菅義偉首相が自民党総裁選への不出馬を表明し、菅内閣は発足から1年で幕を下ろすことになった。新型コロナウイルス対応に批判が集まり、最後は「政局の読み違え」で自民党内から総バッシングを浴びた首相だが、1年で「デジタル庁」を立ち上げるなど実績を評価する声もある。次期首相選びが本格化するなか、「国民のために働く内閣」の働きぶりを冷静に振り返る。
安倍政権同様に“決定力”はあった
「『国民のために働く内閣』として改革を実現し、新しい時代をつくり上げてまいります」
安倍晋三前首相の長期政権の後を受け、2020年9月16日に第99代内閣総理大臣に就任した菅氏は、初めての所信表明演説をこう締めくくった。マスク越しではあったが、首相の意気込みと自信が伝わる、力強い言葉だった。
安倍政権末期は3割台だった内閣支持率は、菅内閣発足直後、6割を超え、第2次安倍政権の発足直後を上回るほどの国民の期待を集めた。安倍長期政権の“おごり”や官僚による“忖度”、安倍首相の“お坊ちゃま”気質に多くの国民の批判が高まっていたなか、菅首相の“たたき上げ”エピソードや仕事人ぶりが好感された。官房長官として安倍政権の中枢を仕切ってきた実績から、自らの政権運営にも相当な自信を持っていたとみられる。
首相が所信表明演説で掲げたのは、
- 新型コロナウイルスと経済の両立
- デジタル社会の実現
- グリーン社会の実現
- 活力ある地方を創る
- 新たな人の流れをつくる
- 安心の社会保障
- 東日本大震災からの復興、災害対策
- 外交・安全保障
- その他
――の9本柱。改めて振り返るとうまくいっていないものもあるが、たった1年で実現した政策もある。
最大の実績はデジタル庁の創設だ。菅首相はコロナ禍で行政のIT化の遅れが目立ったとして、行政のデジタル化をけん引する組織として2021年中に発足させる方針を表明。各省庁から400人、IT企業などの民間から200人を集め、600人の組織として2021年9月1日に発足した。検討開始から法律の制定、設立まで国家組織としては異例の速さで、所管する平井卓也デジタル改革担当相も「通常ではありえないスピード」と胸を張る。各省庁のシステム予算を一元管理し、協力しない省庁に勧告ができるなど強い権限も付与した。
次にわかりすい実績が、携帯電話料金の値下げだ。菅首相は総務相、官房長官時代から携帯料金の値下げにこだわってきたが、所信表明演説でも「携帯電話料金の引下げなどはできるものからすぐに着手し、結果を出して、成果を実感いただきたい」と明言。2020年10月には総務省が料金引き下げに向けた「アクション・プラン」を発表し、携帯各社はUQモバイルや(KDDI)ワイモバイル(ソフトバンク)などのサブブランドで料金引き下げプランを打ち出した。さらに武田良太総務相が「メインブランドについては新しいプランは発表されていない」と批判すると、各社はオンライン専用の格安料金プランを発表した。データ容量20GBの料金では、東京で前年比6割下がったという。
政策決定プロセスの不透明さや唐突さなどは常に批判も浴びてきたし、政策自体にも賛否はあるが、2050年カーボンニュートラル(脱炭素)宣言 や東京電力福島第一原発の処理水の海洋放出決定、最低賃金の引上げも評価する声がある。安倍政権同様に“決定力”があったのは間違いない。
新型コロナ対策、東京オリ・パラに賛否
一方、最も評価が低いのが新型コロナ対応だろう。所信表明演説でも掲げた通り、首相はコロナ対策と経済の両立にこだわり続けた。結果的に感染が収束しない段階で観光や飲食業を支援する「Go Toキャンペーン」を打ち出して感染再拡大を招き、あわてて中止したり、緊急事態宣言を発令したかと思ったら中途半端な段階で解除して再拡大を招いたりと、終始ちぐはぐな対応に追われた。
また、感染収束の切り札として期待をかけたワクチン接種も思うように進んでいない。接種体制を構築したものの、7月~8月にはワクチンが足りないという自治体が続出。河野太郎規制改革担当相 は9月6日に、12歳以上の国民の9割が接種完了できるワクチン量を10月までに輸入完了すると見通しを示したが、現場の地域格差にはまだ少し時間がかかりそうだ。
9月9日段階で1回目の接種を終えた人は全国の62.1%、2回目を終えた人は50.0%(参照:Our World in Data)にとどまっており、感染力の強いデルタ株の流行で連日1万人以上の新規感染者が発覚している。麻生太郎副総理兼財務相は9月7日の記者会見で「コロナはまがりなりにも収束した」と語ったが、そんな認識を持つ国民はほとんどいないだろう。
評価が分かれるのは東京オリンピック・パラリンピックだ。開催前は多くの国民が「中止」か「延期」を求めたが、菅内閣は“政権浮揚策”に期待をかけて開催を強行。実際に大会が始まると競技の盛り上がりから風向きは少し変わったが、事前に予測されたとおりに大会関係者の感染が相次ぎ発覚し、批判を招いた。結局、オリ・パラの開催が内閣支持率の上昇に寄与することはなく、パラリンピック閉会を目前にして首相は自らの不出馬表明に追い込まれた。
なぜ1年の短命に終わったのか
安倍長期政権を中枢として支えた経験から、菅首相は今「安倍政権と何が違ったのだろう」と頭をひねっているかもしれない。明らかなのは2つの理由だ。
一つは保守的な政治思想で知られる安倍首相のような“岩盤支持層”が無かったことだ。憲法改正を訴えたり、安全保障関連法を制定したり、靖国神社に参拝したり、ときに賛否の割れる行動をとってきた安倍首相には、何が何でも支持する一定の有権者がいた。モリカケ問題で批判されようと、桜を見る会で批判されようと、そうした支持層は安倍首相支持から離れることはなかった。菅首相は良くも悪くも政治思想がフラットで、常に揺れ動く有権者の心をがっちりつかむことができなかった。
もう一つは無派閥ということ。安倍首相は党内最大派閥の細田派出身で、現在は一時的に離脱しているものの、遠からず「安倍派」に衣替えされるとされ、一定の影響力を保つ。それに対して菅首相は無派閥。政権発足時は安倍前首相に加えて第2派閥の麻生派率いる麻生副総理、二階俊博幹事長らに支えられ盤石の体制だったが、各派閥の支持が崩れ始めると足元はもろかった。衆参の無派閥議員による「菅グループ」の存在が指摘されるが、派閥ほどの結束力はなかった。
それに加えて首相の発信力の欠落も大きかった。官房長官時代は仏頂面で記者会見に臨んでも問題なかったが、一国のトップがそれではいけない。数々の決断の際に丁寧に説明したり、ときには素顔を見せたりする場面があれば、これほどの短命には終わらなかったのではないか。
多くの期待を受けて発足した菅政権。一定の実績は残したものの、短命に終わるということが最大の欠点となった。