急がば坐れ!~全生庵便り

依存を遠ざける方法:人はなぜ何かに依存するのか

2018.12.26

社会

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写真/gorodenkoff

今年6月、世界保健機関(WHO)は「ゲーム障害」を正式に疾病として認定しました。現代はゲームに限らず、ギャンブル、お酒、ドラッグ、恋愛など、さまざまな「依存」によって日常生活を脅かし、周囲の人間関係までも壊してしまう事例も多く見られます。人はなぜ、依存で身を滅ぼしてしまうのか。平井住職と考えました。

みんな何かに依存している

一般的には「依存症」というと、「ある程度の限度を超えて、何かにのめり込んでしまう状態」ということになるのでしょう。病気か否か、その境はどこかというと曖昧ですが、日常生活を保てるかどうかはひとつ基準になるかもしれません。

例えば、ゲームにお金と時間をつぎ込むにしても、お金と時間に余裕がある人とない人の間で日常生活への影響度に差が出てきます。極端な話、日常生活や仕事との兼ね合いが取れていれば、一日中ゲームしていても別に問題はないわけです。

ゲームに限らず、お酒、ギャンブル、セックス、恋愛など、何かに夢中になったり、のめり込んだりすることは誰しもあると思います。そういう意味では、程度の差はあれ、みんな何かに依存しているのではないでしょうか。

逆に言えば、人間は依存していないと生きられない生き物かもしれません。そもそも生まれたときは親に100%依存しないと生きていけない。「私は誰にも頼らない」と言う人もある意味、依存しています。そういうことを言うこと自体が“迷い”ですから、理想化した自分にすがっているのです。

依存を招く欲望は幻

依存は“やりたい”という思いに取り憑かれてしまうわけですが、その思いは幻のようなものです。

人間のあらゆる行動のもとは「心」です。心に何か思った瞬間からすべてのことが始まります。依存症はそこに幻が“ふっ”と入ってきて、まるでそれが存在するかのように感じてしまう。幽霊に取り憑かれているようなものだから、なぜやってしまうのか本人にもわからない。

何でもそうですが、ただお酒を飲む、ギャンブルをするだけなら依存症にまでなりません。病気にまで悪化するのは、ストレスやトラウマなどの抑圧から逃れるために“それ”をすることで、快感を得たり楽になったりすることを求めてしまうからです。それが幻の正体です。

何かをやり続けるという意味で「依存」と「熱中」が混同されることも多いですが、2つは別物。「熱中」は好きだからのめり込むという状態であり、「依存」はストレスやトラウマなどの抑圧から逃げている状態です。だから、「熱中」はいずれ冷めることもあるけど、「依存」は冷めることがありません。

先日、有名なマラソン選手が万引きで捕まりましたよね。医師から「窃盗症」と診断されていましたが、あれもひとつの依存で、万引きしているときの解放感を理性の力で抑えられない。トップアスリートとしてのプレッシャーやストレスもあったというから、そこから逃げたかったのでしょう。

本当は、それほど深刻になる前に坐禅でもさせた方がいいのでしょう。坐禅自体は依存しない強い心を鍛錬することも、病気を治すこともできませんが、自分が本気で依存しているものを断ち切る気があるか、覚悟があるかを知ることはできます。結局、自分から進んで治そうとしなければ依存を治すことはできないのですから、まず、坐禅などを通して自分の気持ちに気づくことは必要だと思います。

依存は心だけの問題ではない

依存は心だけの問題か、というと違うと思います。例えば、アルコールやドラッグは同じことを続けていると麻痺していくので、より強いものが欲しくなります。それは体や脳が求めるものです。体と心は不可分なので、当然、それは心にも大きな影響を及ぼし、結局、肉体も心も破滅に向かってしまいます。

自分で体を傷つけてしまうリストカッターも一種の依存ですが、あれに近いことは宗教にもあって、お釈迦様の時代には苦行というものがありました。

苦行を行うのは、いろんな煩悩や妄想が起きるのは肉体が穢(けが)れているからで、その肉体を傷つけ、苦しめることによって自分の中にある穢れを出していき、一番大本にあるアートマン(※)だけが残って純粋になっていく、という考えに基づいています。

肉体的な苦痛がある種の快感になっていくのかもしれないですが、あれもおそらく依存のひとつです。

リストカッターも最初は悩み苦しみがあって、そこから逃れたいと思ってリストカットするのでしょうが、それで周りの人が心配してくれたり、優しくなったりして快感を見出すと、やめたいと心で思っていても、またやってしまうのでしょう。

※サンスクリット語で「我」の意味。意識の最も深い内側にある個の根源。真我ともいう。仏教においては無我を知ることが悟りの道であるため「我」は存在しないとされる。

依存を遠ざけるには“形を整える”ことから

人間は一人では生きられません。他者との依存関係は、良い言い方をすれば“支え合い”ですが、“もたれ合って”しまうと「依存」ということになってしまいます。泥沼の恋愛関係や子どもが引きこもりになった親子関係なんかはそうですね。

依存を遠ざけるためには、まずは一人ひとりが自分の足で立っていること、“心の自立”が大事です。

でも、心の自立といっても、心は目に見えないものなのでいきなりは難しいかもしれません。まずは“形を整える”ことから始めましょう。形を整えるというのは生活を整えるということです。生活がきちんと形として自立できていないと、当然心も自立できませんから。

生活を整えるというのは本当に簡単なことで、十分に寝て、起きて、3食食べて、仕事をするということです。

それがちゃんとできるようになってくれば、あとは大抵のことはどうにかなります。自分で「これは良い」「これは悪い」と決めつけていると心が窮屈になります。大らかでいいんです。私も何かあったとき、いつもどうにかなるだろうと思っていますからね(笑)。