菅内閣の首相補佐官4名。左から木原稔氏、阿達雅志氏、和泉洋人氏、柿﨑明二氏 写真:首相官邸HP

首相補佐官の役割とは? 菅内閣で初めて純粋な民間人を起用

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発足から約1カ月がたった菅内閣。10月半ばの内閣支持率は50%を超え、行革における押印廃止やデジタル化など改革色の強い政策への期待感は依然として高い。人事においては、二階俊博自民党幹事長や麻生太郎副総理兼財務相など安倍内閣の骨格は維持しつつ、自らの後任となる官房長官に実務型の加藤勝信前厚生労働相を据えるなど手堅い“菅カラー”随所に打ち出している。首相補佐官人事においても、9月末に元共同通信社の論説副委員長だった柿崎明二氏を起用すると発表され話題になったが、この首相補佐官というポジションはほかの閣僚と比べてなじみがない。どんな仕事なのだろうか。

“首相のブレーン”首相補佐官の給与は大臣政務官並み

内閣総理大臣補佐官、通称「首相補佐官」は内閣官房の官職の一つで、首相直属のスタッフとして首相肝いりの政策や広報などを担う役割。定員は5人で、国会議員でも民間人でも就くことができる。

歴代内閣では自らに近い側近議員や官僚出身者を充てることが多く、安倍晋三首相が退任する直前は衆院議員2人が「ふるさとづくりの推進及び少子高齢化対策」と「国家安全保障」を担当。国土交通省出身の和泉洋人氏が国土強靭化、経済産業省出身で内閣広報官などを歴任した長谷川榮一氏が広報や中小企業政策、同じく経産省出身で安倍首相の秘書官を務めた今井尚哉氏が政策企画の総括担当として首相補佐官を務めた。

首相補佐官は内閣官房参与と同じく“首相のブレーン”と呼ばれるが、内閣官房参与は純粋に政策に関するアドバイスを求められるのに対し、首相補佐官は政党や各省庁との連絡や調整役を担うことが多い。そのため、内閣官房参与には各分野の専門家が多いのに対し、首相補佐官には国会議員や官邸官僚が多い。民主党政権時代は全員、国会議員だった。

ちなみに、首相補佐官の給料は年収ベースで約2357万円。各省庁でいうと大臣、副大臣に次ぐ大臣政務官並みの給与で、官僚としては各省庁の事務次官に肩を並べる水準だ。

最初は首相の私的な相談役、1996年に法制化

首相補佐官のルーツは1993年の細川内閣が設けた首相特別補佐制度だ。特に根拠となる法律は無かったものの、後に経済企画長官となる衆院議員・田中秀征氏が首相の私的な相談役として官邸に常駐した。田中氏は細川護熙首相の日本新党ではなく、新党さきがけ所属だったが、細川氏に近く細川政権樹立の立役者の一人とされている。

1994年に発足した村山内閣でも首相補佐制度を設け、衆院議員3人を起用。続く橋本内閣で首相官邸の機能強化の一環として初めて首相補佐官が法制化された。当初の定員は3人で、2001年の法改正で定員が5人となった。

初期のころの補佐官として有名なのは元外交官で、2020年4月に新型コロナウイルス感染症により亡くなった岡本行夫氏だ。岡本氏は外務省で対米外交の中心役となる北米第一課長を務めた後に退官。親米派の外交評論家として活躍していた1996年、元総務庁長官の水野清氏とともに首相補佐官第1号に任命され、1998年まで沖縄担当、2003年~2004年まではイラク担当を務めた。特に沖縄担当として米軍普天間基地移設問題の最前線で活躍したとされている。

純粋な民間人の起用は初めて。柿崎氏とは

9月に発足した菅内閣の顔ぶれはどうか。菅首相は安倍政権時代の5人のうち、衆院議員1人と長谷川、今井両氏を交代させ、新たに阿達雅志参院議員と共同通信論説副委員長だった柿崎明二氏を起用。留任する木原稔衆院議員、和泉氏とともに4人体制とした。阿達氏は経済・外交担当、柿崎氏は政策評価、検証担当としている。

中でも注目を集めるのが柿崎氏だ。柿崎氏は毎日新聞社を経て、共同通信に入社。政治部記者として首相官邸や自民党、民主党、外務省などを担当し、政治部次長(デスク)や編集委員、論説委員を経て2019年から論説副委員長を務めていた。

首相補佐官制度の開始以来、マスコミ出身者の就任は初めて。そもそも国会議員や省庁出身者以外の、純粋な民間人自体の起用が初めてである。

しかも、柿崎氏は安倍政権に批判的な論調だったことで知られる。2015年に発売した著書のタイトルは『検証 安倍イズム――胎動する新国家主義』。出演したテレビ番組では安倍政権時代の桜を見る会の問題や森友・加計学園問題をめぐって政権の責任を厳しく追及していた。それが一転、安倍政権の中枢を担った菅義偉首相の側近に転身するというから驚きだ。

柿崎氏起用について、加藤官房長官は記者会見で「長年、報道機関で政治、行政分野の報道に従事し、論説副委員長などを歴任している。幅広い知識と経験を有しており総理大臣補佐官として適任だと菅総首相が判断した」と述べた。菅首相は安倍政権のスポークスマンを長年務め、広報やマスコミ対策の重要性を熟知していることから、マスコミへの根回しを担わせるのではないかとの見方がある。

また、柿崎氏を「政策評価、検証担当」としたことから「自民党政権に批判的な柿崎氏でも菅政権の政策をこれだけ高く評価した」というお墨付きを得るためではないかとの声が出ている。マスコミ関係者の中には「今さら政府側につくのか」と批判する声もある。

柿崎氏は菅首相と同じ秋田県出身で、菅首相が1996年に国会議員となった当時から親しくしていたとされている。秋田出身として初の首相のため、友人のために思想を捨て、協力しようと決意したのか。今後の柿崎氏の活躍、そしてマスコミが菅内閣をどう報じていくかに注目だ。