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[急がば坐れ!~全生庵便り]

禅的マネジメント【禅的思考で頭スッキリ】

電子雑誌「政経電論」第21号掲載
2017年03月10日
読了時間: 04分00秒

写真/片桐圭

企業に勤めていると、部下や後輩のマネジメントを任されることがあります。人的リソースは成果を出す上でとても重要ですが、うまくいくことばかりではないでしょう。問題は何でしょうか。性格? "ゆとり"だから? 迷宮入りしがちなこの難問を解決する糸口を、厳しい禅の世界に身を置く平井住職に聞きました。

平井正修プロフィール臨済宗国泰寺派全生庵
住職 平井正修(ひらい しゅうしょう)
1967年東京生まれ。臨済宗国泰寺派全生庵七世住職。1990年、学習院大学法学部政治学科を卒業後、2001年まで静岡県三島市龍澤寺専門道場にて修行。2002年より現職。2016年4月より日本大学危機管理学部客員教授として坐禅の指導などを行なう。著書に、『とらわれない練習』(宝島社)、『男の禅語:「生き方の軸」はどこにあるのか』(知的生きかた文庫)など。

人格や能力は叱らず、ミスは遠慮なく叱れ

禅宗で僧を育成する役目を負うのは主に修行道場ですが、特に新人研修用のメニューが用意されているわけではありません。1年目の人がやること、2年目の人がやること、という分担はあるものの、新人も基本的にはみんなと同じことを、入門してすぐに始めます。

もちろん規則や作法などの基本的なことは教えます。例えば、禅堂には左足から入るのが決まり。右足から入っても害があるわけではないし、左から入ることが道徳的に正しいわけでもありませんが、こうと決まっているものです。

組織や集団に属して生活していくからには、決まりは守らなければいけないし、それは上から下へ伝えていくものだと思います。

教える際、私が全生庵のみんなに徹底しているのは、できるようになるまで叱ること。能力的なことは、企業なら評価や給料に反映されるはずなので、叱る必要はないでしょう。人格的なことも叱るべきじゃない。

でも、教えたことや指示したことを忘れたり、報告しなかったりしたら、何度でも叱る。本当に何度でも。そうやって基本的なことさえできたら、組織はなんとかなるものだと思います。

教わる側はとにかく盗め

ただ、そうした基本的、表面的なこと以外は、人に教わるのではなく、自ら学び取るものです。言葉で教えられることには限りがありますから。

これは、われわれ僧でもサラリーマンでも同じことです。ルールや方法は教わることができるけど、技量は自分で身に着けるしかない。先達のすることを見て、自分なりに試行錯誤して習得していかなければなりません。

それを表す「白拈族(びゃくねんぞく)」という禅語があります。"白昼堂々盗む大泥棒"という意味ですが、師匠から盗めるだけ盗んでいく人といったニュアンスがあり、禅では決して悪い意味にはとらえられていません。盗むくらいの気概があってこそ成長できる。受け身でいては、人は成長できないのです。

平井住職

教える側は"よく見る"こと

一方、やる気が無い部下や後輩にどう対処するかで悩む上司や先輩がいると聞きます。修行道場では、やる気の無い者は「去れ」と言われますが、会社ではそうもいかないでしょう。そういう場合は、無理に意欲的な態度にさせなくてもいいと思います。その代わり"よく見る"。

何か仕事をさせてみて、1カ月も見ていれば、何ができて、何ができないか、大体のことはわかりますよね? それがわからなければ、上司になる資格は無いかもしれません。

やる気が無い人も、よく見ていれば何かしら得意なことが見つかるはずです。必ず、得意なことがあります。それを見つけて仕事を割り当てる。何より大事なのは、本人がそれに気づくことです。

まあ、世の中にはいろんな人がいるわけで、中にはどうしようもなくできない人もいるでしょう。でも、害が無ければ、ある程度は許容するのも人間社会の役割だと思います。"できない人"、それすらも多様性のひとつ。飲み会の話題になって面白いじゃないか、という程度に、おおらかに受け止めたほうが気持ち良く働けるのではないですか。

教える側も教わる側も互いに学び合う

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