長期の視点で人が基本 海外でも「日本的経営」は通用する【日覺昭廣・東レ】

2018.3.30

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長期の視点で人が基本 海外でも「日本的経営」は通用する【日覺昭廣・東レ】

写真/片桐 圭

素材メーカーの東レは、一時の繊維事業の低迷を乗り越え、航空機向け炭素繊維などに活路を見出した。2017年3月期まで4期連続で純利益が最高益更新と足元の業績はすこぶる好調。牽引したのは日覺昭廣社長の「日本的経営」だ。尊徳編集長が社会貢献を前提にした日覺社長の経営論の本質を聞く。

東レ株式会社 代表取締役社長

日覺昭廣 にっかく あきひろ

1949年生まれ、兵庫県出身。東京大学大学院工学系研究科卒。1973年、東レに入社。エンジニアリング部門長、常務取締役、専務取締役、副社長などを経て、2010年、社長に就任。

株式会社損得舎 代表取締役社長/「政経電論」編集長

佐藤尊徳 さとう そんとく

1967年11月26日生まれ。神奈川県出身。明治大学商学部卒。1991年、経済界入社。創業者・佐藤正忠氏の随行秘書を務め、人脈の作り方を学びネットワークを広げる。雑誌「経済界」の編集長も務める。2013年、22年間勤めた経済界を退職し、株式会社損得舎を設立、電子雑誌「政経電論」を立ち上げ、現在に至る。著書に『やりぬく思考法 日本を変える情熱リーダー9人の”信念の貫き方”』(双葉社)。

Twitter:@SonsonSugar

ブログ:https://seikeidenron.jp/blog/sontokublog/

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長期・中期・今という3つの時間軸で経営に取り組む

尊徳 ちょうど社長に就任された2010年に、『経済界』の取材で日覺社長をインタビューさせていただきました。それから今日に至るまでの8年間で、東レを取り巻く経営環境やご自身のお考えにはどのような変化が見られましたか?

日覺 私が社長になった翌年から長期経営ビジョン「AP-Growth TORAY 2020(略称:ビジョン2020)」をスタートさせており、10年先に東レがあるべき姿を見定めて動き始めたばかりのタイミングでしたね。

東レでは、[1]10年後を見据えた長期のビジョン(展望)、[2]今後3年間で取り組むべき中期の課題、[3]1年以内に解決すべき今の問題という時間軸に基づいて経営を行っています。世の中の変化などを踏まえた上で、まずは長期的に東レがあるべき姿を確認し、それを果たすための中期的な課題を明確化し、生産技術の研鑽や研究開発に取り組んでいます。そして、足元できちんと利益を上げることも不可欠で、目の前の問題解決も避けて通れるものではありません。

東レ

当時から一貫して社会に貢献することが東レの志でした。

尊徳 2011年の時点で、10年後に東レはどのようにあるべきだと考えていたのですか?

日覺 まずは、事業収益の拡大を持続できる企業グループであること。そして、社会の発展と環境の保全・調和に積極的な役割を果たすとともに、あらゆるステークホルダー(利害関係者)にとって高い存在価値のある企業グループであることですね。

これらは、「新しい価値の創造を通じて社会に貢献します」という東レの経営理念を具現化したもの。東レの前身である東洋レーヨンの社是は「社会に奉仕する」で、このことを海外の投資家に説明した際に、「東レは社会福祉団体なのか?」と酷評されたものです。しかし、当時から一貫して社会に貢献することが東レの志でした。

中期経営課題による軌道修正

尊徳 事業収益と社会貢献の両方を達成するために、どういった戦略を進めてきたのでしょうか?

日覺 基幹事業と戦略的拡大事業によって収益の拡大をけん引しつつ、次代を見据えて重点育成・ 拡大事業にも注力していくことがそのひとつです。もうひとつは、グローバルに事業を拡大して海外の成長を取り込んでいくこと。さらに、空気浄化や浄水、リサイクルなどといったグリーンイノベーション事業に積極的に取り組むことです。

尊徳 そういえば、8年前のインタビュー時にも浄水をはじめとする水処理に関するお話が中心となっていましたね。現在、この分野でどのような実績を上げているのでしょうか?

日覺 世界シェアの約40%を獲得し、水処理の分野でトップに立っています。もちろん、2013年に韓国の水処理膜大手のウンジンケミカル社をM&Aで獲得したこともシェア拡大に結びついています。

ただ、水処理は違いを目ではっきりと確認できるものであり、まさに技術力で勝負する世界です。そこで、世界各地に営業網を配して当社の技術力をアピールすることで、当初は5%にすぎなかった世界シェアを同社のM&Aに踏み切る前の時点で25%程度にまで拡大させていました。

尊徳 日覺社長の指揮の下で「AP-G 2013」や「AP-G 2016」、AP-G 2019」といった中期経営課題を掲げてきましたが、これらも長期のビジョンに基づいた中期的な課題として策定されてきたわけですね。

日覺 福島第一原発の事故やシェールガスの台頭などの環境変化をとらえながら、中期経営課題において修正を加えていった次第です。われわれは素材メーカーであり、当社製品の用途は非常に幅広い。製品を必要としている分野や地域にくまなく供給していくためにも、中期経営課題による軌道修正が必要となってきます。

佐藤尊徳

その極めて長期的な取り組みに驚いてきました

航空機や自動車に用途拡大の炭素繊維は開発に数十年

尊徳 社長、会長、名誉会長を歴任された故・前田勝之助さんにかわいがっていただいたこともあって、僕は東レのことをかなり以前からウォッチしてきました。そして、その極めて長期的な取り組みに驚いてきたものです。

例えばボーイング787型機の機体に採用されている炭素繊維という素材にしても、1960年代から数十年のタームで投資や研究開発を続けてきていますね。開発を始めた当初から、その用途について具体的にイメージしているのですか?

日覺 軽くて丈夫で固いという炭素繊維の性質は、航空機の機体に用いるには最適であることは当初からわかっていましたが、安全性が実証される必要がありますので、採用されるまでには相応の時間がかかることは覚悟していました。

当初、炭素繊維は生産時に一部の組織が割けたようになる欠陥が生じ、そのために目標とする強度をなかなか実現できませんでした。しかし、われわれはこの課題を徹底究明し、こうした欠陥のサイズをマイクロメートル単位から(1000分の1の)ナノメートル単位まで極小化しました。その結果、目標の強度が実現し、釣り竿やゴルフクラブのシャフト、テニスラケットなどにとどまっていた用途が航空機や自動車へと拡大していったのです。

尊徳 この8年間で社会は激変してきたわけで、その中でも躊躇することなく開発を続けてきたのは、どういった経営判断に基づいてのことなのでしょうか?

日覺 おそらく、途中で投げ出さないのが東レのDNAなのでしょうね。炭素繊維にしても、当初はなかなか先を見通せない状況が続きましたが、釣り竿やゴルフシャフトで技術を磨き開発費を稼いで開発を続けてきました。現在までに、開発費用に2000億円以上、設備投資に約4000億円を投じています。それでも売上は2000億円程度ですが、素材は社会に対するインパクトが大きい。実際に航空機に採用されることで快適な空の旅を実現するなど社会を大きく変えることになりました。だから我々は素材を扱うことに誇りを持ってやっています。

そもそも素材の開発とは、このように先の長い話となりがちなのです。だから、欧米の大手企業も炭素繊維の可能性に着目して参入してきましたが、なかなか収益が上がらなくて撤退していきました。そして、われわれが技術を確立させて量産化を始めると、再び彼らは市場に戻ってくるわけです。

東レ

すべての答えは、いつでも現場で見つかります。

年70回以上も視察する徹底した現場主義

尊徳 日覺社長は現場主義を貫いてきましたが、そのことも炭素繊維の開発を全うするという経営判断に結びついたのでしょうか? 経営者が現場に赴くと、いったい何が見えてくるのでしょうね。

日覺 現場で働く人たちと直接話すことで、現実が見えてきます。徹底的に現場を見て、しっかりと現実を把握しなければ、適切な経営判断は下せないものです。繊維事業を復活できたことにしても、常に経営者が現場まで足を運び、直面している課題を正確に把握していたからだと私は考えています。

尊徳 他の大手素材メーカーは繊維事業の継続を断念し、東レが復活を果たした唯一の存在ですね。

ナイロン、ポリエステル、アクリルなどといった繊維素材はバブル経済のピーク時に、東レの利益の半分以上を生み出す稼ぎ頭でした。しかし、人件費の圧倒的な安さで中国が瞬く間に台頭し、日本の繊維メーカーは大きくシェアを奪われ、撤退を余儀なくされていったわけです。

もちろん、事業の選択と集中も経営判断として間違っていないでしょうが、グローバルに視野を広げれば繊維にはまだまだ将来性があると捉えていたのは東レだけでした。やはり、部門長の話だけを聞いていてもなかなか実態を把握しづらいもので、現場の末端で現実を直視することが重要だということですね。

日覺 各部門のトップたちが嘘偽りを申しているわけではないにせよ、とかくバイアスがかかった話に傾きがちです。場合によっては、都合の良い数字しか口にしないこともあるでしょう。しかし、現場で直接話を聞くと、例えば「この設備投資でこういったレイアウトに変更することによってどんな効果を期待できる」という具体的な数字が見えてきます。

炭素繊維のように、“素材”には社会を本質的に変える力が秘められています。そういった革新的な素材を生み出せるのも、現場における日々の努力の積み重ねがあるからです。すべての答えは、いつでも現場で見つかります。

やみくもに「欧米的経営」を模倣せず「日本的経営」を貫く

尊徳 非常に長いタームで辛抱強く自社開発を続けるとともに、2014年には炭素繊維で世界3位だったアメリカのゾルテックをM&Aで傘下に収めていますね。また、つい先日もオランダの炭素繊維加工大手であるテンカーテ・アドバンスト・コンポジットHDの買収も明るみになりました。M&Aについては、どのような基準や方針を掲げていますか?

日覺 M&Aに関しては、明確な条件を定めています。まず、われわれの基盤となっている技術を生かせる領域であることです。そして、お互いにシナジー(相乗効果)を期待できることも不可欠です。さらに、その市場自体が大きくなることも大前提となってきます。

いくらわれわれが強くても、市場が成長しないのでは意味がありません。炭素繊維をはじめとする世界トップシェアの事業をいっそう強化していくために、これらの条件に合致する案件が見つかれば投資を惜しみません。

尊徳 海外企業を傘下に加えていく一方で、かねてから東レは「日本的経営」を標榜してきましたね。そもそも、日覺社長が考えている「日本的経営」とはいったいどのようなものなのでしょうか?

日覺 東レのみならず多くの日本企業が実践しているもので、時流に迎合するのではなく、時代に適合した経営を続けていくことだと思っています。

加えて、とかく欧米では短期的な利益が求められがちですが、常に当社は長期的な視点に立った経営を意識しています。繊維や炭素繊維、水処理が典型例で、いずれも短期的な収益を重視していれば、間違いなく撤退していたことでしょう。実際、前述したように欧米企業がそうでした。

企業は社会のために存在し、従業員やお客様、株主を含めた社会(あらゆるステークホルダー)に貢献するのだという「公益資本主義」こそ、多くの日本企業がこれまで行ってきた経営です。あえてそれを否定し、株主がことさら重視されがちな欧米型の企業統治を模倣する必要は無いと私は考えています。

海外においても長期的な視点で、人を基本とする経営を行ってきました。

尊徳 欧米を模範に国内の上場企業に対してコーポレートガバナンス・コード(企業統治の規範)やスチュワードシップ・コード(企業に資金を投じる機関投資家の規範)の導入を推進したことも然りですね。

日覺 単に、それらは監視的な役割しか果たせません。企業経営の根本的な部分は経営者の倫理観に委ねられているものであり、そういった規制によって完全にどうにかなるものではないし、コーポレートガバナンスのあり方は国によって異なってくるものでしょう。結局、「日本的経営」と「欧米的経営」のどちらが正しくてどちらが間違っているという話ではないのです。

グローバル化とは、ひとつの特定の標準に統一することではなく、自分たちとは異なる社会を尊重した上で、それぞれの地域に貢献していくことだととらえています。それに、コーポレートガバナンス・コードが目指しているのは、企業の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上です。それらに関しては、対談の冒頭でも触れたように、東レの経営理念とも合致するものだと言えます。

尊徳 おっしゃる通り、国が違えば企業文化も大きく変わってくるわけですが、買収した海外企業においてもそういった日本企業特有の経営は受け入れられていくものなのでしょうか?

日覺 海外企業の間でも、東レの「日本的経営」は高く評価されています。傘下に収めた当時のゾルテックの社長はアメリカ人でしたが、彼も「日本的経営は素晴らしい」と絶賛しています。世界中の誰もが目先の業績の浮き沈みで簡単に解雇される環境を望んでいないはずですし、当社は海外においても長期的な視点で、人を基本とする経営を行ってきました。

尊徳 なるほど。すべての欧米人がドラスチックな思考の持ち主ではありえませんからね。それに「日本的経営」は、従業員の会社に対するロイヤルティ(忠誠心)を高めることにも効果を発揮しそうですね。

日覺 こうした経営は、日本企業の強みのひとつだと私は考えています。現に、東レの海外子会社では長年の勤務を通じて「日本的経営」をしっかりと理解し、優秀な業績を上げる経営幹部が出てきています。

デフレを克服するのは難しいとお考えですよね?

グローバル経済の構造上、デフレからの脱却は不可能

尊徳 2017年3月期まで4期連続で純利益が最高益更新と足元の業績はかなり好調な様子ですが、四半期決算も開示しなければならない時代となっていますし、「欧米的経営」を意識して株主も口やかましくなってきています。うまくバランスを保ちながら社会と対話していくことは、なかなか大変なことではないでしょうか?

日覺 ここまで述べてきたように、開発した製品が利益に大きく貢献するまでにはかなりの時間を要するケースが多いのが素材メーカーの特性です。それを踏まえて、中長期的な視点で経営を行うという基本方針を株主の皆様と共有することが対話の出発点です。

したがって、安定的な配当を維持するのが株主の皆様への重要施策であると考えています。もちろん、従業員、地域社会への貢献も最重視すべきことです。また、素材はもっぱら大企業が手掛け、それらを用いた加工は中小企業が担うというのが日本社会における構図です。大企業であるわれわれが中小企業の育成において果たすべき責任も大きいでしょう。

尊徳 話がちょっと脱線してしまいますが、現政権が目指しているデフレからの脱却に関して、日覺社長の見解が僕と完全に同じだったことに驚きました。デフレを克服するのは難しいとお考えですよね?

日覺 困難というよりも、克服する必要は無いと思っています。もはや、先進国における市場の拡大には限界があり、飛躍的な伸びが見込まれるのは新興国市場です。新興国向けの製品価格が大幅に上昇することはまず考えられません。価格が上がらないなかでも企業としてしっかりと利益を生み出すためには、コストダウンが不可欠となってきます。成長戦略とともに、体質強化によるコスト削減努力が求められてくるわけです。

日本が高度経済成長を遂げた時代にインフレが進んだこともあって、多くの人たちはデフレが“悪”だという印象を抱いているのかもしれません。しかし、世界的にはデフレのなかでも成長が持続していたのが現実で、特に素材における需要の拡大はもっぱら中国の成長がもたらしてきたものでした。こうしたことから、むやみにデフレを悲観視する必要は無いと思います。

尊徳 新興国の経済成長に伴って先進国との格差が縮まり、次第に世界が平準化していけば、製品の価格は安い方向で均衡が図られていくのが当然ですからね。実にさまざまな方面から話をうかがえて、とても勉強になりました。ありがとうございます。