人類に利益を与える技術開発を競うコンペティション「XPRIZE」。民間による月面無人探査を競った「Google Lunar XPRIZE」も記憶に新しいが、その次のコンペティションはANAホールディングスが提案した「ANA AVATAR XPRIZE」が採用された。航空会社が手がけるアバター開発プロジェクトとは何なのか。そして、このコンペティションを通じて科学技術は人類にどのような利益をもたらしてくれるのか。ANAホールディングスのデジタル・デザイン・ラボ所属、アバター・プログラム・ディレクターの深堀 昴氏に話を聞いた。
「ANA AVATAR XPRIZE」とは?
「XPRIZE」は非営利団体・XPRIZE財団が展開する「人類に利益を与える技術開発」をテーマとする国際賞金レースだ。財団を設立したのは“イノベーション界のカリスマ”として有名なピーター・ディアマンデス氏。過去には、民間による最初の有人弾道宇宙飛行を競う「Ansari XPRIZE」(1996~2004年)、民間による最初の月面無人探査を競う「Google Lunar XPRIZE」(2007~2018年)などが開催された。
「ANA AVATAR XPRIZE」は、さかのぼれば2015年12月、XPRIZE財団とANAのマーケティングタイアップから始まった。「世界のリーディングエアライングループ」を目指すANAにとって、海外、とりわけ技術や開発系の分野で知名度を上げるためにもXPRIZE財団は最適なパートナーだった。
「そのころ、XPRIZE財団が次の『XPRIZE』のテーマをコンペで募集することに決めたんです。それを知って、何とかそこに参加させてもらえないかと交渉して、最後の枠に入ることができました」と深堀氏は振り返る。
そうして、約半年間かけて国際賞金レースのテーマ設定を競うコンペ「VISIONEERS」の第1回目が開かれ、見事選ばれたのが「ANA AVATAR XPRIZE」だった。「ANA AVATAR XPRIZE」では、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)といった技術を発展させ、さらにハプティクス(触力覚技術)やロボティクス(ロボット工学)技術を複合させて、遠隔地にいる「アバター(分身)」を操作し、物理的に干渉、フィードバックできる最先端テクノロジーを競う。
アバターと聞くと映画『アバター』や『レディ・プレイヤー1』などの世界を想像する人も多いだろう。ネットやゲームの世界でも自分で作成したり操作したりできるアバターはすでに存在している。物語やバーチャルにしか存在しなかったアバターを、「ANA AVATAR XPRIZE」では現実のものにしようというのだ。
「アバターが実現すれば、例えば災害救助なら遠くから安全に行うことができますし、発展途上国などでは、アバターを通して医師が医療を提供できるようになります。ほかにも学校のない地域にいる人たちが米スタンフォード大学で授業を受けられるかもしれないし、東京大学の学生が過疎化した地域の高校生に家庭教師をすることもできます」(深堀氏)
世界をつなぐ、ANAがアバターを提案する意味
そもそもなぜ、航空事業を中核とするANAがアバター開発に取り組むことになったのだろうか。
「実は『VISIONEERS』で最初に提案したのはアバターではなく、『テレポーテーション』でした。理想はドラえもんの『どこでもドア』でしたね」(深堀氏)
ANAの経営理念は、「安心と信頼を基礎に、世界をつなぐ心の翼で夢にあふれる未来に貢献する」こと。「世界をつなぐ」ということに注目したとき、航空事業という枠を越えて、「どこでもドア」というアイデアが出たという。
「今、エアラインのユーザー数は全世界の人口の6%しかいません。この数字を増やすのはなかなか難しく、エアライン業界は日々、この6%のパイを奪い合っている状態です。
ハイパーループや超音速機などより速い移動手段も開発されていますが、今、飛行機に乗れる環境にいない人たちがこれらに乗れるのか?というと疑問です。だから残りの94%の人たちをつなげるにはどうしたらいいか?というのをずっと考えていました」(深堀氏)
どうやったら本当に世界中の人をつなげ、社会や未来に貢献できるか?という問いから始まり、物理的な移動手段に限界を感じていた深堀氏の行き着いた答えが、瞬間移動、テレポーテーションだったという。
根拠はあった。実際、2004年に東京大学の古澤明教授が物理的な量の最小単位である量子を三者間でテレポーテーションさせることに成功している。
「もちろん最初から人間は無理なので、物質をテレポーテーションさせることから考えていました。実際にコンペで発表したときは、みんな失笑でしたね。ただ、XPRIZE財団の創設者ピーター氏だけは『すごく関心がある』とものすごい反応を示してくれました」(深堀氏)
しかし結局、“量子”テレポーテーションは実現しているが、“物質”だとまだまだ開発に途方もない時間がかかることがわかり、テレポーテーションをテーマにするのは諦めることになった。
「次に考えたのが“意識”と“技能”と“存在感”の転送です。一般的には『テレプレゼンス』や『テレイグジスタンス』という技術名称もあって、昔から研究はされていました。今ならVR技術やAR技術、ロボティクス、モーター、センサー、通信技術が発達して実用化できるタイミングだと思い、それが『ANA AVATAR XPRIZE』の構想につながったのです」(深堀氏)
「ANA AVATAR XPRIZE」の狙いと勝利条件
4年間かけて行われる「ANA AVATAR XPRIZE」の賞金総額は1000万ドル。2019年9月30日が応募締め切りで、今年10月末時点の参加表明しているチームはアメリカ、インドなど64カ国479チーム以上にのぼる。前回開催された「Google Lunar XPRIZE」では、細かい優勝条件が設定されていたが、「ANA AVATAR XPRIZE」では詳細は提示されていない。
「『ANA AVATAR XPRIZE』では“1体で何でもできるアバター”を勝利条件として公表していますが、参加者には具体的にどのような課題が与えられるかは伝えていません。というのも、事前に伝えるとそれに特化したアバターが作られてしまうからです」(深堀氏)
例えば、階段を昇る、ドアを開けるといった課題が事前に伝えられたら、勝つために提示された課題だけにしか対応していないアバターを作るチームが現れるおそれもある。そうなってはレース本来の意図に反してしまうため、あえて具体的な課題や条件は提示していないという。
「1体で何でもできるアバターはまだ存在していません。今回のレースは、そういった高性能なアバター開発に賞金を付けることで、世界中で開発を加速させようという試みなのです」(深堀氏)
賞金レースの先のアバターの未来
「ANA AVATAR XPRIZE」を通して高性能なアバター開発を促進する一方、ANAでは実用化に向けたアバター開発にも取り組んでいる。
「高性能なアバターはものすごく高額なものになるはずなので、即実用化というわけにはいかないでしょう。大事なのは賞金レースを通じてムーブメントを作り、世界中の開発者たちとネットワークを築くこと。そこから実用化できそうな良い技術を見定めて、声掛けや提携をして明日からでも使えるようなアバターを開発しようというのが弊社の考えです」(深堀氏)
この考えに基づいたアバター実用化プロジェクトが「ANA AVATAR VISION」だ。「ANA AVATAR XPRIZE」はこの壮大なプロジェクトの一部であり、全体の成果を左右する重要な構成要素となる。
「すでに旅行、医療、教育などいろいろなケースを想定して、プロトタイプの目的別アバターの制作、サービスのプラットフォーム化というのを同時に進めています。大事なのはアバターを通じて人と人をつなげるということと、リアルであるということ。
VR技術を応用しているから『ANA AVATAR』で仮想旅行ができるかのように誤解される方もいますが、仮想ではなくて、アバターは実際にものを動かしたり自分が動いたり、そこに人が存在していることを感じさせるもの。“リアルである”ということは追求していきたいと思っています」(深堀氏)
アバターを体験可能なサービスプラットフォームは「AVATAR-IN」という名称で、アバター体験ができるサービスを徐々に増やしていく予定だという。さらに今年9月には、JAXA(宇宙航空研究開発機構)と連携し、宇宙開発をアバターで支援するプロジェクト「AVATAR X Program」も始動している。
始まったばかりの賞金レース「ANA AVATAR XPRIZE」をはじめ、複数のプロジェクトが進行中の「ANA AVATAR VISION」によって、数年後にはSFの世界のものでしかなかった画期的なサービスが私たちの目の前に現れるかもしれない。