アバターが「パパ」と呼ばれる日 技術がコミュニケーションを拡張する
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アバターが「パパ」と呼ばれる日 技術がコミュニケーションを拡張する

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去る2018年3月13日、航空会社のANAグループが新事業「ANA AVATAR VISION」を発表した。映画やネットの世界にしか存在しなかったアバターを、最新技術とイノベーションによって現実に落とし込み、医療、災害現場、教育、観光、宇宙開発など、さまざまな分野で展開する、かつてない一大プロジェクトだ。「世界をつなぐ」ということを経営理念に掲げるANAグループは、「ANA AVATAR VISION」を通して何をどのようにつなげていくのだろうか。

ANAグループにとっての「アバター」とは

ANAの提唱するアバターとは、ゲームやネットで使われているようなものとは意味も概念も異なる。VR、AR、通信、ロボティクス、センサー、ハプティックス(触覚)など最先端のテクノロジーを応用した「アバター(分身)」を通じて時間、距離、文化、年齢、身体能力などさまざまな制限にかかわらず“移動”できる技術のことだ。

「ANA AVATAR VISION」は、ANAが提唱するさまざまなアバター計画を取りまとめる総称。その中にはアバターを身近に体験可能なサービスプラットフォーム「AVATAR-IN」や、JAXA(宇宙航空研究開発機構)と連携してアバターを活用した宇宙関連事業の創出を目指す「AVATAR X Program」などがある。

さらに、世界初のANA AVATARテストフィールドとして、大分県で医療、教育、漁業、農業、旅行、宇宙開発などさまざまな分野の実証実験や、広島県と共にアバターの平和利用宣言などの試みも行っている。

その壮大なプロジェクトの中核であり、構想の原点といえるのが、現在、非営利団体・XPRIZE財団と提携して行われている賞金レース「ANA AVATAR XPRIZE」だ。

»64カ国470チーム以上が参加表明 何でもできるアバターをつくる「ANA AVATAR XPRIZE」

「『XPRIZE』がなければ今のアバタープロジェクトは絶対にありませんでした」と語るのは、ANAホールディングスのデジタル・デザイン・ラボ所属、アバター・プログラム・ディレクターの深堀 昂氏。元々、XPRIZE財団に賞金レースのテーマを提案したときは、「アバターではなく、『テレポーテーション(瞬間移動)』だった」という。

深堀 昂氏

「世界をつなぐ」ということを経営理念にしているANAグループにとって、テレポーテーションは飛行機を超える究極の移動手段であり、世界中の人を結びつけるための最良の方法と考えられていた。

しかし、テレポーテーションは現実的なレベルまで技術が追いついていないこともあり、構想は頓挫。代わりに浮上したのが、アバター構想だ。肉体や物質そのものは無理でも、“意識”と“技能”と“存在感”なら今の技術で“瞬間移動”できると考えた。

「発想の原点こそテレポーテーションですけど、今では結果的にテレポーテーションも超えていると思っています。例えば、宇宙空間に瞬間移動すると生身の人間は死んでしまいますよね。水中も呼吸ができない。動けない人がどこかへ瞬間移動してもその先で動けない。だけど、アバターならそうはなりません。宇宙でも水中でも、人間が行けなかった場所へ、身体制限を超えて瞬間移動することができます」(深堀氏)

身体を拡張させ、不可能を可能に

アバターの実現で、人間は身体制限を超えた活動ができるようになると語る深堀氏。具体的にはどのようなことが実現可能になるのだろうか。

「例えば、釣りに特化した釣り竿型アバターならパワーを補助して、高齢者でも小学生でも大間のマグロを釣れるようになります。体が動かせない人は目の動きだけでアバターのロボットを操作できますし、力の弱い人も障害者もできなかったことができるようになります。ほかにもアバターを通じて小さくなることもできる。人間が入れなかった狭い場所へアバターが入って、繊細な作業をすることが可能になります」(深堀氏)

将来的には、水中溶接や石油プラントの点検、海難事故の現場や探査といった危険度が高い作業もアバターでできるようにする構想もある。

さらにアバターは、動きを学習してスキルをシェアすることもできるという。

「溶接工がアバターを通して溶接作業を行えば、その動きを学習してデータとして保存します。別の人がそのデータを自分のアバターにダウンロードすれば、未経験でも溶接ができるようになるんです」(深堀氏)

ほかにも、プロゴルファー選手の動きをデータ化すれば、別の人が専用のボディスーツを着てプロゴルファーの動きも再現できる。また、名医の診察眼、つまり眼の動きをデータ化すれば、アバターがAR(拡張現実)上で、がんなどの疑わしい診断箇所を見つけ出してくれるので、新人の医師でも名医のようになれるなど、いろんな可能性があるという。

「人間の“動き”というのは、プログラムにして書き起こすことは難しいですが、アバターなら人間の行動データを丸ごと記録していくので、“動き”をほかの人とシェアできるようになります。つまり、これまでゼロから学習しなければならなかったものが、アバターなら最先端のスキルを得ることが容易になるんです。

そのスキルを元に経験が積み重ねられて、さらに向上して、それがまたシェアされる……。そうなるとアバターはもう単なるロボットではなく、スキルをシェアできるボディです。まさに新しい身体であり、身体の拡張です」(深堀氏)

「AVATAR X Program」で想定されているアバターの利用方法。地上での利用から宇宙空間、月面や火星での利用など夢は広がる。

宇宙空間での活動もアバターがサポート

このように、アバターがあれば場所だけでなく、用途においても可能性を広げることができる。その中でも特にANAが力を入れているのが「宇宙」だ。

「宇宙はまさにアバターを必要としているエリアです。宇宙ステーションにアバターがあれば、これまで宇宙飛行士に訓練させて 、任せていた宇宙ステーションのメンテナンスや修理、いろいろな実験などを、地上から専門職のエンジニアや研究者自らがアバターを通して行うことができます。危険が多い船外作業も、船内にいる宇宙飛行士がアバターを通して作業をすれば安全です」(深堀氏)

遠方をつなぐアバターのインフラはインターネット回線だが、アバターの複雑な動きを可能にするには、より大容量で安定的なインターネット回線が必要なのでは……という懸念もある。また、超長距離通信による遅延の問題も気になるが、深堀氏は問題ないと言う。

「先ほど言ったようにアバターは行動データを丸ごと記録していきます。それを応用すれば、通信が安定しない場所でもある程度、アバターの方で行動を補正してくれるんです。

また、もうすぐ次世代通信の『5G』も始まりますが、そんな贅沢なことは言いません。インフラを考えても『5G』対象地域はごく一部。逆に、もっと最悪な通信環境でいかにアバターを動かすかが重要ですね。映像データが一番重いので、それをライブで安定的に配信するのに一番力を割いています」(深堀氏)

そこにいるという“存在感”こそがアバターの要

そして、アバターはビジネスだけでなく、コミュニケーションにも活用されていく。

「すでにもうテストをしていますが、夫が単身赴任しているご家庭に画面と車輪が付いたアバターを置いて、赴任先から“アバターイン”してもらっているんです。

驚いたのがアバター設置2日目に1歳半の子どもがアバターを『パパ』って呼んで、追いかけてきたこと。つまり、子どもにとっては会話ができて動いているんだから、パパがそこに“存在”しているんですよね。テレビ電話やスカイプの通話だとこんなことは起きません。もしアバターに手が付いていたら、今度は奥さんに『お皿洗って』って絶対言われるでしょうね(笑)」(深堀氏)

専用アプリ「AVATAR-IN」に“アバターイン”する深堀氏。このタイプは、遠隔地からPC画面を通して操作し、「見る」「聞く」「話す」「移動する」ことが可能だ。

空間や身体制限を超えるだけでなく、周囲の人が“存在”を認識できるということが、アバターの最も重要なポイントだと言ってもいい。

「電話には、受話器の向こうの相手が“ここ”にいるという存在感はないですよね。こちらの都合に関係なく突然着信が来るし、コミュニケーション的には不自然なツールです。

でも、自分で動けるアバターなら、相手の状況を見ながら声をかけるタイミングに気を使えるし、それによって周囲の人も存在感を感じとることができます。それがほかの通信との決定的な違いですね」(深堀氏)

コミュニケーションが増えれば会いに行く理由がたくさんできる

さらに、アバターから存在感を感じ取れるのなら、働き方も変わる可能性があると深堀氏は語る。

「羽田空港でフランス人のお客様が弊社のコーナーに来た際、英語対応が可能なスタッフはいても、フランス語に対応できるスタッフがいるとは限りません。でも、アバターがあればフランスにいる弊社の社員がログインして対応することができます」(深堀氏)

空港での利用例。スタッフのリモートワーク、海外スタッフの言語サポート対応などが考えられる。

存在感があるから客への対応やコミュニケーションも円滑にできるし、オフィスのリモートワークも今とはまったく違うかたちになるだろう。

「『アバター事業は航空事業とバッティングするんじゃないか』と懸念する声もあります。でも、よく話をするのは、電話やテレビ電話が出来たときも同じような懸念があったということです。

どうなるかというと、アバターを通して人と人がつながるので、会いに行く理由もいっぱいできるんです。本来、知り合うことのなかった人たちが知り合って、新しいビジネスが生まれたら、行ける人は飛行機を使って会いに行く需要も生まれると思っています」

身体の拡張も可能にしながら、遠方から存在感までも感じさせるアバター。多彩な機能や拡張性といった技術面だけでなく、人と人をつなげる新たなコミュニケーションの手段としても期待したい。