2014年に安倍政権が「地方創生」を掲げてから4年余りが過ぎようとしている。毎年1000億円の地方創生推進交付金が予算組みされているものの、微妙な計画も多く、地方の人口減と都市部への集中に歯止めがかかる気配はない。何をすれば「地方創生」は果たせるのだろうか? 町おこしのプロデュースや地方創生の最前線で活躍する人材の育成を手掛ける、一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンス代表理事の木下 斉氏に、地域経済を再生させるために必要なポイントを聞いた。
稼ぎ方を“忘れさせられた”地方
日本は地方を食い物にしてきた歴史がある。戦後の復興から高度経済成長期にかけて工業化を進めるなかで、地方は食料と労働力を“安くたくさん”都市に供給する役割を担い、農林水産業を中心に、小規模で最低限の生産活動を営むよう国から指導された。その対価として、地方は工業化した都市が稼いだ富の一部を「交付金」という形で受け取ってきた。その結果、地方は努力をしなくても食べていける、逆に言えば、稼ぐことを考えない構図ができあがったと木下氏は指摘する。
「農業も水産業も林業も、昔はビジネスとして成立していました。多くの地域はそれらの生産活動を基礎として繁栄し、その人口集積をもとに都市が現れ、経済が成立していました。明治維新以降は急速な人口増加、工業化への注力といったこともあり、伝統的な農業地域は膨張する人口を食わせるための食料供給地としての役割へと相対的に地位を低下させ、特に敗戦後にその分担は明確になりました。
空襲で壊滅的な都市部、膨大な引揚者と急激な人口増加、凄まじい飢餓が日本を襲います。さらに地方の食料供給地としての役割が強化され、それと同時に戦後復興は改めて工業力を復活することが優先され、これが成功します。
今度は食料制約が相対的に緩やかだった地方で生まれた人々が、工業化に必要な労働力として都市に移転されていきます。食料についで人口の大移動です。
『金の卵』といった集団就職などの時代は、今と比にならないほどの地方から東京への人口移動の時代でしたよね。日本では財政均衡化政策が戦後導入されていたので、この差は地方交付税交付金によって是正されてきました。一方で、それは安価で大量の『食料』と『労働力』を地方から都市へ移転した際に発生するマイナス、と同時に日本円で統一され独自の金融政策が打てない地方と都市の間に発生するマイナスを埋めるものでもありました。
しかし、それでも不十分だという声は大きくなり、田中角栄の“日本列島改造論”のような都市と地方を膨大なインフラ構築で結び、国土全体を発展させる……というのは、全体計画コンセプトですが、地方には2つの大きなインパクトを与えたと思います。
ひとつは土木関連事業という農林水産業に替わる主力産業が形成され、多くの経営者も労働者も農林水産業との兼業、もしくは完全にシフトしたわけです。もうひとつは地方公務員の給与を国家公務員連動に変化させるなど大きく引き上げたことです。
これは地方に一定の教育投資を受けた人材を引き止める効果を生みましたが、一方で優秀な人材は公共部門に吸収されることになっていきます。結果として、産業と人材が役所主導となり、地方が独自の生産力で豊かな地域を形成するという道筋とは大きく乖離して今に至ります。
しかし、バブル経済が崩壊、人口減少社会において産業構造も変化が求められるなか、かつての勢いを失った日本は都市が稼ぐ富だけで日本全体を支えることは極めて困難になってきています。近代化のなかで失った地方が自ら稼ぎ豊かになる、ということを今の時代に即して考える必要が出てきています」
財政移転で与えられる「交付金」で経済を賄ってきた地方は、「経済を再生させろ」と指令を受けても、どうすればいいのかわからない。50年以上も「稼がなくていい」と言われてきたのだから当然だ。地方が自分たちの町を活性化させる手段を考える際も、「どうやって補助金をもらうか」が議論の中心。国の政策に則って補助金をもらうことが、地域再生と同義語になっていた。
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貧乏になるための補助金。無駄だらけの地方創生事業
補助金で行う町おこしは、手に余るものを作りがちだ。補助金目当てに計画を立案し、無用なインフラをたくさん作って維持に悩むという話をあちこちで聞く。極端な話、国からお金をもらえばもらうだけ、地方は貧しくなっていく。事業の視点から見れば、そもそも維持に悩むものを作る方が悪い。
「融資や投資ならリターンを考えて事業計画を査定しますが、国からの補助金だと、戻ってこなくても表面上は誰も困らず、また新しい計画を考えて補助金を引っ張ってくればいいと考えます。けれど、冷静に考えればおかしい。資金の戻ってこない事業にお金を出す人はいませんし、そもそも維持に困るような赤字の事業を考えません。
ほとんどの補助金事業は、赤字になる事業を策定し、いかに補助金が必要かを説明する。せっかく出る予算だからと不必要な設備投資を計画に入れてしまい、結果として膨大な維持費が発生。それらは地方の負担となって、民間部門も公共部門もさらに貧しくなっていく。補助金をもらえばもらうほどに貧しくなる理由です。
200万の事業をやるのに100万円をもらって、維持費で毎年20万損するものを10年続けないといけない、みたいなばかみたいなことをやっていたら、どこまでいっても豊かにならないのは明白です。
何しろ地方には人的リソースが少ない。それなのに、貧乏になるための補助金をもらうべく、少ない人材が頭を悩ませて申請書を書いている。そんなのまったくの無駄です。同じ労力を使っても、少なくとも民間としては稼ぎとなり、公共としても財政負担が拡大しない方法を選択すべきなのは言うまでもありません」
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地域再生には時間がかかる
政府は、「地方創生」を日本経済再生のために急務だと考えているようにみえる。しかし、急ぎ過ぎだと木下氏は指摘する。町おこしは早くても10年、下手をすれば50年かかる。今年何かをしたからといって、来年急速に再生することはなかなか難しい。にもかかわらず、国は地方に経済再生のためのプラン作りを急げという。
「例えば地方創生が始まる際には、数カ月でその総合戦略を策定して提出しろと言ったわけですが、地方の行政機構は長い間『やること』と『やるのに必要な費用』は国がメニューと予算で提供してくれたことに最適化されているので、そんなことに突然対応できるはずがありません。さらに国も“地方独自の考え”といいながら、査定はするわけで、やはり国の担当が考える良い計画というものの像に左右される。
既に地方自治体では良い人材を集めることは困難になっています。北海道庁でさえ就職者が激減して親御さんのところを回って就職をお願いするわけです。さらに財政的に困窮していれば、新規採用枠も長らく絞ってきてしまったことで、ギリギリの人員でやっている。だから日頃のことで手いっぱいで、いきなり地方自治体が独自に地元の再生に即す戦略を数カ月で発案するなんて不可能なわけです。
にもかかわらず、それを強制する。結果として東京のコンサルタント会社に丸投げするところが多発しました。地方創生総合戦略の策定予算 の10%が都内のとあるシンクタンクに発注されていたということも報じられたほどです。ただ、そうなるには、そうなる理由があるわけです」
そして、国だけではなく、地方にも問題がある。自分たちの地域であり土地なのだから、本来は国に言われなくても率先して地域の活性化をしなければいけないが、国に予算を付けてもらって何かをしようと考えている地方は、残念ながらいまだに存在するという。
「バラマキ型の地方振興には批判が集まるから、国は有識者などを集めて事業計画を精査するという。しかし、優秀な地方創生プロジェクトを計画書だけで判断するのは不可能。どの事業が成功するかはやってみないとわかりません。
成功する事業が予見できるなら、誰も苦労はしません。つまり国は地方に『自由な発想を』といいながらも、バラマキとは批判されたくないために有識者審査をかませて精査をして歪めてしまう。何重のも複雑に入り組んだ矛盾がそこにはあるわけです。
しかも精査の内容は事業の成功という軸ではない手続き、体裁に関するものばかりです。これらの影響を受けないのは、自分たちで資金調達して、自分たちで実践するというシンプルな方法です」
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地域再生は民間の資金で行政を動かす
「町おこし」「地域再生」「地方創生」を本気で成し遂げたいなら、まずは民間の資金でなければダメだと木下氏は力説する。
「地方再生や町おこしは、政策ではなく事業です。誰かの富を使うことではなく、自らその地域の力を使い、富を生み出すのが最重要課題です。
江戸後期、600の農村再生を人口減少の北関東・東北地域を中心に果たした二宮尊徳は、「荒地の力をもって、荒地を開く」と言います。つまりその地域の資金や土地を使って、新たな作物を育て、付加価値をつけて売ることで荒地は後に、立派な生産の場にすることができる、というわけです。
そして、その利潤を次に投資し続ければ、どんどんと事業を拡大していくこともできる。そのためには、補助金という役所の資金で民間が動くのではなく、民間の投資や融資で事業を立ち上げ、それに従って民間と役所が連動することが大切になります。
そうすれば事業を成功させなければいけない責任感は自ずと発生し、計画を変更することも事業の成功のためなら当然です。『計画書通りにやってくれ』なんて話にはならない。リスクは応分の金利に反映されるので、適切にリスクに応じた事業内容、投資回収期間に設定され、当事者はリスクとリターン、資金調達コストを超える利益率を出すためのプランを考えます。
このような自分の頭で考えるプレッシャーが事業を強くし、地方の独自性を高めていきます。国や地方自治体のようにリターンを求めない、前例などを理屈にして成功を探り、計画主義的に物事を進める資金提供者は、時代の変革期における方法論が極めて不透明な今の時代には、実は一番迷惑な存在なのです。
行政マンのような人的問題ではなく、行政機構自体の問題です。役所の心ある方々も既に気づいていますが、近現代の行政機構が積み重ねてきたこれらのコモンセンスはそう簡単に変更は難しい。だからこそ、民間が自ら新たな取組を新たな仕組みでトライしていくことからしか変わらないと思うのです。
確かに、投資や融資ではお金を集めにくいのは事実です。補助金の方が、書類を書けばまとまった額の資金を調達できることもあるでしょう。ただ、簡単にできることが支援になるということでも、多額の支援が事業の成功を約束するわけでもありません。
中・長期的に見て、収支のバランスが取れた事業に資金を投入すべきで、しかもそれは当初にはわからず、試行錯誤しながら計画変更をかけつつ、結果としてそうなるものだけが残存するという方式にかけないといけないのです。そういう属性には、税金より民間資金の方が適していることが多々あるのです」
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志のある地権者、求む
地域再生を考えた際、要になるのが土地を持つ地権者の存在だ。昨今、地権者たちが地元をあきらめ、土地を売れるうちに売り逃げ、東京などの不動産に転換する動きは加速している。木下氏は、地域再生に投下した資本が地域外に流出し、地域経済を循環しないのが一番の問題点だと懸念する。
「地元の裕福な人が地元に投資しないで財テクばかり考え、有力な地権者が地元から上がる収益を株や都心の土地に投資しているようでは、その地域に未来はありません。かつて地元の名士たちは、産業に投資し、教育に投資し、金融システムを作り出すなど、地元を成長させようと模索していましたが、そのような人が乏しくなってしまっています。儲かったお金を外に持ち出しているからです」
土地は経済活性のバロメーターであり、地域再生によって、「住みたい」「オフィスを設けたい」「ホテルを建てたい」といったニーズが集まれば、土地の価格は上がる。町おこしで誰よりも利益を享受できるのは土地の地権者のはずなのに……。
「地元に投資する気がないなら、やる気のある人に土地を売ってもらって、新しいオーナーの下で稼げる会社や店舗を集めて、彼らが活躍できる場を作った方がよっぽど地域再生につながるのです」
事実、北海道のニセコや倶知安(くっちゃん)は、「雪しかない土地に誰が投資してくれるのか」と半ばあきらめて、タダ同然の値段で土地を売り、オーナーが切り替わったところから皮肉にも新しいビジネスが立ち上がって注目される土地になった。
「地方の最大の魅力は、地代が安いことです。都心部でレストランを経営するといっても、月100万円の家賃を支払って経営するのは、売上があっても大変です。地方において食材も生産しながら、家賃8万円の一軒家を改装して経営する方が実は収益性が高かったりするのです。また、インフラが良くなり、自動車に乗って人が移動する現代においては、1時間ほど足を延ばしてうまいものを食べにいく、というハードルは思うほど高くなくなっています。
さまざまな飲食店を農村に集めている島根県邑南町(おおなんちょう)の取り組みでは、邑南町のレストランに広島市内から客が足しげく通い、広島市内の支店よりも実は収益性が高かったりします。休みも年に1カ月も2カ月もとっていて、良い若いシェアが集まっています。
都市部で休みなく働かされるレストランより魅力的に映るわけです。このように地代が安く、都市部から十分にアクセスできるという立地はたくさんあります。その構造を最大限に活用して、次なる産業を起こすのが一番の方法。
ただし、景気が良いときに金利を上げれば経済が収縮するのと同じ原理で、ビジネスが成功しそうな気配があるときに地代を上げてしまっては、地域再生の芽を摘んでしまいかねないので注意が必要です。
ちゃんと刈り取る前には種まきが必要であり、水やりが必要であるということを地権者は十分に知ることです。それは政府の経済政策とか以前に、自分たちの行動にかかっていることを地権者は十分に認識する必要があります」
「みんなのためになぜ私だけが投資しなければいけないのか」と考える人もいるが、木下氏は「みんなのためにお金を投げ出せ」と言っているのではない。自分の町に投資するのは、資産の有効活用であると説いているだけだ。
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重要なのは「アイデア」ではなく「行動」
木下氏が代表理事を務める一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンス(AIA)では、地方の人たちと会社を設立して、町おこしに取り組んでいる。地方で新しいビジネスを始めるのは、“日本全体の地方創生”という意味では与える影響は微々たるものかもしれない。しかし、小さいことでも続けることで全国に拡散し、数が集まればいずれ山も動かせる。
中央政府がコントロールする大きな政策では、もはや地域再生の問題は解決しない。それよりも、小さな取り組みを横にどんどん広げた方が、地方創生は実現するのかもしれない。これからの時代は、「選択と集中」ではなく「自由と拡散」で戦うのだ。
「町おこしでは、ヒーロータイプの人材を評価しがちです。成功事例を持ち上げて、みんながそれに追随する。でも、それぞれの地方が必要とする事業は異なるし、地域の特色だってさまざま。ほかで成功したからといって、自分たちの町でも成功するとは限りません。成功しないのは、ヒーロータイプの優秀な人材がいないからだと言い訳をしますが、そんな思考こそが失敗の原因です。
だからこそ、いま地方での動きは極めて分散したものが、ネットワークで接続されて成長するようになっています。農林水産業などの分野や地方が保有する自然資産などを活用し、稼げる構造に変化させようとする取り組みが次々と出てくるようになっています。
そして、それらは等しく若い世代、ある意味ではポストバブル経済世代が、従来の成長も、成功体験も知らない、だからこそ現実に即した思考を持ち、動くことによってそれを作り出していたりします」
職業柄、木下氏が成功事例と一緒によく尋ねられるのが「アイデア」だ。うちの地元に合う良いアイデアはないか?という問い合わせが後を絶たないという。しかし、木下氏は「アイデアなんてどうでもいい」と言い放つ。
「地域再生で一番悪いのは、何をすれば当たるか?を考えること。答えなんてないし、失敗を回避することばかり考えて短距離で最初から成果に到達しようとする思考をやめることです。重要なのは、まずは第一歩を生み出すことです。
『アイデアが無い』は失敗したくない人の言い訳で、アイデアはあるはずです。無いならひとまず思いつきでも動き出さないと、良いアイデアなんて出てきません。じーっと会議室で議論しても、下手の考え休むに似たり。ましてや、自分で考えもせずに、もっともらしい成功事例をパクった二番煎じのアイデアを提案してくるコンサルタントの尻馬に乗った方が危険です。
とはいえ、その方が人のせいにできて失敗してもプライドも保たれて楽だろうし、失敗したときに組織で責任を取らなくて済むかもしれません。しかし、そんなどうでもいい小さな保身を優先したら、地域と共に自分の未来も厳しくなることを認識すべきです。そういう意味でも、無いのは、アイデアなんかでなく、ともなく一歩を踏み出す“勇気”です。やった先にこそ、後から見れば最もらしい道ができ、その地域なりの答えが見えてくるわけですから」