【大相撲】大阪場所を無観客開催ではなく中止すべきだった理由

2020.03.03

社会

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新型コロナウィルスの影響を受け、3月8日から始まる大相撲大阪場所が無観客で開催すると発表された。東京マラソンも一般ランナーの参加が中止されながらも開催へと舵を切る中、政府の大規模イベント自粛要請を受けてスポーツでは野球のオープン戦もサッカーJリーグも無観客試合での開催となった。コンサートなどのイベントも軒並み中止、無観客での開催へと変更されるなか、果たして相撲協会の今回の決定を私たちはどう評価すべきなのだろうか。

無観客でリスクは低減するのか

徳勝龍の初優勝に沸いていた2月上旬頃、大阪場所の開催を危惧する声はまだそれほどなかった。だがこの1か月あまりで日本におけるコロナウイルスを取り巻く状況は激変。あの当時、果たして誰が小中高のすべてに対して休校要請する事態に発展すると予想しただろうか。リモートワークがキーワードとして取り沙汰されることになると予想できただろうか。

政府の対応の是非はこの記事では言及しないが、コロナウイルスの感染拡大について全く無視できない状況になったということは紛れもない事実だ。そしてこれを受けて相撲協会はリスクと相撲ファンの期待を勘案し、難しい決定を下さざるを得ない状況になった。どれだけ難しかったかは、他のイベントが比較的早く決定を下したのに対して、大阪場所については開催1週間前まで決定が遅れたところからも分かるだろう。

だが、果たしてこの決定で良かったのだろうか。まず、感染リスクについて考えてみよう。

他のスポーツイベントと比べて大相撲の感染リスクが相対的に高い理由が一つある。野球もサッカーも、2チーム合わせても50人程度だが、大相撲は仮に無観客で開催したとしても1000人前後が関わるということだ。力士の人数だけでも700人近くいる上に、親方も100人余りいる。加えて報道陣や撮影スタッフなどを加えると相当な人数になるのである。

この人数が15日連続で、同じ会場で競技する。それだけでも大きなリスクだが、相撲部屋ごとに宿舎が異なるという点も見過ごせない。会場まで移動する必要がある上に、宿舎では部屋関係者以外の人とも接触することになる。関わる人数が増えればそれだけリスクが高まる。

通常であれば公共交通機関を使うところだが、このリスクを受けてタクシーでの会場入りが発表されている。だがそれはあくまでも交通機関による感染リスクを低減させるに過ぎない。リスクは無数に存在しており、人と人とが関わる以上低減はできても根絶はできない。要は感染するリスクを抱えた状態での開催を余儀なくされるということだ。さらに恐ろしいのは私のような素人ですらリスクが幾つも目に見えているということだ。

打ち切りの場合厳しい批判は避けられない

一人でも感染者が出たら場所は打ち切りとなることも公言されている。もし、このような形で場所が中止されたとしたら果たしてどうだろうか。日馬富士の暴行事件から続く不祥事の影響で、大相撲を見る目はさらに厳しいものになっているのである。しかも、その原因は世間の間隔から著しく乖離した相撲協会の体質に起因している。

誰か感染者が出たならば、間違いなく相撲協会の甘い見通しに対して厳しい批判は避けられないところだろう。これは感染者が出たから中止、ハイおしまいでは全く済まされない話なのである。

この騒動で相当多くの人が苛立っていることも見逃せない。トイレットペーパーが不足しているというデマを流したとされる人物を特定して袋叩きにしたり、品薄な商品を高額で販売している人物を罵ったりと、負の力の向けどころを探しているという状況なのだ。震災の時は建物が崩落したり多くの人が亡くなったり、電力に至るまで危機に瀕しており各自が生きることに必死だったのだが、今回は大多数の人が健康で生活インフラにも影響が出ていないという中での出来事なだけにエネルギーが有り余っている。

つまり騒動が落ち着くまでの間、手近に叩ける対象はヘイトを集めやすいということだ。そして相撲協会がもしここで感染者を出してしまったとしたら、相当な批判を受けかねないのではないかと危惧しているのである。

信用を地に落とすリスクと引き換えの決断

今回大阪場所を中止しても、批判はされなかったことだと思う。というのも、直前に「無観客か、中止か」という記事が出た時に「中止は絶対にありえない」という論調にはならなかったからだ。多くのイベントが通常通りに開催しないという決定を下すなかで、中止という選択肢は多くの人にとってありうるものだったということだ。

無観客というのもまた、自然な選択肢の一つだと言えるだろう。だが、中止であれば大相撲の開催が理由で感染するリスクが消滅するのに対して、無観客では実はリスクが無数に存在しており、仮に感染者が出てしまったときに後追いで多くの人がリスクに目を向けることになる。そしてそのリスクを許容したのがあの相撲協会だとしたら、人々の反応は容易に予想できるだろう。

相撲協会は、こうしたリスクに目を向けていたのだろうか。そして、世間の協会に対する心象を理解していたのだろうか。

相撲を開催することそのもののリスクと、起きてしまった後でのリスク。果たして相撲協会を動かしたのは、いったい何だったのだろうか。観客に相撲を届けるためだったのか、目先の放映権料を手放したくなかったのか。それは分からない。だが、いかにその精神が高尚だったとしても、15日間を仮に完走できたとしても、無観客での開催というのは大相撲の信用を地に落としかねないリスクを負う選択であることは間違いない。相撲を愛し、相撲に救われてライターになった身としては、素人目にも見えるリスクがいくつもある状況での本場所開催は賛成することはできない。

もっとも相撲ファンに大相撲を届けたいという想いから開催に踏み切ったのだとしても、仮に途中で本場所が終了してしまったとしたらどうだろうか。優勝の扱いはどうするのか。同点だったとしても感染者が出たら中止は決定しているので決定戦はできない。あとは途中終了になってしまったときに翌場所の番付はどうするのか。偶数日に終わったとしたら、白星黒星が同じになる力士が続出することになり、上げるわけにも下げるわけにもいかなくなる。番付編成という実務的な部分でも大変な混乱が生じることになる。相撲ファンのために開催を踏み切りながら、途中で場所が終わるとその相撲ファンを白けさせかねないリスクも少なからず存在しているのである。

だとすれば、果たして誰のために大阪場所は開催するのか。

仮に感染者が出たとすると、今の相撲人気は良くも悪くも不祥事が起きても動員や視聴率にあまり影響は出ない。だが、本当に恐ろしいのは今相撲を支えているのは高齢者だということである。不祥事に対する相撲ファンと非相撲ファンによる受け止め方が大きく異なっており、不祥事を重ねると非相撲ファンが今後相撲を観る・興味を抱く可能性を奪いかねない。だからこそ、将来のファンたる非相撲ファンに対してマイナスな印象を与えないように立ち振る舞う必要があると私は思う。

一番気の毒なのは、全ての力士だ。彼らは土俵に集中できないなかで、リスクある決断に従わざるを得ないのである。そして何よりコロナウイルス感染を絶対に避けなければいけないというストレスを抱えながら相撲を取らねばならないのだ。最悪の事態が起きた時は世間から冷たい目で見られることになる上に、自分たちが協会に残ったときには相撲の人気は彼らのこの決定のために低下することも予想される。こんな損な立場が他にあるだろうか。

良くも悪くも歴史的な大阪場所へ

千秋楽は3月23日だ。2週間足らずで状況は大きく変化する。

大相撲開催が感染の拡大を助長してはならないからこそ、仮に感染が拡大したとしたら中止という判断も時には必要になると思う。ただ、こういう状況だからこそ大相撲を見てくれる人もいるだろう。そして彼らに届く相撲を取ってほしいとも思う。コロナウイルスの流行と無観客という異常な環境の中で大相撲が開催される。良くも悪くも歴史的な大阪場所に立ち会うことになる。どんな結果になろうとも、語り継がれる場所になることは間違いない。力士たちの頑張りに期待しながら、一方で中止をも望むことなど今後まずないからである。

相撲よりも大事なことがある。だが、相撲にしか見せられないものもある。

決まった以上は素晴らしい相撲を見せてほしい。そして、15日間を無事で終えてほしい。正しい判断とは言い難かったが、開催したからこそ得られたものがあった大阪場所だったと振り返ることができたらこんなに嬉しいことはない。