安倍政権の「働き方改革」で大きなテーマに位置づけられている【長時間労働の是正】。電通の事件があった影響も大きいが、自分事とあって多くの国民が強い関心を示し、議論の行方を見守っている。「働き方改革」の実行計画決定は3月末を期限として取りまとめる予定で、連日、政府と各団体が協議。労働基準法第36条に基づく労使協定、通称「36(さぶろく)協定」は、どのような方向に改正されるのだろうか。
現在の法定労働時間
<原則>1日8時間、1週40時間を超えて労働させることを禁止。【労基法第32条】
<特例>使用者は、労働組合と労使協定を締結した場合、そこで定めた時間まで、時間外労働をさせることが可能。【労基法第36条第1項】
時間外労働の限度基準は、原則、月45時間以内、年360時間以内と規定されている。しかし、特例条項を設けると、臨時的な特別な事情がある場合として、最高で年6回(1年の半分)まで限度を超えて時間外労働させることができ、その際の上限時間については、法令などによる制限はない。
上限は年720時間、月100時間
【時間外労働の上限規制の在り方など長時間労働の是正】に関する労基改正の方向性は、36協定でも超えることができない罰則付きの時間外労働の限度を、法律に具体的に規定することだ。さらにその規定は、過労死との関連性を回避するため、連続した月の時間外労働時間平均が80時間、単月では100時間とするなど、健康の確保を図ることを前提としている。
これまでは特例条項を設けると、事実上、上限なく時間外労働させることができたが、このたびの法改正では、年720時間(月平均60時間)を超えることができなくなる。
上限時間については、大手企業を束ねる経団連と、全国の労働組合の中央組織である連合による協議が続いていているが、単月の上限が過労死ラインと同程度の100時間であることに、連合が引っかかっているようだ。
一方、日本商工会議所の三村明夫会頭は、労働時間の上限設定の必要性に触れつつも、「建設業や運輸業では厳格に適用するのは難しい」と、現在のように厚生労働大臣告示の適用除外を認めることを要求。政府案では「実態を踏まえて対応のあり方を検討する」としていて、今後さらなる交渉・協議をもって、3月中旬の合意を目指す。
業界によっては仕事量との折り合いが難しい
長らく議論されつつも結論を見いだせなかった長時間労働、いわゆる残業時間の是正を含む労働時間の法改正に、政府が本腰を入れはじめたのは大きな進歩だ。経営者側に立つ自民党が、労働者側の待遇改善を促す法案を推進していることは意外だが、それほど切羽詰まった問題だということだろう。
今回、「働き方改革」の全容、そして長時間労働の是正について取材するにあたり、内閣官房の働き方改革実現推進室に話を聞いた。担当者が言うには、「働き方改革」における長時間労働の是正は、人口減に向かう日本が【希望出生率1.8】と【介護離職ゼロ】を実現し、【GDP600兆円】を目指せる社会システムを構築する「一億総活躍」プロジェクトの中の一大テーマだというが、本来、”規制”である36協定の縛りをより強める改正は、それらの目標に対して不都合を招く場合があるのではないか、という疑問が浮かぶ。
今回の改正は”罰則付き”が強調されていて、企業はこれまで以上に厳守に努めることになるだろう。それでも労働者の目の前には、以前と変わらない量の仕事が横たわっている。彼らが思うのは、「時間は制限されても仕事は減るわけではない。時間内に終わらなければ持ち帰りもありえるし、ただきつくなるだけ」という現実だ。
また、長時間労働が女性の労働参画や男性の育児参加を拒み、少子化を招いているという理論は、労働者の現場や生活をよく知らない上層部の考え方で、決まった時間に出勤・退勤するというシステムの中では、上記程度の規制は過度な労働を抑制しても、現場の働き方は大して変わらない。
日商が主張しているように、繁忙期が数カ月単位で続く業界もあり、厳格に36協定が適用されると不都合が生まれることを十分考慮する必要がある。それをないがしろにしてしまっては、上限を設ける法改正は企業側が守るべき基準を明確にすることでしかなく、場合によっては企業の生産性を削ぐことにもなりかねない。
時間規制と成果主義の相性の悪さ
短時間で同じだけの生産量を求められた労働者は、”生産性”という濃度の高い労働を強いられ、時間が足りなければ「成果」を求めて地下に潜るようになる。事実、巷のカフェでは、夕方になるとPCを開いて仕事をするサラリーマンの姿が目につく。
「時間内に成果を出せないのは能力が無いのだから仕方がない」という指摘はよくあるが、世の中には本当にいろいろな仕事があり、専門職でもなければ能力を明確な成果として示せないケースも多いだろうし、また、職業によっては時間をかけなければ成果を生めないこともある。短時間だけが正義ではないはずだ。
社会の在り方として多様性、ダイバーシティを謳うのであれば、一元的な能力主義に陥ってはならない。大事なのは、労使が「成果」の価値基準を共有し、それを限られた労働時間で達成することを、お互いに納得する方法で評価すること。圧倒的に企業努力が求められる。画一的な方法では、「成果」は評価できないのだ。
労働時間を制限すれば生産性は上がるのか
長時間労働の是正は、生産性を抜きには語れない。どうすれば生産性を上げることができるのかは、多くの企業、経営者の悩みだろう。そんななか、極端に自由な働き方で生産性を高めている企業がある。
大阪府茨木市にある株式会社パプアニューギニア海産は、代表と社員2人、それに十数名のパート従業員で冷凍エビの加工・販売を行なっている会社だ。2013年7月から、パート従業員に対して「フリースケジュール」という好きな日に連絡無しで出勤・欠勤できるシステムを導入している。
当日になるまで出勤してくる従業員の人数がわからなければ、毎朝困ったことになりそうだが、工場での加工がメインの第2次産業ということもあり、出勤状況を見て作業量を臨機応変に調整することが可能なのだという。
「誰も出勤して来ないのでは?」と疑問に思うが、システムを導入してから出勤0人の日は、2016年1月12日の一日だけ。それについて工場長の武藤北斗氏は、「休むために就職する人なんていません、会社がとやかく言わなくても働くのが当たり前」と語る。
公式HPによると、[2012年5月~2013年4月]の売上げを「1」とした場合の翌期[2013年5月~2014年4月]の売上は1.16倍で、以降2016年4月まで毎期、平均1.16倍を保持。
また、「フリースケジュール」を導入したことによって、シフト組みや新人教育などの管理の仕事を無くすことができたことに加え、導入前と比較して、従業員が自ら効率を求めるようになり、さらにはさぼりや従業員同士のいざこざも減っているという。
この特定業種の特異な例で労働のすべてを語るつもりはないが、生産性を高めるのは、労働者の意志であることには疑いはない。それを生み出すのは、規制ではなく、労働者自身が自由に選択できる働き方に思えてならない。
「働き方改革」が改革する労働者の意識
株式会社VSNが2月24日~26日に実施した「プレミアムフライデーに関する実態調査」によると、「いい取り組みだと思うが自分には関係ない」が47.8%、「次の『プレミアムフライデー』何か行う予定がある人」は12.9%。早く仕事を終え、プライベートの時間を得た労働者たちの足取りは、思った以上に重そうだ。プレミアムフライデーは「働き方改革」を象徴する取り組みではあるが、具体的な消費行動が描けず、どうしても現場とのズレを感じてしまう。
労働者にとって長時間労働の是正は確かに大きな関心事ではある。しかし、もっと大事なことは、労働者個人がそれぞれの生活スタイルに合わせた働き方を明確にし、提示すること。そうでなければ働き方など変えようもないし、肝心の消費行動にもつながらない。企業や業界は、さまざまな働き方を許容する労働環境を作ることが必要で、今回の36協定の改正は、それに拍車をかけこそすれ、妨げるものであってはならない。
子作りや子育てが長時間労働問題とリンクするのか?
経営者仲間に話を聞くと、この「働き方改革」が実態とズレているのでは?という意見をよく聞く。特に日本は臨機応変に労働力の削除ができない。簡単にレイオフができないということだ。
そういう状況で、正規雇用者を増やして、働き方の制限を行うという規制が機能するとは思えない。労働者に対して意に反する長時間労働を強いるのは、確かに、問題ではあるが、中には仕事をしたい人もたくさんいる。それを一律に法規制して罰則を与える、というのはいかがなものかと思う。
しかも、少子化問題や介護離職を無くす、という大きなテーマの下にこの「働き方改革」があるというのが驚きだ。子作りや子育てが、長時間労働問題とリンクするとは思えないからだ。取り組み方が間違ってないかい?とさえ思う。
「それでは具体的に案を出してみろ」と言われても、大きな問題だから、すぐに結論が出るものではないが、長時間労働が無くなったところで、少子化が収まるとは思えない。
これからは企業が選ばれる時代になる。いずれにしても、長時間労働を強いるような企業は自然と淘汰されることは確かだ。