急がば坐れ!~全生庵便り
第3回:坐禅を組んで、己を知ろう
2014.3.10
0コメント写真/片桐 圭
迷いや不安の多い世の中で、いま禅宗や坐禅というものが注目されている。3回目となる今回も、多くの政治家や経済人が訪れる禅寺「全生庵」の平井住職に、禅語の教えや坐禅への心構えを説いてもらった。
「梅三千世界香」という禅の教え
禅宗では、「梅」はとても稀有な存在。寒さの厳しい冬の時期、百花に先がけて花を咲かせるその姿は、辛い苦難を乗り越えて成功を手にする人間の姿を彷彿とさせます。また、冬の澄んだ空気にふくよかに漂う梅の芳醇な香りは、人間にとっての「行い」にあたります。「梅三千世界香(うめさんぜんせかいにかんばし)」という禅語は、「子は親の背中を見て育つ」というように、直接言葉で伝えるのではなく、誠実に生きる姿こそが人の心を感化させるという教えなのです。
これは教育の原点とも言えます。よく「部下に信頼されるにはどうすればいいですか?」と聞かれますが、そもそも信頼されるために何かするということは本末転倒。まず自分の成すべきことをし、その誠を尽くした姿を周囲が見て、信頼を得られるかどうかなのです。
また、辛いときにどういう行動を取るかがその人間の本質でもあります。逃げてしまう人もいるし、苦難にぶつかったからこそ知恵を出し切って立ち向うことができる人もいる。成功した、失敗した、という結果ではなく、懸命に立ち向った姿こそが、周囲になにか大切なものを感じさせるのです。
「問わずんば語ることなかれ」という禅宗の姿勢
お釈迦さまは、人を変えることは絶対にできないとおっしゃいました。つまり、どんなに素晴らしい人間でも人の気持ちや志を変えることはできないということ。(教訓を)口の前まで持っていくことはできても、最後にそれを飲み込むかどうかは本人次第なのです。
しかし「初発心時、便成正覚(しょほっしんじ、べんじょうしょうがく)」という言葉がある通り、はじめに自分の志を立てることさえできれば、事が成ったにも等しいのです。所詮、禅の教えもヒントにすぎませんし、まずは自分の心と向き合わなければ何も始まりません。ですから坐禅を組んでもらうのです。
坐禅は一見、無駄な行為のように感じられます。坐禅をしたからといって、会社の業績が上がるわけでもないし、何かが急激に変化するわけでもない。しかし、それは本人次第でムダな時間にも意味のある時間にもなります。肝心なことは、坐禅の時間を自分のなかでどう考え、捉えられるかです。坐禅を続けていくことができる人というのは、そういうことにきちんと立ち向える人なのでしょう。坐禅についてこちらから教えられることは、呼吸の整え方や心の整え方くらいしかありませんが、そこから何をか得てもらえればと思います。
坐禅で「心の整え方」を体得する
中曽根元総理は、ご自身の総裁選直前から5年間、週1回1時間半ほど、この「全正庵」に坐禅を組みにいらっしゃいました。ご本人いわく、ここは「ゴミ捨て場だった」とのこと。毎日分刻みのスケジュールをこなして、週末に坐禅を組んでさまざまな雑念を捨てていかれるのです。”捨てる”とは、考えても仕方のないことは考えないようにすることだと思います。
自分ができる範囲というのは限られていて、そこまでは力を尽くすべきですが、あとは天命に従うしかありません。坐禅は、その”捨てる”訓練の場となります。中曽根元総理は1時間半の間、いつも足を崩すこともなく微動だにしませんでした。その姿は巌(いわお)のようにどっしりとして、見ている者に安心感を与える佇まいでした。そうやって心を整えることで、自然と佇まいにも表れてくるものなのかもしれません。
また、安倍総理もここ数年、坐禅にいらっしゃっていますが、国会もいい坐禅の場所になるとお話しました。失言を取るために野党は次々と隙をつくような発言を浴びせてきます。それに心を振れることなく冷静さを保つことは、まるで坐禅の修行と似ています。坐禅で「心の整え方」を体得することができれば、どんな状況でも冷静に対処できるようになるでしょう。
見えないものへの”怖れ”の大切さ
今の日本には、見えないものへの”怖れ”がなくなっているように感じます。越えてはいけない一線を越えれば自分に何かが返ってくるという感覚が薄れているのです。昔の子供は、寺に遊びにいくと地獄絵を見せられて、神仏への”怖れ”というものを子供心に刻みこまれたものです。親からも、人の悪口を行ったら自分に返ってくるよとか、悪いことをしたら必ず悪いことが自分に降り掛かってくるよということを自然に教わっていました。
「天知る地知る己知る」という言葉があります。どんなに人から隠れてやったことでも、天や地が見ているし、なにより自分自身が知っている、という意味の言葉です。古代では、天災も神仏の怒りとして怖れられてきました。それゆえ祈り、神仏を敬ってきたのです。犯罪やいじめが問題になるいまの世の中に、こういった”怖れ”が少しでもあれば、違ってくるのかもしれません。
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