ロシアの侵攻によって国際政治は新たな局面を迎えた
2022年も世界情勢は大きく動いたが、やはり最も世界を震撼させたのは2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵攻したことだ。最近、筆者も所属する国際安全保障学会や日本防衛学会など外交・安全保障の専門家が集う学術大会があったが、両学会とも今年はウクライナ問題でほぼ独占された。それだけ、国際政治業界の中では震撼させる出来事だったということだ。
当然ながら、学者は予想屋ではない。学者だから情勢の展望を読み解けるというのは大きな誤解だ。侵攻以前、筆者周辺の軍事・安全保障、東欧ロシア専門家の多くは侵攻することはないというスタンスだったように思う。だが、ロシア軍がウクライナ国境付近に異常に集中するようになり、プーチン大統領の脅しはハッタリではないという意識が徐々に強まっていった。筆者も当初は侵攻するリスクを考え、プーチン大統領がGo!の指令を出すとは思っていなかったが、ロシア軍の異常な集中によって徐々に意識を変えていった。
そして、2月24日以降、国際政治は新たなプロローグを迎えることになった。侵攻という決断を下した背景について、プーチン大統領が描くロシアの勢力圏、積もりに積もったNATOの東方拡大への不満など多くの理由が挙げられているが、本当の真意はプーチン大統領にしかわからないだろう。
戦況は次第にロシア軍の劣勢に
しかし、誰もが予想したように、アメリカを主導に欧米諸国は一斉にロシアへの制裁措置を発動し、ウクライナへの軍事支援を強化するようになった。プーチン大統領は当初、首都キーウを軍事的に掌握し、ゼレンスキー政権を崩壊に追いやり、親ロシア的な傀儡政権を樹立することを想定していただろうが、戦況が侵攻するなか、軍事支援を受けたウクライナ軍の攻勢が目立つようになり、ロシア軍の劣勢が顕著に見え始めるようになった。
それにより、表立って焦った顔は見せないものの、想定外の連続にプーチン大統領は内心焦り始めた。それを顕著に示す結果になったのが、9月の部分的動員令の発令とウクライナ東部南部4州のロシアへの一方的併合だ。プーチン大統領は9月下旬、軍隊経験者などの予備兵を招集するため部分的動員令を発令した。これはウクライナでの戦況で劣勢が続き、兵士のマンパワーを補うのが狙いだったが、それに反発する動きがロシア国内で一気に拡大した。
モスクワやサンクトペテルブルクなど各地では部分的動員に反発する市民と治安部隊との間で衝突が相次ぎ、多くの逮捕者や負傷者が出た。数十万人規模でフィンランドやジョージア、カザフスタンなど隣国に避難する動きも激化した。また、プーチン大統領はドネツクとルハンシク、サボリージャとヘルソンの東部南部4州でロシア編入の是非を問う住民投票を行い、同4州をロシアへ併合する条約に署名した。国際社会の誰もがそれを認めないが、プーチン大統領にとってはロシア国内ということになり、ウクライナ軍による同4州への進軍は“ウクライナの侵略”と解釈されることになった。
併合後、ロシアは同4州での公用語をロシア語にするなど“ロシア化”を一層進める計画だったと思われるが、ここでもロシア軍の劣勢がみられ、ロシアのセルゲイ・ショイグ国防相は11月、併合したヘルソン州から軍部隊を撤退させる方針を明らかにした。ロシアはこれを戦略的撤退と内外にアピールしたいところだが、能力的撤退ということに反論はないだろう。自ら併合を堂々と宣言にもかかわらず、併合した地域から軍を撤退させたということで、これはプーチン大統領にとって大きな政治的汚点になったことは間違いない。焦り始めたプーチン大統領は、部分的動員と4州併合という手段を通して劣勢を覆そうと狙ったが、それは悪いプレゼントとしてそのまま返品されることになった。
中国も距離を置きつつある
一方、プーチン大統領が失ったものはウクライナでの戦況だけではない。侵攻という決断を下したことで、プーチン大統領は欧米との関係が冷戦後最悪になるということは織り込み済みだっただろうが、中国やインドなど非欧米世界の対応を注視していたと筆者は考える。
特に中国に関して、プーチン大統領も中国が対アメリカでロシアを戦略的共闘パートナーと位置づけていることは承知しており、侵攻後は中国の存在が大きかった。欧米が制裁を強化するなか、中国はロシアへの非難や制裁を回避し、エネルギーなど経済分野ではむしろロシアとの結びつきを強化してきた。中国のそういった対応がプーチン大統領にとって重要だったことは間違いない。
しかし、部分的動員令と4州の一方的併合、そして核使用が叫ばれるようになり、中国はロシアと距離を置く姿勢を示し始めた。9月中旬、侵攻以降対面で初めてプーチンと会談した習近平国家主席は、ウクライナ問題に話題が移ると終始無言を貫き、プーチン大統領が「中国のわれわれへの疑念を理解している。中国の中立的な立場に感謝する」と伝えた。ここで初めて、中国がロシアと距離を置く姿勢が間接的にも示された。
その後も、習国家主席は11月上旬、ドイツのショルツ首相と北京で首脳会談を行った際、欧州での核戦力の使用に反対すると立場を明確にし、同月中旬、バイデン大統領と会談した際もウクライナでの核兵器使用や威嚇に反対すると表明した。プーチン大統領はこれまでのところ習氏の反対表明に言及していないが、中国との関係を悪化させたくないロシアにとってそれはかなりの政治的インパクトがあったようにも思える。
また、中国ほどではないが今後世界第3位の経済大国になるとみられるインドの動向も、プーチン大統領にとっては重要だろう。インドも中国同様に9月以降ロシアへの態度を硬化させている。例えば、インドのモディ首相は9月にウラジオストクで開催された東方経済フォーラムでプーチン大統領と会談し、「今は戦争や紛争の時代ではない」と初めてウクライナ侵攻を批判し、同月、国連総会の場でインドのジャイシャンカル外相もウクライナ侵攻によって物価高やインフレが生じたと不快感を示した。その後、インドのジャイシャンカル外相は12月上旬、欧米による制裁によりロシアで重要品目が深刻化し、ロシア政府が鉄道や航空機の部品など500品目あまりの必要リストをインドに送ったなか、ロシアに対して輸出できる製品リストをプーチン政権に提供したと明らかにした。
武器供与などでインドとロシアは伝統的友好関係にあり、侵攻を批判したとはいえ、インドにとってロシアが重要な経済パートナーであることは変わりがない。侵攻は中国とインドに衝撃を与えたものの、両国とも今後ロシアと”遠からず近からず”の立ち位置をキープし、それぞれの国益を第一に追求していくことになる。
世界はより多極化へ
以上のように振り返られるが、ロシアによるウクライナ侵攻は安全保障上の伝統的脅威が依然として終わっていないことをわれわれに強く印象づけた。しかし、それによってロシアを取り巻く情勢は一気に冷え込み、欧米とロシアの亀裂が冷戦終結後最悪になり、ロシアによる経済の武器化(たとえばロシア産天然ガスの欧州への供給)だけでなく世界的な物価高パンデミックという経済領域への損害が大きくなった。しかし、日本がこの悲劇から教訓として学ぶべきこともある。
まず、世界がより多極化に向かっているということだ。侵攻直前、バイデン大統領は早々に米軍がウクライナに関与することはない意思を表明した。ウクライナはNATOに加盟しておらず、アメリカの軍事同盟国でもなく、泥沼化した対テロ戦争や中国との戦略的競争に直面するアメリカとしては、ロシアと軍事的に衝突する余裕はない。しかし、それは今日のアメリカは、超大国だった20年前あたりのアメリカとは別人で、アメリカ主導の欧米の世界的影響力が相対的に低下し、中国やインド、ロシアなど非欧米世界の影響力が高まってきていることを意味する。
すでに、2021年のアメリカのGDPが前年比2.3%減少の20兆9349億ドルだったのに対し、中国は前年比3.0%増の14兆7300億ドルとなり、2021年の時点で中国のGDPはアメリカの7割にまで到達しつつあり、2033年頃には中国はアメリカを逆転するとの予測もある。グローバルサプライチェーンが毛細血管のようになっているように、経済の相互依存は明確であり、中国はリスクを冒してまで強硬な姿勢に転じることは最大限回避するだろう。しかし、権力の相対化により、中国にとって行動できる政治的自由の領域が拡大していることも事実であり、「核心的利益」の追及など中国が譲れないと定めるイシューで緊張が高まれば、行動できる自由に沿って強硬な行動に出る恐れも排除できないだろう。われわれはそういった国際政治のパワーバランスの変化を常に注視する必要がある。
また、1つ目と関連するが、米中対立など大国間対立が顕著になる一方、それとは一線を画す、距離を置く、嫌気を示す第3世界が拡大しているということだ。いわゆるグローバルサウスには経済発展が目覚ましい国々が多く、米中とも今後の世界経済の中心がアジアになるとみている。
第3世界の声として、例えば、インドネシアのルトノ外相は9月、国連の場で「ASEANが新冷戦の駒になることを拒否する」との見解を示し、第2次世界大戦勃発までの動きと現在の対立プロセスが似通っており、世界が間違った方向に進んでいると懸念を示した。また、アフリカ連合のサル議長(現セネガル大統領)も国連総会でウクライナ情勢などの大国間対立に言及し、アフリカは新たな冷戦の温床になりたくないとの意志を示している。世界が流動的に変化するなか、われわれは大国間対立だけでなく、こういった第3世界の影響力も高まってきていることをウクライナからの教訓として肝に銘じておく必要があろう。