スポーツを再開するリスク、再開しないリスク 国民に受け入れられるか否かが問題

2020.05.22

社会

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無観客で開催された2020年プロ野球オープン戦(2月29日) 写真:ロイター/アフロ

新型コロナウイルス感染の鎮静化に伴い、休止または開幕が延期されてきたスポーツの再開が取り沙汰されている。プロ野球などすでに再開を調整中のプロスポーツが存在するとの報道もあるが、無観客での想定のためプロスポーツの平常運転に向けてはまだまだ時間を要するのが実情だ。

 

一方で角界では現役力士が新型コロナ感染の影響で亡くなるという事例も確認された。20代でも亡くなるリスクが露見したなかで果たしてスポーツは再開すべきなのだろうか。そして再開する場合は何を考慮せねばならないのだろうか。

再開の妥当性をどう説明するか

5月14日、39県で緊急事態宣言が解除された。約1カ月の自粛生活は大きなストレスを強いるもので、また強制力が無いことから他国と比較して効果が不安視されるものではあったが、成果を見ればその効果は確かなものであった。深刻な打撃を受けている経済を考慮すると、段階的な自粛解除という選択を取るのは現実的であろう。

さて、この段階的な自粛解除の機運が高まるなかで今話題になっているのが、スポーツ再開の可否だ。ひとつは、すでに具体的な日程まで報じられているがプロ野球である。6月19日の開幕に向けて感染対策も含めて協議が進められており、今後急激に状況が悪化しなければ開幕は実現するものと予想される。

ただ、果たしてスポーツは再開していいのだろうか。未知のウイルスの蔓延という事態が発生しているのが現状だ。考慮すべき点は幾つかあるが、果たしてそれは実現可能なのだろうか。

まず考慮すべきは、再開の妥当性をどう説明するか、である。

現状では緊急事態宣言が解除されていること。そして該当地域の感染者が緊急事態宣言解除後も継続的に抑えられているということが挙げられるだろう。つまり、該当の地域で緊急事態宣言解除ライン(直近1週間での10万人あたりの新規感染者数が0.5程度)を継続的に下回っていることを条件とすると、「緊急事態宣言下ではないためにスポーツを再開する」という説明は可能だ。

感染リスクをどう解消するか

競技によっては「3密」が避けられないものもある。また、別のリスクを伴う場合もある。こうした感染リスクをどう解消するかが求められる。

例えば、野球ではキャッチャー、バッター、主審の3人が近距離になるように、必然的に複数名の距離が一定期間狭まることがある。また、格闘技では2人が常に近距離だ。そこにレフリーが居ることもある。つまり競技の根幹に関与する点については変更できないケースがあることは事実だ。ベンチやロッカールームはさらに密だろう。

ただ工夫次第で、あとはファンの合意次第で変えられることもある。プロ野球が今期に限り地域を区切ってのリーグ戦を行う案は、その最たるものだ。長距離移動に伴う感染リスクを軽減できる一方で、ソフトバンク、広島、オリックス、阪神によるリーグ戦という形では楽しみ方が変わることも事実であり、開幕まで猶予が無いなかでこの決断をするのは相当な覚悟が必要である。

さらにはどのように感染者を早期発見するか、という点が挙げられる。

3月の大相撲大阪場所では体温測定結果の報告を義務付け、基準を上回る場合は休場の上で検査という対応を取っていたが、これで果たして十分といえるのだろうか。当時は保健所への相談の目安が37.5度以上を4日以上、強いだるさと息苦しさという基準だったが、5月8日からは息苦しさや強いだるさ、高熱などの強い症状に加えて比較的軽い風邪の症状が4日以上続く場合と改められている。

今後も大阪場所と同じ対応だとすると、果たしてどうだろうか。症状が出ている時点で陽性の可能性もある。そして、隔離する前に関係者と濃厚接触している可能性もあり、そこからクラスターが発生する危険性もある。すでに論じられているのが抗体検査の実施とPCR検査の実施という案だが、医療リソースの確保と検査の確度の問題がある。完璧に感染者を抽出し、クラスターを未然に防止する策は今のところ皆無だ。

国民が受け入れられるか否か、が最大の問題

ここまで検証してお気づきの方も多いと思うが、仮に日本全体で感染者が少ない状況になったとしても、スポーツを無観客で再開するにしても、感染リスクを撲滅することは不可能なのである。つまり、感染リスクを少なからず抱えた状態でスポーツは再開することになるわけだ。

リスクあるスポーツの再開を、国民が受け入れられるか。それこそが、今回の最大の論点ではないかと私は思う。

今回の新型コロナ対応でわかったことは、日本人というのは非常に規律正しく、ロックダウンが無くても自粛指示に従い感染予防を遂行できる美点を持つ半面で、自粛警察に代表されるように周囲に対しても高い水準で規律を求めるように、同調圧力が極めて高い人種だということである。

自分たちが行動を制限されているなかで、精神的にも肉体的にも無理をしているなかで、スポーツが再開される。「3密」が避けられぬ状況で競技に身を投じる彼らを見て、果たして何を思うのだろうか。

当然その競技のファンはそれでも観たいと思うだろう。さまざまな楽しみが奪われているなかで、ようやく自分たちの娯楽が戻ってきたのだから。多少のことは目を瞑るだろうし、ファン以外にも理解を求めることになる。

ただ、少なからず反発は覚悟しなければならない。

もし、医療リソースを選手ほか関係者のために優先されたら。
もし、移動の自粛要請があるなかで長距離移動したら。
もし、スポーツ起因でクラスターが発生したら。

今回だけは、スポーツ界もファンだけを意識すればよいわけではない。国民全員に対して絶えず理解を得るために努力し、常に結果を残さねばならないのである。

これがスポーツを文化としてとらえている国であれば違うのかもしれない。スーパーマーケットでの日用品購入の最中に感染したり、通勤や勤務中に感染したりするのと同じととらえられたとしたら、状況は異なる。必要不可欠だと考えられればスポーツ起因の感染も許容されることになるだろう。

では、プロスポーツや大相撲は娯楽なのか? それとも文化なのか? 再開に向けて、日本人の意識が問われるだろう。

再開するリスク、再開しないリスク

プロ野球における感染であれば、いつもの例だとオールドメディアが守ってくれるはずだ。数々の不祥事が人や球団にのみ糾弾され、野球という競技そのものに対するバッシングにはつながらなかった経緯がある。だが、今回もそれをするとメディア不信だけが募る結果になることは間違いない。それほどまでに自粛で心身ともに消耗し、叩ける対象を探している人は多いのだ。

外食産業で働く友人が、このゴールデンウィーク期間に今までではあり得ないクレームを数多く受けているとも聞く。人が“怪物”と化している今、スポーツの再開は人心をかきむしりかねないリスクをはらんでいるのである。

先月急死した私の父は美空ひばりの照明プランナーを務めるなど長く舞台照明の仕事に携わっていたのだが、事あるたびにこう話していた。

「この仕事は、必ずしも必要ではない」

エンターテイメントというのはまず、生活があって成立するものだ。生活が脅かされている状況で求められるものではない。仕事に誇りを持ち、現役として生涯を終えた父でさえ、そしてその同僚でさえ異口同音にそう語っていた。

だからこそ、私はスポーツの再開については強い危機感を覚えている。再開しなければ競技そのものが終わりかねないリスクがある。だが、再開すればバッシングを受けかねないリスクがある。ただ、再開することによって活路が開ける未来もある。スポーツが観る者の心を動かし、娯楽の枠を超えることによってつながる可能性もある。

今こそ、スポーツの力を。