明治の文豪・夏目漱石。千円札の肖像にもなるほど、日本人には馴染み深い。このほど、彼が勤めた朝日新聞で復活連載された『それから』は映画化もされた有名な小説だ。感じることはそれぞれ違うだろうが、サラリーマンの悲哀なども考えながらもう一度読み返してみるのも面白い。
何とも救いようのない物語?
1914年4~8月まで、朝日新聞が夏目漱石の『こころ』を連載した。連載開始からちょうど100年にあたる2014年4月20日から、朝日新聞が朝刊で、当時と同じ全110回でこの小説を連載している。その関係で漱石の作品が再読されている。漱石の小説で、今日の若手ビジネスパーソンに役立つのが『それから』(1909年6月27日から10月4日まで朝日新聞に連載、翌10年、春陽堂から単行本)と思う。
主人公の長井代助は、大実業家の次男で大学卒業後も定職に就かずに、自由気ままな生活をしている。とは言っても、放蕩三昧の生活をしているのではない。学術書や文学書を読んだり、インテリたちと気ままなおしゃべりをして過ごす「高等遊民」として日々を過ごしている。生活費は、父の仕事を引き継いだ兄に頼っている。
代助の中学生から大学までを通じた親友の平岡常次郎は、卒業後、関西の銀行に就職した。そこで金銭トラブルに巻きこまれて、辞職に追い込まれる。学生時代、代助と平岡には共通の親友・菅沼がいた。菅沼は夭逝する。代助は、三千代に想いを寄せていた。しかし、平岡が三千代を愛していることを知った代助は、二人の結婚をあっせんする。平岡との子どもを死産した三千代は体調を崩す。平岡は、家庭を顧みなくなり、夫婦の関係は冷めていく。経済的に困窮した平岡夫妻を代助は経済的に支援する。平岡は新聞記者になり、態度も一層横柄になる。代助の父、兄の会社の不正を知っているが、あえて書かないとほのめかし、代助に恩を着せる。兄嫁から縁談が来るが、代助は三千代への想いから断る。
当時、人妻との不倫は、姦通罪として刑事責任を追及される可能性があった。代助と三千代は、犯罪者となることを恐れず、結婚に踏み切ろうとする。代助は、平岡に三千代への想いを告げ、離婚を頼む。平岡は激昂し、代助との絶交を宣言するが、三千代との離婚は承認する。ただし、離婚は、三千代の病気が完治してからだと告げる。代助は、「三千代さんの死骸だけを僕に見せる積もりなんだ」と激昂して、平岡に詰め寄る。徐々に代助は精神に変調を来し始める。平岡は、代助の父に、三千代と代助の関係をなじる手紙を送る。兄が手紙の内容を確認するために代助を訪ね、代助は三千代との関係を認める。代助は、勘当される。そして精神に完全に変調を来し、郵便ポストだけでなく傘や電柱をはじめ、世の中のすべてが真っ赤に見える。
何とも救いようがない物語だ。
現代サラリーマンに通じる話だった
興味深いのは、平岡が辞職を余儀なくされた事情だ。
<支店長が、自分に万事を打ち明ける如ごとく、自分は自分の部下の関という男を信任して、色々と相談相手にしておった。ところがこの男がある芸妓と関係あって、何時の間にか会計に穴をあけた。それが曝露したので、本人は無論解雇しなければならないが、ある事情からして、放って置くと、支店長にまで多少の煩が及んで来そうだったから、其所で自分が責を引いて辞職を申し出た。 平岡の語る所は、ざっとこうであるが、代助には彼が支店長から因果を含められて、所決を促されたようにも聞こえた。それは平岡の話の末に「会社員なんてものは、上になればなる程旨い事が出来るものでね。実は関なんて、あれっばかりの金を使い込んで、すぐ免職になるのは気の毒な位なものさ」という句があったことから推したのである。 「じゃ支店長は一番旨い事をしている訳だね」と代助が聞いた。
「或はそんなものかも知れない」と平岡は言葉を濁してしまった。
「それでその男の使い込んだ金はどうした」
「千に足らない金だったから、僕が出して置いた」
「よく有ったね。君も大分旨い事をしたと見える」
平岡は苦い顔をして、じろりと代助を見た。>(夏目漱石『それから』新潮文庫、1985年、24~25頁)
平岡は、部下の責任を取らされて辞職をしたと釈明するが、代助はそれを額面通りに受け止めていない。平岡も、会社の金を横領もしくは不正流用した含みを持たせている。同時に平岡だけでなく、このような不正が支店長を含む組織ぐるみで行われていることも示唆していることが、<代助は平岡が語ったより外に、まだ何かあるに違ないと鑑定した。けれども彼はもう一歩進んで飽あくまでその真相を研究する程の権利を有もっていないことを自覚している。>(前掲書25頁)という記述からうかがわれる。企業の不祥事に巻きこまれ、詰め腹を切らされたサラリーパーソンの物語としても『それから』を読み解くことができる。