米中の覇権争いの犠牲になった香港 香港版「国家安全法」

「香港独立」の旗を振るデモ隊 写真:ロイター/アフロ

社会

米中の覇権争いの犠牲になった香港 香港版「国家安全法」

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2019年後半、香港では「逃亡犯条例」改正案に端を発したデモの嵐が吹き荒れた。2020年に入ってからは新型コロナウイルスの影響で一時期デモ活動ができなくなったが、香港が感染拡大をうまく抑えたため、再びデモ活動が4月半ば過ぎから少しずつ始まっていた。そんな折、中国の国会に相当する全国人民代表大会(全人代)は、香港において国家の分裂や転覆行為などを禁じる香港版「国家安全法」を5月28日に採択した。多くの人にとって寝耳に水だったのだが、一体、何が起こったのか?

中国・全人代による香港を統治するための裏技

「逃亡犯条例」の改正案は、法案自体は2019年10月23日に香港政府が立法会で正式に撤回することを表明したが、民主派はデモにおける5大要求「条例の完全撤回」、「警察の暴力に関する独立調査委員会の設置」、「デモの“暴動”認定の取り消し」「逮捕されたデモ参加者の釈放と不起訴処分」「行政庁長官選挙、立法会議会選挙について普通選挙の実現」のうちの1つが撤回されただけとしてデモ活動を続けていた。

香港政府は2003年に基本法23条に基づく国家安全条例の制定をしようとしたが、そのときも大規模なデモが発生し法制化を断念。今回の「逃亡犯条例」改正案も宙に浮き、中国政府は我慢の限界に来ていた。

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中国の社会統制について中国政府は2015年7月に国家分裂や政権転覆、組織的なテロ活動、外部勢力による内政干渉を禁じる「国家安全法」を制定・施行し、「国家主権と領土保全の維持は香港、マカオ、台湾住民を含む中国人民の共同義務」とまで規定している。問題なのは、何が国家分裂なのかといった定義や法律の執行の要件が不透明で、どのようにも解釈できるため、政治活動や言論の自由が大幅に制限される懸念があることだ。

香港は1国2制度であるため中国の法律を香港に適用することはできない。ただし、基本法18条には“付帯文書3を除くものが適用される”と例外規定が設けられている。つまり付帯文書に記載すれば適用できるということだ。例えば、国旗は中国のものを使用する、香港人の国籍は中国となるなど13の付帯文書が存在する。この付帯文書は全人代で採択し、詳細は全人代常務委員会が制定することが可能だ。

業を煮やした中国政府は、基本本18条の付帯文書3に追加するという裏技を駆使して香港を統治することを決め、5月28日に香港版「国家安全法」が全人代で採択された。そして、これは中国で作られる法律であるため、香港側は何も抵抗することができない。

共産党統治の正当性を揺るがす問題の芽は早めに摘みたい

付帯文書3を連発することになれば「1国2制度」の根幹が揺らぐことになる。

香港版「国家安全法」は、全人代常務委員会で詳細を決め、8月に公布されると見られている。やはり心配なのは、香港の言論の自由が脅かされる可能性が高いという点だ。詳細は決まっていないが、おそらくデモが禁止されたり、中国を侮辱するような行為などが禁止されたり、中国の公安が香港内に入ってきて逮捕されるのではないか?という懸念が高まっている。

2015年に中国共産党体制などを批判する書籍を販売していた香港の「銅鑼湾書店」の店長が中国の公安当局に一時期拉致・監禁事件があったが、それが香港の日常となる可能性が出てきたわけだ。

突如降ってわいたような話だが、中国・国務院の韓正副総理によると2019年10月28日~31日までに開催された中国共産党第19期中央委員会第4回全体会議(四中全会)で香港版「国家安全法」を作るという方向性が決まったとしている。つまり、香港政府が「逃亡犯条例」改正案を撤回したことを受け、数日後に四中全会で、中央が主導してやろうという判断になったと思われる。

香港という“変数”に加え、2019年末に武漢で新型コロナウイルスが発生し、それが韓国、日本、ヨーロッパ、アメリカ、南米へと広がっていった。中国の初期対応が誤りだったと世界中から非難されているのと、中国国内でも経済的に大ダメージを負い失業者も増加。

経済の不安定が社会の不安定になり、共産党統治の正当性が揺らぎ、国が危うくなる……。国際社会から非難を受けてでも香港の問題の芽を一気に摘んでしまおうというのが見え隠れする。そうすれば、国際社会の関心も新型コロナウイルスを拡散させた国というイメージからそらさせることができる。

香港は今後、特別扱いを受けられなくなる

香港は今後どうなるのか? 香港版「国家安全法」の詳細な条文次第だが、香港の世界の金融センターとフリーポート(自由港)として地位が低下することは避けられなくなる。香港の地位を左右するのが、1992年制定の「米国-香港政策法(The United States–Hong Kong Policy Act)」と2019年にできた「2019年香港人権・民主主義法(Hong Kong Human Rights and Democracy Act of 2019)」というアメリカが定めた2つの法律だ。

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前者は、アメリカは通商・経済に関して、1997年の中国返還後も香港を完全な自治がある地域として扱うことを合意したもの、つまり香港は中国のほかの都市とは違う扱いを受ける。後者は、香港における民主的制度が機能しているかチェックするもので、2023年まで毎年報告書を作成して国務長官名で発行する。

米トランプ政権は香港版「国家安全法」の採択にあたり、「香港に十分な自治はなくなり、私たちが提供してきた特別な地位に値しない。関税や渡航の優遇措置を取り消す。中国は『1国2制度』を『1国1制度』に置き換えた」と非難し、特別扱いをやめる方針を打ち出した。

優遇措置の取り消しの中には、人民解放軍の結びつきのある学生や研究者、約3000人を対象にビザの効力を停止するのではないかといわれている。これにより先端技術と知的財産の保護を行う。親中派政治家の子どもがアメリカに留学しているケースもあり、その扱いも注目されている。また、政府高官や政治家に対してアメリカへの渡航禁止、アメリカ国内に保有している資産は凍結になるのではないかという話も流れている。

中国は香港を外資マネーの玄関口として利用してきた。対中直接投資全体の7割は香港経由だが、今後、香港で資金調達をして中国本土に還流できなくなるのは大きな痛手だ。

香港には約8万5000人のアメリカ人が住んでいるといわれ、オフィスを構える米企業は1300社あり、香港社会での存在感は大きい。

アメリカから香港への輸入額は約2130億香港ドルで、半導体といった電子機器やハイテク製品などが多い。特別扱いがなくなると、米企業は香港に製品を輸出するとき、中国本土と同じ厳しい規制を強いられ、アメリカ企業がダメージを受けることになる。それと同時に中国企業にとってもハイテク製品の輸入のハードルが上がる。

昨年からアメリカのターゲットになっている中国の通信大手ファーウェイ(華為科技)が本社を構えるのは香港のお隣の深センで、まさに香港を活用してきた企業の代表。同社は5月15日に新たな規制措置を受けており、さらに厳しい状況に追い込まれるだろう。

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新型コロナウイルスは米中の覇権争いの分岐点に

感染症は人類の歴史を変えてきた。それは2003年に香港を襲った重症急性呼吸器症候群(SARS)にも当てはまる。SARSにより香港経済がダメになり、国家安全条例について大規模なデモが行われ、経済的にも、政治的にもズタズタになった。

中国政府は香港を救済するために、香港政府と経済緊密化協定(CEPA)という中国国内版の自由貿易協定(FTA)を締結。香港は経済回復を果たしたが、その代わりに中国依存になり、中国人も大量に香港に流入した。その結果、住宅価格は高騰し、一時期は粉ミルクが不足するなど、中国人に対する不満が高まった。

また、行政長官選出の普通選挙をめぐって2014年に起きた雨傘運動は、2019年の「逃亡犯条例」改正案へと発展していく。

SARSがなければ、これらの出来事はまず起こっていない。それを考えると、新型コロナウイルスによる感染症は香港のターニングポイントだけではなく、米中の覇権争いの分岐点になる可能性も十分にあり得る。