修二郎は、母に寄り添いたいと2人で北海道の各地を巡り、共に過ごした記憶を拾い集めるように旅を始める。

初めての親子での列車旅。居酒屋での乾杯、枕を並べて寝る旅館……。少しはにかむ吉永と気恥ずかしそうに笑う堺の芝居に、心打たれる“息子”は多いはず。とりわけ、母が息子の身を案じ通い続けた急こう配の神社。てつの想いに、修二郎でなくても涙腺は決壊するに違いない。

自分のルーツに思いをはせる

NHKで放送中のドキュメンタリー番組「ファミリーヒストリー』」〈著名人の家族の歴史を本人に代わって徹底取材し、「アイデンティティ」や「家族の絆」を見つめる(オフィシャルHPより)〉。この番組では毎回、ありふれた市井の家族にも必ずドラマがあることを教えてくれる。

筆者だってそうだ。葬儀で帰省した通夜の晩、控室で酒でも飲みながら親戚らから祖父母や両親の話を聞く機会が増えたが、知らないこと、驚くことばかり。例えば母方家族が満州から引き揚げる際、手助けしてくれた土地の人たちがいなかったら……?などなど、人との出会いやつながりにも感謝する。

『北の桜守』のてつや修二郎もしかり。劇中に出て来る人物が誰ひとり欠けても、その後の人生は違ったものになっているはずだから。

そんなわけで、本稿の入稿を済ませたら、遅い正月休みを利用して実家に帰省する。『北の桜守』を観たからだ。滞在時間は少ないけれど、もう少し自分のルーツをたどってみたい。独り暮らしの母をはじめ、親戚にも『北の桜守』を薦めてみようと思う。急に帰って来るようになったかと思えば柄にも無いことばかりするから、驚かれるかも知れないが。

映画『北の桜守』 は3月10日(土)より公開。