「コンプレックスは治せない?」美容医療への挑戦

2018.10.30

社会

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「コンプレックスは治せない?」美容医療への挑戦

2000年に神奈川県藤沢市で湘南美容外科クリニックを開院し、わずか18年で全国に80院を展開。他院の倍速で成長してきたSBCメディカルグループだが、待合室のソファーが足りずに、立って待つ患者がいるほど支持を集める理由とは何なのだろうか。美容医療業界の常識を打ち破る経営で、リピート率90%を叩き出す、相川佳之代表の経営術および人生論に迫る本連載。初回の本稿では、SBCメディカルグループの黎明期が語られる。

SBCメディカルグループ 代表

相川佳之 あいかわ よしゆき

1970年生まれ、神奈川県出身。1997年、日本大学医学部卒業後、癌研究所附属病院麻酔科に勤務。大手美容外科を経て、2000年に独立、湘南美容外科クリニックを開院。料金体系の表示、治療直後の腫れ具合の写真を公開するなどの美容業界タブーを打ち破り、わずか18年で全国に75拠点80院を構えるまでに成長。さらに、審美歯科や頭髪治療、不妊治療、眼科、血管外科、整形外科、がん免疫療法など多分野に進出。2019年中には100拠点を予定。

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「治療の必要はありません」

1970年、神奈川県に生まれた相川代表は、幼少の頃から小柄な体格だった。クラスで背の順に並ぶと、常に先頭で腰に手を当てるポーズ。もともと明るい性格の相川代表はそれを特別気にすることはなかったが、中学生のある日、運命を変える出来事が起こる。

「近所のお祭りで同世代の女子グループとすれ違ったとき、一人が私を見て『あの人、格好いいね』と言ってくれました。もちろんうれしかったのですが、それを聞いたもう一人が『でも、小さいね』と言ったのが聞こえたのです。思春期だったこともあり、ショックを受けた私は深く落ち込みました」(相川佳之代表 ※以下「」は相川代表)

それからは背を伸ばすために牛乳を飲んだり、体操をしたり、雑誌で見たサプリメントを試してみたりなど、あらゆる方法を片っ端から試した。しかし、涙ぐましい努力とは裏腹に、背は低いまま伸びる気配が一向にない。思い余って高校1年生のとき、成長ホルモン注射をしてくれる大学病院へと駆け込んだ。

ところが、医師から返ってきたのは、「君は病気ではないので、治療の必要はありません」の診断だった。

「散々悩み抜いた挙句、医者に『背のことは気にするな』と言われ、最後の望みが絶たれた思いでした。それと同時に、病気は治せるのに“コンプレックスは治せない”ということに違和感を覚えました」

この経験がひとつの転機となり、後に医学部に進んだ相川代表は美容医療を専攻する。

「当時の美容医療は、お客様にあまり効果のない治療を行ったり、高額な化粧品や美容機器を勧めるといったことが横行していました。人のコンプレックスにつけ込むような体質に反発を覚え、『お客様本位の美容外科医院を自分で開院しよう』と考えたのです」

初めての失敗は800万円の衝撃

神奈川の藤沢市に最初の湘南美容外科クリニックを開院したのが、2000年3月19日、相川代表が30歳のときだった。

「治療の価格を相場よりも抑えて、多くの人に来てもらいやすくしました。宣伝広告費などはかけられませんから、自ら街頭に立ってチラシ配りもしました。警察に職務質問されて、『医者です』とは言えず、とっさにアルバイトを装ったこともありましたね(笑)」

当初は1日の患者数ゼロの日も続いたが、低価格であることが人々の目にとまり、徐々に患者が増えていった。努力が身を結び、開院からわずか3カ月でクリニックは黒字化。まずは順調な滑り出しを果たすことができた。

ところが、ここで相川代表は初めての失敗を経験する。患者数の伸びに安心して、価格を値上げしたのだ。すると、途端に客足が途絶えた――。

「昨日まで繁盛していたのが夢かと思うほど、待合室は閑古鳥が鳴いていました。翌月の決算は、なんと800万円の赤字。青ざめる私を両親も心配し、閉院を勧めてきました」

顧客のコンプレックスと向き合う美容医療へ

経営悪化の原因が価格にあることは、考えるまでもなく明らかだった。

「あれほど嫌った美容医療業界の“金儲け主義”に、自分も知らずのうちに走っていたのです。私の強みは“お客様の心に寄り添う医療”であったはずなのに、その原点を忘れていました」

再び価格を元に戻して出直したところ、馴染みの患者が戻ってきてくれた。そして、冷静に強みを考えた際、特に好評なサービスは脂肪吸引だということに気がついた。

相川代表によれば、脂肪吸引は高価な医療器具が必要なわけではなく、施術者の腕が物を言う治療だそう。患者の皮下に管を挿入し、せっせと管を動かして脂肪を掻き取っていく。反復作業で腕が疲れて体力を消耗するため、やりたがらない医師も多いというが、相川代表は違った。

「学生時代はテニスで鍛えていたので、腕の振りと体力には自信がありました。加えて脂肪吸引の作業自体も好きなので、つい“おまけ”でお客様が希望していない部分まで吸引してしまうことも(笑)。それが図らずも口コミで広がって、『あそこの病院は値段以上の治療をしてくれる』と評判になりました」

まぶたの二重手術や豊胸手術などは一度きりで終わってしまうが、脂肪吸引はウエスト、ヒップ、二の腕など複数個所を希望したり、太ってきたと思うとメンテナンスをしたりで、繰り返し来院する場合が多い。SBCグループが高いリピート率を維持できる理由のひとつが、ここにある。

「誰が一緒に喜んでくれるだろう……」

藤沢院が軌道に乗った2002年、相川代表はSBCのグループ化に乗り出す。新宿院を皮切りに、名古屋・大阪などに次々と開院し、やがて業界トップの座を争うまでに成長する。しかし、現実は甘くなかった。思ったようにスタッフがついて来ず、退職者が後を絶たなかった。

そこで、相川代表は自身が大きな過ちを犯していたことに気がつく。

「当時の私はストイックになりすぎて、“仕事マシーン”と化していました。人とのコミュニケーションも無駄という考えから、スタッフと話すときも機械的。相手に歯に衣着せぬ言い方もしていたと思います」

このとき、ふと相川代表の頭に「このまま業界トップになったとして、誰が一緒に喜んでくれるのだろう」との疑問がわく。そこから考えに考え抜いてたどり着いたのが、“三方良し”の経営だった。

顧客・従業員・社会の幸福のために

三方良しの経営とは、顧客・従業員・社会の三者が共に幸福になる経営の在り方だ。今のSBCの経営理念にもなっている。

「まず、お客様に幸せになってもらうことを考え、実践する。そうすれば、従業員は自分の仕事に誇りや、やり甲斐を感じることができます。その結果、SBCは社会になくてはらならないクリニックとして、社会に貢献し続けられます」

たとえば、ホームページに掲載している美容整形のビフォー・アフターの写真ひとつをとっても、相川代表の“お客様のために”の理念が表れている。他院では数人の治療例を、ビフォー・アフターの2枚のみを並べて紹介することが多い。それに対してSBCでは、過去5万5000人分の治療を途中経過も含めて記録し、ホームページ上で多数紹介している。患者は自分に合う二重の形や幅はどれか、どんな過程でキレイになっていくかなどのイメージがつかみやすくなる。

「お客様が本当に知りたい情報を提供したいとの考えで、約10年前から始めました。美容医療も“人の命にかかわる医療”ですから、正確な情報をオープンにする義務があると思っています。『お客様の命・安全を絶対的に守る』という、我々自身の覚悟のためにも治療写真の公開をしています」

世界一の伝説の美容クリニックを目指して

三方良しの経営の手本となったのは、伝説のクリニックといわれる米メイヨー・クリニックだ。

「全米で患者の支持率ナンバーワンを誇る病院のやり方を本で読み、『これだ!』と直感しました。メイヨー・クリニックに倣って、SBCも日本発の伝説のクリニックにしようと決意しました」

現在、SBCは美容外科のみならず、美容皮膚科、審美歯科、AGAクリニック、メディカルエステ、がん免疫療法、下肢静脈瘤治療など、全身領域のクリニックを手掛ける。さらには、近い将来、看護学校を開校してスタッフの育成にも着手する予定だ。ゆくゆくは医師の育成も視野に入れている。

3000人のスタッフを抱える経営者であり、ドクターとして最前線にも立つ相川代表。多忙ななかでも歩みを止めない秘訣は、「情熱」と「全力で生きる」ということ。

「できたら良いな、ではなく“絶対にやる”、そう自分自身に言い聞かせることで、目標は必ず達成できます」

相川代表愛用の手帳には、自身が考えるSBCの未来計画がみっちりと書き込まれている。2050年に見据える最終ゴールは、“世界一の伝説の美容クリニック”だ。

「人生の終わりに後悔することは、精一杯努力して失敗したことではありません。それは、おいおい笑い話になります。後悔に残るのは、やれば良かったのに“やらなかった”こと。私は自分の人生に、後悔を残したくありません」