画像は琴貫鐵のTwitter投稿より

社会

コロナ感染を懸念した序二段力士、琴貫鐵の引退で見逃していること

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大相撲初場所の開催に伴い、新型コロナウイルス感染のリスクから引退を決断した佐渡ケ嶽部屋の序二段力士、琴貫鐵(22歳)のことが話題になっている。勇気ある決断と称賛する声もあるが、われわれは見逃していることはないだろうか。彼は必ずしも悲劇の主人公というわけではなく、相撲界に居続けることとセカンドキャリアのリスクを正しく見積もる必要があったのではないか。

初場所は65名が休場する異常事態

1月9日、序二段力士の琴貫鐵は自身のTwitterで以下のコメントを残しており、波紋を広げている。

琴貫鐵の話によると、移動リスクと相撲を取るリスクを考慮し休場を打診したのだがこれが通らず、やむなく引退という運びになったのだという。

もともと初場所については新型コロナウイルスの蔓延から通常開催に批判的な声が広がっている。風向きが変わったのは白鵬の感染が発覚して以降のことだ。世間の感染爆発がいよいよ大相撲も浸食していることを多くの方が認識したのだろう。

場所の直前に力士・関係者全員に対してPCR検査を実施したところ、初場所は65名の休場という未曾有の事態を迎えることになってしまった。ただでさえ感染者が多いというのに、千秋楽が終わるまでにさらなる拡大を防げるかといえば確かに不安が付きまとう。

日本相撲協会が感染リスクをどのように見積もり、どのような対策をするからこそ開催に踏み切った、という具体的な説明の無い状態であることについては疑問がある。

2010年前後と2018年以降の2度にわたり数多くの不祥事に見舞われた角界だが、古い体質を払しょくすることができず、改革を果たせなかった相撲協会が、またしても突っ込みどころのある対応をしてしまったという意味で多くの方からひんしゅくを買っているという側面は否めない。

琴貫鐵の休場要求を許可できる制度設計は可能か

コロナ感染のリスクがありながら休場を求める力士に寄り添えなかったというで、杓子定規かつ相撲協会の理屈を要求する姿勢に対してさらなる批判を集め、騒ぎは引退騒動に収まらず初場所開催を批判する声につながっている。琴貫鐵はコロナに対して勇気ある提言をしたということで賞賛を集め、彼の存在と主張をもとに相撲協会と本場所開催は窮地に立たされている。

確かに本場所開催の是非については意見が分かれるだろう。感染の拡大と相撲協会の対策を天秤に掛け、リスクを考慮して縮小開催・中止という意見を持つ方も居れば、開催可能と判断する方も居るだろう。

問題はコロナのリスクを考慮し、休場を求めた琴貫鐵の行動についてである。果たして相撲協会は彼の要求を認め、休場許可という判断を下さねばならなかったのだろうか?

結論から言うと、この要求に応えるのは難しいのではないかと思う。理由は、納得のいく制度設計が困難だからだ。

休場するにしても、さまざまなポイントを整備しなければならない。休場を認めるか?という点はもちろん、地位を保全するか、給料は発生するか、休場中にどのようにリスク回避するか、ということを考えねばならない。

仮に地位が保全できるとしたら、感染リスクではない理由で休場を希望する者が現れる可能性が出てくる。これでは出場する力士が番付を落とすリスクを賭けて闘う意味が無くなるだろう。

給料や手当が出ないとしても、そもそも幕下以下の力士にとっては微々たるものだ。一方で関取であれば給料を止めてしまうと生活に支障が出ることもあるが、かといって満額出してはやはり出場するメリットが失われてしまう。

感染リスクを考慮しての休場ということであれば、他の力士や関係者と濃厚接触する可能性を考慮して実家に帰るなどの措置を取らねばならないが、それはそれで感染リスクが発生してしまう。かといってホテルなど極力人に触れ合わない環境を求めても、実力を維持するためのトレーニングは必要だし、人に接触しない生活にも限界がある。感染リスクをどこまで許容するか、ということについては休場希望者ごとに異なる。そこにさえすり合わせが必要になるのである。

そもそも現在の日本においてコロナがどの程度収まれば安心して相撲が取れるというのだろうか。琴貫鐵は2020年7月の段階で移動リスクについて強く言及しているのである。その基準はそれぞれだが、感染リスクがある程度収まるまで本場所を迎えられないというのだとすると年単位で相撲を諦めねばならないだろう。そこまでして果たして現役を続けたいと思うだろうか。

このように多くの力士、というより琴貫鐵個人の希望に合わせたコロナ休場に対する制度設計は困難であることがおわかりいただけたと思う。

力士を引退しても移動リスクはついて回る

原点に戻って琴貫鐵の希望を振り返ると、移動リスクと相撲リスクという2点を回避したいということなのだが、15歳で大相撲の世界に飛び込んだ彼が第二の人生でこの要求を満たすのは困難と言わざるを得ない。

相撲のリスクについては引退すれば避けられるが、移動リスクを懸念するということであればフルリモートの仕事に就くことが求められる。ただ、このような職種は現在の日本ではかなり少数で、しかも経験とスキルが必要だ。誰もが就きたい人気の職種なので競争率も高く、未経験で大相撲の世界からの転職組よりは専門性ある学問を修めた者や中途組の経験者の方が優先して採用されることが予想される。

なお、一般的に考えられる元力士の強みは対人スキルの高さと体の強さという2点だ。そのため元力士の多くが採用されるのは飲食・介護・整体なのだが、いずれも接客業なので人との接触が必要だ。

社会人として生活するとなるとどこかで移動リスクを受け入れねばならないし、人と会わずに生きていくことは困難なので、買い物など短期間であっても接触リスクは受け入れねばならない。

引退の前に検討させることはできたはず

新型コロナウイルス感染は確かに怖い。治療法は確立されていないし、ワクチンの効果も副作用も未知数だ。そのうえ感染力が桁違いで、基礎疾患がある方は重篤化しやすいというリスクもある。そのため、人によっては感染リスクを考慮して引っ越したり転職したりという選択に迫られている。

ただ、感染が怖くても、経済的な理由や仕事上の理由、家庭の事情から誰もがリスクを避けられる訳ではない。リスクある生活を正当化するわけではないが、現実にはリスクを受け入れそのなかで最大限の努力をするという選択を多くの方がせざるを得ない訳である。

琴貫鐵は、大相撲の世界に居ても、セカンドキャリアを歩んでも、現在彼が望むレベルでコロナを回避するための生活を送ることが困難だということは紛れもない客観的事実だ。果たして彼は、自分の経験とスキルを踏まえた上で、大相撲の世界で生きていくことと、引退した後での可能性を検討し“引退”という判断を下したのだろうか。

今回の相撲協会としての対応が正しいとは思わないが、大相撲に残ってもセカンドキャリアに歩んでも彼の希望が叶うことは難しいと伝えられたとしたら、このような摩擦を生むことはなかったのではないかと思う。

一番良くないと個人的に思うのは、この琴貫鐵の決断を、初場所開催中止や無観客開催を推奨し、相撲協会の対応を批判する理由としてダシに使うことである。相撲協会を批判するのであれば、自分の言葉と尺度を元にすればいいだけの話だ。

今回の記事を通じてこの“コロナ引退”には検討の余地があり、悲劇というだけではない視点を持っていただければ幸いである。