車いすラグビー日本代表のエース、池崎大輔選手

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車いすラグビー池崎大輔選手と三菱商事、「誰もがスポーツを楽しめる世界」目指す

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2021年夏、東京オリンピックとともに人々の胸を熱くした東京パラリンピック。連日、競技が生中継され、パラスポーツに対する驚きや感動が話題を席巻した。大会を通して生まれた “レガシー”を最大限に継承していこうという企業がある。パラスポーツをサポートする三菱商事だ。同社が進める「DREAM AS ONE.」プロジェクトの担当者と、所属アスリートで車いすラグビー日本代表のエースとして活躍する池崎大輔選手にパラスポーツに対する思いを聞いた。

「DREAM AS ONE.」のパラスポーツ教室、参加者が10倍に

DREAM AS ONE.

三菱商事が社会貢献活動として取り組んでいるプロジェクトで、2014年10月に発足。パラスポーツのすそ野を広げることを目的に、足掛け8年、パラスポーツをする人と応援する人の双方に働きかけてきた。障がいを持つ子どもがさまざまなスポーツを体験できる教室や、健常者の理解を深めるパラスポーツ体験会を主催するほか、パラスポーツの大会を協賛し、社員がボランティアとして大会運営に携わる。また、三菱商事は7人のパラアスリートを同社所属選手としてバックアップしており、車いすラグビーの池崎選手もその一人。

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「DREAM AS ONE.」の一環で行っている障がい児向けスポーツ教室「DREAMクラス」は、始めた当初は3~5組ほどしか集まらなかったのが、最近では定員40~50組の予約枠がすぐに埋まるようになった。プロジェクトに発足当初から携わる三菱商事の担当者は「口コミで広めていただいているようで、とてもうれしい」と語る。

「ご協力いただいている東京YMCAのインストラクターの皆さんは、子どもたちに出来ないことがあっても無理をしてやらせるのではなく、出来る範囲で一緒に体を動かして楽しい時間を過ごせるよう工夫されているので、そんなところが評判を呼んでいるのではないかと思います。

親子でのご参加をお願いしているのは、お父さんお母さんに、専門家の指導ぶりを見ていただくという意図も含んでいるんです。教室から帰った後も、保護者の方と一緒に身体を動かし、その子の日常にスポーツが定着してくれたらと期待しています」(三菱商事の担当者、以下同)

DREAM AS ONE.の5年で気づいた障がい者スポーツの“応援の輪”を広げる方法

2019.11.11

健常者向けの体験会も、地道に効果を上げている。例えば車いすに乗ってぶつかり合うなど、パラスポーツでなければありえない非日常のシーンを体験すると、改めてその競技の魅力に気づく人が多い。

「体験会にご参加いただいた方から『面白かった。今度は試合を観に行きます』と言っていただいて、実際に試合会場でお会いできたりすると、この活動をしてきて本当によかったと思います」

大会へのサポートといえば、2019年秋に行われた「車いすラグビーワールドチャレンジ2019」。スポンサーとして、主催者と共に集客や演出などに力を尽くした。

「ラグビーワールドカップと同時期の開催だったので『One Rugby』としてPRする作戦を取り、たくさんの方に足を運んでいただくことができました」

パラアスリートの魅力で子どもに夢を、大人に理解を

東京パラリンピック前には、社内でオンライン壮行会を開いて、応援ムードを盛り上げた。三菱商事からは池崎選手のほか、同じく車いすラグビーの今井友明選手、競泳の東海林大選手、辻内彩野選手、西田杏選手がパラリンピックに出場。大会中や閉会後は、各選手のプレーやパーソナリティがメディアで広く伝えられた。

「この状況を、本当にありがたく受け止めています。教室や体験会など、すそ野を広げる活動と、トップアスリートの活躍による認知度や理解度の向上は、パラスポーツ普及を推し進める両輪だと思います。アスリートの皆さんがかっこいい姿を見せて、子どもたちの憧れの存在になることはとても大事です。

また、大人の方々にも、パラリンピックをきっかけに、当社が選手を支援していることを知っていただけたら嬉しいですね。企業にもできることがあるとわかっていただいて『うちもやってみようか』と輪が広がれば、その先に当社が目指す“インクルーシブ社会”があると思います。私たちも、パラリンピックのレガシーをつないでいけるよう、しっかり活動していきたいです」

車いすスポーツは、プレーできる施設の少なさも普及を妨げる一因になっている。タイヤ痕や、車いすでの転倒による床の損傷を心配して、車いすスポーツに利用を許可しない施設が少なくないからだ。

逆に言えば、既存の体育館でも機能・性能的には車いすスポーツの試合や練習は可能。新たに巨額の投資がなくとも、理解や共感が広がれば、プレーできる場所が格段に増える。そういった意味でも、トップアスリートの活躍は、競技を取り巻く環境を一変させる可能性がある。

「アスリートが強くなり、ファンがついて、企業がサポートをする。良い環境の中でまたアスリートが強くなる。この好循環を実現したいですね。池崎選手もそうですが、そのために結果を出すんだというプロ意識を持つ選手が最近確実に増えているように思います」

「悔しい」銅メダルの池崎選手、パリでのリベンジに燃える

池崎選手たち車いすラグビー日本代表は、パラリンピックで快進撃を見せた。予選を3戦全勝のグループ1位で通過し、金メダルへあと2つと迫る。しかし、準決勝で別グループ2位のイギリスに敗退(イギリスはのちに金メダル)。選手やヘッドコーチの落胆ぶりは観ている方もつらいものがあったが、敗戦翌日には3位決定戦を戦わなければならなかった。

「切り替えは簡単じゃなかったです」と池崎選手は言う。

「金メダルを獲るはずが負けてしまって、人生で一番泣いたし、その日は夕飯も喉を通らない。翌日、体育館でアップを始めてもまだ現実を受け入れられず、やっとスイッチが入ったのは試合前の整列のときです」(池崎選手、以下同)

きっかけは両国の国歌だった。先に、対戦相手であるオーストラリアの国歌が流れる。オーストラリアは前回大会まで2連覇の強豪だ。

「リオやロンドンで優勝国の国歌として聴いたのを思い出し、あのときと状況は違うけれど『またか』という思いになりました。悔しすぎて悔しさを通り越して吹っ切れた。続いて『君が代』が流れ、このファイナル(決勝ではないが、自分たちの最終戦)、ここまで支えてくださった皆さん、テレビで試合を観てくれる皆さんのためにも、全力で戦う姿を見せなくてはと思ったんです」

そして臨んだ3位決定戦、日本代表は攻守に好プレーを連発して主導権を握り続け、池崎選手もチーム最多の23トライを決めて60-52の快勝。リオ・デ・ジャネイロ大会に続いて銅メダルを獲得した。それでも胸のうちは「悔しさでいっぱい」だったという。

「言い訳はしたくない。相手が強かったというのも言い訳です。僕らに力が足りなくて負けた。僕はハイポインター(障がいが軽度の選手)として、どんな局面でも打開していくのが役割。それを果たせなかったことが悔しいです。あれから今も毎日、どうやったらもっと強くなれるのか、考えています。僕もチームも強くなって、支えてくれる皆さんと共に3年後、(パラリンピック金メダルという)高い山を今度こそ登り切りたい。輝いている姿と輝かしい結果、両方をパリではお見せしたいです」

「プレーの面ではとにかく悔しいの一言ですが、たくさんの人々が大変な壁にぶち当たりながら奮闘し、大会開催にこぎつけてくださったこと、その素晴らしい舞台に立たせてもらえたことは僕の過去、現在、未来を通して一番の思い出です」

「毎週でも毎日でも」、子どもたちへの普及活動に意欲

選手として悲願達成に向け、戦略を練っていく。一方で、周りへの感謝の分だけ、普及活動に対する思いも、ますます熱くなっている。

「僕は小さな子どもたちにもパラスポーツを体験してもらいたいので、DREAM AS ONE.の理念に心から共感しています。時間が許せば本当に、毎週でも毎日でも、子どものためのスクールやイベントをやりたいぐらいです。

子どもたちの笑顔を見られるのは、理屈抜きに楽しいです。ラグ車に乗ってぶつかると大きな音と衝撃が来るけど、それが面白くて何度もぶつかり合っては笑っている。そうやって楽しそうに目を輝かせているところを見ると、僕も力をもらうというか、癒されます」

池崎選手の胸には、スポーツを通じて多くの人や物事に出会えた感謝の念があり、その喜びを子どもたちにも体験してほしい思いがある。

「僕はこんな顔ですが(笑)、実は気が弱いし、人見知りもします。そんな僕も、車いすラグビーに出会えたから心身ともに強くなってきた。だから、子どもたちにも自分に合ったスポーツに出会ってほしくて。

それに、オリンピック選手の場合は3歳ぐらいからその競技をやっている人が多いですよね。子どもの頃からアスリート、オリンピアンになるのが夢になる。パラアスリートも子どもの将来の夢になればいいなと思います。競技をする子が増えれば競技のレベルが上がるし、早くから競技をやることで人生の指針や夢や大好きなものができる。

そのために、子どもたちの親御さんに僕が活動している姿を見てもらうことも大切だと思っています。一つのことを極めると、それで人生を歩んでいけるんだというロールモデルに、僕たちがなっていく。親が安心して子どもの夢を応援できるように、親子両方に気づきときっかけを与えられるように活動していきたいです」