コロナ革命か? 9月入学は社会を変える

2020.05.13

社会

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新型コロナウイルス拡散が止まらず学校の休校が長引いている。保育園、幼稚園、学童保育、小学校、中学校、高等学校、専門学校、大学まで、様々な形で影響が出ている。教育に関して多くを語りたいが、ここでは、にわかに浮上した9月入学について述べたい。 大学の9月入学の議論は以前からあったが、初等・中等教育の9月入学に関して、マスメディア、国会、全国知事会などで、これほど活発に取り上げられたことはなかったように思う。大阪の高校生がツイッターで「日本全ての学校の入学時期を4月から9月へ」と呼びかけたことが契機となったらしい。高校生の勇気ある行動に拍手を送りたい。長いこと大学教育の現場にいた者として、以前から9月入学に大賛成だったので、恥ずかしいかぎりだ。

東京大学9月入学構想は途中で頓挫

今から9年前、東京大学で各学部の4月入学を廃止し、欧米の主要大学と同じ9月~10月入学への移行を検討する懇談会が立ち上がった。その中間報告が2012 年1月に発表、4月に報告書が提出された。その報告書に記載されている9月入学のメリットとデメリットの骨子は次の通りだ。

1)我が国の4月入学制度は「国際的に特異」。

2)欧米と同じ秋入学(9月~10月)に移行することで、留学生の送り出し・受け入れがスムーズになり、国際流動性が高まる。

3)大学入試は1月~3月、高等学校卒業は3月なので、大学入学までの半年間の「ギャップターム」が生じる。

4)企業や官庁の採用が4月なので、大学卒業後の半年間の「ギャップターム」も生じ、高等学校卒業から就職まで5年を要することになる。

東京大学が9月入学を検討したことにより、地方国立大学法人も、それならば、と独自に9月入学制度を検討し始めたのである。しかし、東京大学がせっかく揚げたアドバルーンをいつの間にか降ろしてしまい、地方国立大学法人も東京大学に右向け右にならってしまった経緯がある。この9月入学の議論は、たかが入学制度の改革に留まらず、我が国の教育改革にも通じるものであり、東京大学の頓挫は誠に残念であったと言わざるを得ない。せっかくの議論の機会を、議論のための議論で消滅させた東京大学の責任は大きい。

9月入学が難しかった理由「ギャップターム」は本当にデメリットか

東京大学の9月入学構想が、結局、議論だけで終焉した最大の理由は、半年間の「ギャップターム」の問題が重くのしかかったためと推測できる。この「ギャップターム」は、東京大学の9月入学検討懇談会が作った和製英語だ。もともとは、イギリスのギャップイヤー(Gap Year)制度なるものに由来する。大学に入学する前の一年間、あるいは卒業後の一年間、会社などでのインターンシップ、海外留学など、大学では得られない多様な経験を積む期間を指す言葉だ。イギリスでは、一般的に卒業履修期間は3年であるので、このギャップイヤーを入れて4年ということになり、我が国の大学卒業履修期間4年に並ぶことになる。

さて、仮に大学だけ9月入学を実施した場合、上記のように、それぞれ半年間のギャップタームが生じる。入学前のギャップタームは、受験競争で染み付いた偏差値至上主義の価値観をリセットでき、本当の勉強は入学後から始まり、何をどう学ぶかを考える絶好の機会になるはずだ。また、卒業後のギャップタームは、実社会に歩む出すための心構え、これからの人生設計を考える貴重な機会となるように思う。したがって、ギャップタームは決してデメリットではない。

ただし、問題は、高校卒業から就職までの期間が5年に延び、学生の負担が増してしまうことだ。これを避けるためには、イギリスのように卒業履修期間を3年として、ギャップイヤーを一年とすればいいのだが、それには思い切った我が国の教育改革が必要になる。

実現しなかった東京大学の構想は、他大学の入学卒業時期、高校の入学卒業時期、企業への就職時期、企業の採用活動などの議論に一石を投じたのは事実だった。しかし、我が国の小学校、中学校、高等学校全体を含めて、9月入学を国を挙げて議論する機会にはならなかったことは極めて残念であった。最高学府の東京大学といえども、力不足であったと言えるかもしれない。

コロナパンデミックが国を挙げての9月入学議論に火をつけた

現在、コロナパンデミックによる長引く学校休校で、生徒、親御さん、現場の教師、教育委員会、自治体などが疲弊している。休校の現状は次のとおりである。

1)休校を続けている学校もあれば、そうではない私立学校や地域によっては再開している学校もある。

2)休校に伴いオンライン授業の実施が検討されているが、地域によってオンライン授業に対応できるところとそうでないところがある。

3)3月、4月以降の授業の遅れをどう取り戻すか対策が必要である。

4)休校長期化で、地域によって学力格差が生じているとの懸念が保護者の間で広がっている。

5)休校がいつ解除されるのか分からない。

6)教育現場の生徒も教師も右往左往、どうしたらいいのか分からない。

このような状況下、学ぶ機会の格差そして地域格差を埋めようと、複数の地方自治体の首長から9月入学を検討すべきとの意見が出され、全国知事会でも議論された。賛否両論があったようだが、どの知事からも我が国の大きな課題であるという点において否定的意見はなく、9月入学の検討を国に要望することで意見が一致したことは歓迎すべきだ。

小池東京都知事は、「中世の時代、ペストの後に起きたのがルネサンスであり、9月入学制度の導入は社会改革をもたらす」と話し、吉村大阪府知事も黒岩神奈川県知事も「実現させるならこのタイミング、今できなかったらこの後ずっとできない、今やるしかない」と強調した。まったくそのとおりだ。9月入学の議論に火がついたと言わざるを得ない。

混乱覚悟の9月入学制度改革

教育改革は、保育園、幼稚園、学童保育、小学校、中学校、高等学校から大学を眺め、またその逆である大学から初等・中等教育を見つめ、その教育体制全般を改革する必要がある。

9月入学についていえば、東京大学のアドバルーン打ち上げは、いわばトップダウン、今回の高校生のツイッターや全国知事会の要請は、ボトムアップともいえる。コロナパンデミックによって両方がドッキング、9月入学を検討する機運が高まったと考えるべきである。この絶好の機会を逃してはなるまい。

繰り返すことになるが、9月入学のメリットは次のとおりである。

1)日本の教育のグローバル化・国際化が進展する(トップダウンの立場)。

2)休校期間による学習の遅れを取り戻すことができる(ボトムアップの立場)。

3)生徒の健康と安全を守れる(ボトムアップの立場)。

一方、デメリットは次のとおりだ。

1)入学が半年遅れ、卒業が半年遅れる(ギャップタームが生じる)。

2)ギャップタームの間の過ごし方が難しく、幼稚園、学童保育などで待機児童が増加。

3)学校教育法、地方自治法などの法律改正が必要で、関係省庁や地方自治体との調整に伴う膨大な事務作業が発生する。

4)日本に定着している4月から3月の「年度制」とズレが生じる。

デメリットを克服し、メリットを実現することは極めて大変なことであり、9月入学導入は混乱を起こすであろう。しかし、今、世界的に未曽有の大混乱がすでに起きている。そういう時にしか社会は変わらないように思う。改革には混乱が付き物だ。その混乱を恐れては、改革はできない。

おわりに

9月入学について、安倍総理は「これぐらい大きな変化がある中で、前広にさまざまな選択肢を検討していきたい」と語った。それを信じたい。萩生田文科相は、「文科省内では一つの選択肢、考えていかなければならないテーマとして、さまざまなシミュレーションはしてきている。オールジャパンで子どもたちの学びを確保するために、もう、これしかないんだ、と本当に一緒に考えて頂けるのだとすれば、一つの大きな選択肢にはなっていくと思う」と述べている。この発言は、あたかも国民任せのように思えなくもない。確かに9月入学改革を、社会全体の問題として国民一人ひとりの共通認識として位置づける必要がある。不祥事の続いた文科省の覚悟に期待したい。

9月入学の議論は我が国の社会を大きく変えるほどの大教育改革、それも制度上の改革だ。大事なことは、その制度改革の議論の中で、より精神的な視点からの議論を忘れてはならないことだ。

教育は、我が国の存亡を左右する極めて重要な根幹をなす。「国家百年の大計」だ。社会のすべての問題や課題は、結局は教育の問題や課題に帰結される。我が国が良くなるのも悪くなるのも、根本的には教育の問題だ。人間が人間を教えるのだから、教育は誠に難しい。

人づくりは、工業製品をつくるのとは本質的に異なる。教育は精神に深く関わる作業だ。「教育再生」の議論が活発だが制度や仕組み、学びのマニュアルをいくらいじっても、「教育再生」には繋がらないように思う。 教育はただ学校に行けばいいのではない。何をどう学ぶかが大きな問題だ。ただ答えを求める知識の詰め込みでは、真に学ぶことにはならない。答えを導くまでのプロセスが重要だ。学ぶということはそんなに簡単なことではない。だから「学歴」ではなく、「学」と「歴」の間に「習」を挿入した「学習歴」が大事だ。そのような視点から、「教育再生」の議論をしなければいけない。

世の中には、金や物、地位や名誉よりもっと大切なものがある。目に見えない光や色がある。それは、こころや魂と言っても良い。精神が重要だ。「こころある人を育てる教育・人づくり」は、我が国の盛衰に関わる重要課題だ。「人づくり」ができない国に未来はない。