近年、IT分野の技術やデータを創薬・治療研究に応用する動きが急速に盛り上がっている。DeNAではこの1月、自社が培ってきたAI技術、特にディープラーニング(深層学習)の技術を活用し、製薬会社とともにAI創薬の共同研究を始めた。
また、2014年に設立した子会社、DeNAライフサイエンス(DLS)では、ヘルスケアに関するビッグデータや遺伝子検査サービス「MYCODE」の会員によるコミュニティなどを活用し、大学研究室と非アルコール性脂肪性肝疾患(※)の治療薬・検査法などの共同研究を進めている。
IT企業だからできる医学への貢献の可能性と意義について、DeNAヘルスケア事業本部長でDeNAライフサイエンス社長の大井潤氏に話を聞いた。
※脂肪肝(肝臓に脂肪が多く溜まる状態)は、飲酒が主なリスク。だが、飲酒の習慣が無いにもかかわらず脂肪肝になる人がいる。それを「非アルコール性脂肪性肝疾患(NAFLD)」という。NAFLDのうち80~90%は脂肪肝のままで経過するが、残りの10~20%は徐々に悪化し、肝硬変や肝がんを発症することがある。
AI創薬で製薬業界の抱える課題が一掃される日
今年1月10日、DeNAは、旭化成ファーマ株式会社および塩野義製薬株式会社と共同して、AI創薬の実現化に向けた研究に着手すると発表した。共同研究の内容について、DeNAヘルスケア事業本部長でDeNAライフサイエンス(DLS)社長の大井潤氏は「製薬会社2社から化合物データの提供を受け、DeNAは、AI技術を駆使して、有効性が高く、副作用の少ない“医薬品を創生”していく化合物の最適化プロセスに貢献する」と、説明する。
現状の創薬では、この化合物の最適化プロセスに一番時間とコストがかかる。日本製薬工業協会「DATA BOOK 2017」(2011年~2015年の実績値)によると、1プロジェクトあたりの化合物は平均4263個で、一つずつ検証するのに、3年以上の期間と10億円単位の研究開発費がかかっているという。
「現状では有効性と安全性のバランスを取りながら化合物の構造をデザインしていくには、人の経験や勘による部分が大きい。最適化合物にたどり着くまでの構造デザイン、合成、検証を“サイクル”と呼びますが、優れた研究者であれば少数のサイクルで済みますが、そうでない場合は延々とこのサイクルを続けることになります。こうした人による生産性のバラつきも、AIで無くすことができるかもしれません」(大井氏、以下「」内は大井氏の発言)
AI創薬が実現した場合、「開発期間が4年短縮すると、業界全体で1.2兆円(1品目あたり600億円)削減できる」という厚生労働省の試算がある。AIの医療分野への貢献度は計り知れない。
サンプル収集のリードタイムを大幅短縮
AI創薬とは別の取り組みも興味深い。DeNAの子会社でヘルスケア事業を展開するDLSは、横浜市立大学との共同研究において、iPS細胞を用いて非アルコール性脂肪性肝疾患(NAFLD/ナッフルディー)の病態モデルを作り、治療薬や早期発見法の開発のための遺伝子やバイオマーカーの探索を行う。
この取り組みでDLSは、遺伝子検査サービス「MYCODE」 のヘルスケアに関するビッグデータや会員によるコミュニティなどを活用する。本研究におけるDLSの最も大きな働きは、自発的な参加とリードタイム(対象者探索からサンプル収集までに要する時間)の短縮にある。
NAFLDの研究では、iPS細胞を作るために、まずMYCODE会員の血液サンプルを集めなくてはならない。通常のやり方では、研究に参加してくれそうな人に広く声を掛け、同意してくれた人に対して遺伝子検査を行い、条件に合う人を選び出し、血液を提供してもらって、ようやくサンプルが手に入る。これを一からやろうとすると、必要な数のサンプルを集めるだけで何年もの時間がかかってしまう。だが、DLSはこれを数週間でやってのける。
「『MYCODE』の会員は現在10万人弱います。会員には遺伝子検査をする際に、研究への参加の意思を確認しており、約9割の方の同意を得ています。この9万人近い協力者のプラットフォームを使って、サンプル収集をするのです。
今回、横市大との共同研究への参加を呼び掛けたところ、7日間で2000人集まりました。その中でNAFLDの遺伝的なリスクは、こちらで保管してあるゲノム情報で判別できます。10数名を選定して、アンケートや採血を実施し、サンプルを集めました」
サンプル収集の開始から完了まで約4週間。12月下旬に研究スタートを発表してから現在まで数カ月しか経っていないが、すでにiPS細胞を樹立し、4月からは本格的な研究に入る。
このスピード感は、巨大なヘルスケア・コミュニティを持つDLSだからこそ出せるものだ。
»がん予防にもつながる 自分の病気や体質の遺伝的な傾向がわかる遺伝子検査「MYCODE(マイコード)」
“コミュニティが科学を進める世界観”を目指して
DLSは、2014年からスタートした「MYCODE」のコミュニティに参加する会員との情報交換を欠かさない。定期的にダイレクトメールを送ったり、最新のエビデンスに基づく情報をアップデートして知らせたり、遺伝子にまつわるエンタメ情報を発信したりして、関係を維持している。今回の共同研究の進捗や結果についても、全会員にフィードバックされる予定だ。
こうした持続性・発展性のあるコミュニティ作りは、他社がまねしようとしても一朝一夕にはできまい。
「『MYCODE』のサービスはDLSと東大医科学研究所との共同研究の成果を社会実装するものです。サービスを始めるときに、ゲノム解析の第一人者である東大医科学研究所の宮野悟先生と、〈コミュニティが科学を作る世界観を目指そう(community-derived science)〉と話し合いました。あのとき思い描いたビジョンが、今まさに形となって動き始めています」
「MYCODE」の会員コミュニティは、NAFLDに対してだけでなく、多種多様な研究に役立つ可能性がある。実際、横市大との研究以前に、森永乳業と「腸内フローラ」の研究を1000人規模で実施したこともある。
「研究の途中で脱落する参加者が少ないというのも、MYCODEの研究プラットフォームの特長です。腸内フローラの研究では、便を採取して提出するなど、煩わしいこともたくさんお願いしたにもかかわらず、97%の方が最後まで協力してくれました」
厳格な情報セキュリティへの信頼
DeNA、DLSが持つAI技術やヘルスケア・コミュニティは、企業や研究機関にとって魅力的だが、もうひとつ、共同研究の相手として選ばれる理由がある。それは、DeNAが誇る厳格な情報セキュリティだ。
AI創薬の共同研究でいえば、製薬会社にとって化合物データは、秘中の秘の財産。万が一にも漏洩や流出があってはならず、それを託す相手には万全の情報管理が求められる。
「遺伝子情報は個人情報の際たるものです。『MYCODE』で遺伝子情報を扱うにあたって、DLSでは情報セキュリティの管理に細心の注意を払ってきました。また、生命倫理を尊重し、エビデンスに基づく確かな情報のみを提供するようにしています。
生命倫理でいえば、新しいサービスを始めるときは社内で倫理審査委員会を開き、第三者機関での審議を経て、決議をします。ITをやっている会社で、これだけの情報セキュリティ、生命倫理観を備えている企業は、世界中を探してもおそらくないでしょう」
機密性の高い情報を扱っているという面では、製薬会社に限らず、すべての研究機関に当てはまる。今後もDeNAに対する企業や研究機関からの共同研究の誘いは増えていくはずだ。そんな引く手あまたのDeNA、DLSだが、“中立的な立場”は大切にしていきたいという。
「特定の企業や研究機関とだけ協業してしまうと、それ以外の企業・研究機関とは研究ができません。すると、せっかくのわれわれの技術やビッグデータの活用の幅を狭めてしまいます。そもそもDLSは、“ITを使って、人々を健康に導きたい”という思いでつくった会社です。今後もさまざまな企業・研究機関と協力して、より健康な世の中になるべく貢献していきます」