米「INF全廃条約を破棄」表明 軍事力強化で民衆煽るトランプ大統領のポピュリズム

2018.10.29

政治

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写真/Bloomberg

すべては来たる11月6日の中間選挙のため――。アメリカのトランプ大統領がまたしても過激な“保身カード”を切り出した。10月20日、ロシアとの間で維持されて来たINF(中距離核戦力)全廃条約の破棄を突如表明。表向きは「ロシアが条約を順守せず新型中距離ミサイルを密かに開発しているから」だが、タイミングを考えれば支持母体である白人保守層や鉱工業労働者、軍産複合体などを喜ばせ、彼が与する共和党を有利に導こうと、媚を売っているのは明らかだろう。

INF(中距離核戦力)全廃条約ができた経緯

INF(中距離核戦力)とは射程500~5500kmのミサイルを指し、ICBM(大陸間弾道弾。射程5500km~1万km以上)よりも小ぶり。

1980年代半ばにソ連で改革開放派のゴルバチョフ政権が誕生、長年続く東西対立が急速に雪解けへと進んだことを受けて、1987年12月、アメリカとソ連はそれぞれが保有するINFの全廃(対象は地上発射型のみ。しかも実戦配備はダメという意味で、既存ミサイルの保管はOK)と新規生産、研究開発を禁止する軍縮条約を調印(発効は1988年6月)、これがINF全廃条約だ。

当時、ソ連は新型で高性能のSS-20中距離核ミサイル(射程5500km)を敵対するNATO(北大西洋条約機構)の西欧加盟国に照準を合わせズラリと配備していた。アメリカにとって同条約は、冷戦終結の機運に乗じてこれを排除し、アメリカの同盟国・西欧NATO加盟国の安全保障を盤石にしようというのが狙い。その後、1991年のソ連崩壊後もロシアが同条約を引き継いだ。

ただし、純軍事的に見れば、米露にとって地上配備型INFはそれほど重要ではない。両国はICBMをはじめ、海中に潜み秘密性に優れるSLBM(潜水艦発射型弾道ミサイル)、核爆弾・ミサイルを積載できる長距離爆撃機など、核兵器を山ほど保有、これだけで安全保障は充分担保できるからだ。

世に言う「相互確証破壊(Mutual Assured Destruction)」の略語「MAD」が「狂気」を意味するとは何とも皮肉。要は両国が互いに相手側を確実に破滅できる核兵器を持ち合って全面衝突を避けようという発想。究極の軍事均衡による平和だ。

国防費アップは支持母体が歓喜

ところが、近年ロシアが原子力推進巡航ミサイル「ブレヴェスニク」を研究開発している、とトランプ氏が激怒、過剰反応よろしく「同条約破棄だ」と声を荒げた。「ブレヴェスニク」は原子力推進のため射程距離は事実上無限、しかも巡航ミサイルなので弾道ミサイルとは異なり飛翔コースがまったく読めず迎撃はほぼ不可能とも目されている。

さて、トランプ氏による今回の「爆弾」ならぬ“ミサイル発言”は、基本的に「強いアメリカ、ロシア憎し」を信条とする白人保守層の心の琴線に触れるものだろう。また、地上発射型INFの生産解禁も意味するため、鉱工業労働者や軍産複合体にとっても歓迎だろう。

アメリカの国防費は財政再建の影響で近年は微増に抑えられ、アメリカ軍内でもリストラの嵐が吹き荒れていた。だが「強いアメリカ」を信条とするトランプ氏は軍事力強化に舵を切り、2019年度の国防費も大幅アップ、前年度に比べて一気に13%増の73兆円として軍産複合体を大いに喜ばせている。今回の件もこの流れの一環と見ていいだろう。大統領2期目を狙うトランプ氏の選挙対策、支持母体への“ポピュリズム”だ。

もちろん、現在モラー特別検察官との間で繰り広げられている、ロシアの米大統領選挙干渉疑惑(ロシアゲート事件)をめぐる攻防戦に関しても、ロシアに対して強硬な態度を取ることでトランプ氏は「俺はプーチンとは親しくない」と国民にアピールできる。

条約破棄で世界への影響は

では、仮に同条約が正式に破棄された場合、世界にはどんな影響が出て来るのか。

ロシア 軍事支出の増加で欧米との関係悪化は決定的に

当事者のロシア・プーチン政権が一番頭を抱えているのは明らか。というのも2014年に自ら仕掛けたウクライナ領クリミア半島の軍事併合で、友好ムードだった欧米関係は一気に“氷河期”へと逆戻り。

西側による制裁も長引き国内経済は低迷、加えて年金問題でプーチン政権の支持率も急降下の最中だ。INF全廃条約は台所事情が厳しいロシアにとって、ある意味“軍事支出を抑えられるありがたいカード”だったが、破棄となれば中距離ミサイルの配備再開に動かざるを得なくなる。ロシア国民も“強い大統領”を望むからだ。だが、これは欧米との関係悪化が決定的になることを意味し、冷戦へと逆戻りしかねない。

しかも、ロシアは軍事支出の大幅アップを余儀なくされ、景気低迷と財政赤字に拍車がかかる、という負のスパイラルに陥る可能性も。まさに崩壊したソ連と同じ軌跡だ。

西欧 軍拡で米国産兵器を買わされるかも

クリミア併合や化学兵器「ノビチョク」を使った暗殺事件でロシアへの警戒感を強める西欧諸国だが、前述のようにロシアが中距離弾道ミサイル配備再開に走った場合、これまで“冷戦終結による平和の配当”とばかりに軍縮を続けて来た方針は一変、軍事費アップに舵を切らざるを得なくなる。

しかしこれはトランプ氏にとってまさに好都合。西欧NATO加盟国の軍事費の少なさにトランプ氏は常々、「NATOで決めた対GDP2%の国防費を守れ!」とかみつき、果てはアメリカのNATO脱退までほのめかす有り様。

これが軍拡に振れれば、西欧に対し、「ロシアに対抗するため直ちに対中距離ミサイル・システムを買うべきだ。ついでに地上発射型トマホーク(INF全廃条約で禁じられている中距離巡航ミサイル)もバンバン購入せよ」と、アメリカ製兵器の商談に持ち込める。

また、目下ドイツは自国のエネルギー戦略の一環として、バルト海を縦断する天然ガス・パイプライン「ノルド・ストリーム」でロシア産天然ガスを大量調達する計画を進めているが、これも頓挫しかねない。

同計画に対しても、トランプ氏は「エネルギーを仮想敵に求めるとはけしからん」とドイツ・メルケル政権を批判して来たが、頓挫すればドイツは天然ガスの新たな供給先を探さなければならず、「では、アメリカ産のシェールガスをLNG(液化天然ガス)化して買えばいいのでは」と、これまた“ディール”を持ちかけられる。

実際、歴史的にもロシアに敵がい心を燃やすポーランドは、アメリカ産LNGの輸入を拡大、これまで甘んじて来たロシア産天然ガスの調達を徐々に減らす方針を決めている。

中国 敵対図がより明確に

習近平政権にとっては、「これはロシアよりもわれわれへの警告ではないか」と捉えたはず。

習氏は2017年の共産党大会で「今世紀半ばまでに世界一流の軍隊をつくる」と宣言、トランプ氏には「ついに世界最強の軍隊を誇るアメリカへの挑戦を露わにした」と映ったに違いない。

そしてそれを証明するかのように、習氏は「軍」「国家」「党」の各権力を完全掌握、2018年3月には憲法を改正し“終身国家主席”を盤石にした。

また、並行して沿岸の東南アジア諸国と領有権を争う南シナ海の南沙諸島に着々と軍事拠点を構築、岩礁を強引に埋立てて領海を主張する(国際法では満潮時に海面に顔を出さないような岩礁はそもそも領海を設定できない)など、中国側は傍若無人に振る舞う始末。これに対しアメリカは「航行の自由」作戦を展開、南シナ海に散在する中国側の拠点の近海に軍艦を遊弋させて牽制している。

南シナ海を“自国の湖”化し、SLBMを積んだ弾道ミサイル原子力潜水艦を潜ませアメリカに対抗しよう、というのが中国側の狙いのようで、国産のSLBM「JL-2」の性能アップにも余念がない。加えて、世界初、しかも世界唯一の地上発射型対艦弾道ミサイル「DF-21D(東風21D。射程1500km)を開発中で、もちろん太平洋に君臨するアメリカ第7艦隊の空母の撃破が狙いだ。

これらを総合すれば「INF全廃条約でアメリカが手足を縛られている最中に、同条約の制限を受けない中国が中距離ミサイルの開発に血道を挙げている。これはフェアじゃあない」とトランプ氏が怒るのも想像に難くはないだろう。アメリカが現在、中国と展開している貿易戦争も、「台頭する中国を抑えるため」という狙いが込められており、同条約の破棄表明はこの流れの一環として中国への強力な牽制だと見ることもできるだろう。

実はINF全廃条約を破棄は軍事的にそれほどメリットがない?

このほか、核開発問題でもめている北朝鮮やイランに対する牽制カードという側面も見え隠れする。しかし、純軍事的に見て、アメリカ軍にとって同条約の廃棄はそれほどのメリットがあるものではない。

なぜなら、同条約は“地上発射型”だけが対象で、アメリカが重用するトマホークの艦艇/潜水艦搭載型は規制外だからだ。トマホークは1991年の湾岸戦争で初めて実戦で使用されて以降、アフガン戦争やイラク戦争などアメリカが関与した紛争の大半で大量使用された精密誘導兵器。

ロシアもシリア内戦で国産の巡航ミサイルを使用しているが、巡航ミサイルとしての実戦経験の豊かさはアメリカの方が圧倒的で信頼性もズバ抜けている。

また、地上発射型の配備には基地の新設や拡張、維持管理などでコストがかさみ、さらに核搭載となれば事故や対テロといったリスクも伴い、この対策にこれまた巨費が伴う。このため、艦艇や潜水艦に積み込み、世界のどこでも展開でき、長距離で迎撃しにくく、おまけに高い命中率を誇る通常弾頭型のトマホークを、アメリカ軍は重宝するわけである。

つまり、アメリカが条約破棄によって、地上発射型でしかも核搭載型の中距離弾道ミサイルを待ち望んでいるのかといえば、それほどでもないのが正直なところだろう。

またしてもトランプ氏が放った“条約破棄”表明。少なくともアメリカの兵器メーカーを欣喜雀躍させたのは確かで、今後日本に対する「アメリカ製兵器をもっと買え」の圧力が高まること必至だ。