2021年3月3日、米バイデン政権における外交・安全保障政策の第一人者・ブリンケン米国務長官が演説で「中国は世界にとって今世紀最大の地政学上の“試練”だ」(the world’s biggest geopolitical test of the century)と発言、さまざまな憶測を呼んでいる。“嫌中派”のトランプ前米大統領は、中国を「脅威」と形容したが、「地政学上の試練」などと少々小難しい表現を使ったことなど皆無だろう。
「test」を「試練」と訳した主要メディアは毎日新聞、産経新聞、NHK、日経新聞などで、一方、朝日新聞、読売新聞、ロイター日本語版、ニューズウィーク日本語版などは「課題」と和訳。「試練」と「課題」では微妙にニュアンスが異なり、前者の方がやや“困難さ”がともなうイメージがある。バイデン政権が強調する「地政学上の試練」の真意とは何か――。
「海洋国家」と「大陸国家」
「地政学」とは、要するに地球儀やグーグル・アースを眺めて、国の地理的優位性やウイークポイントを認識しながら外交・安全保障、さらには勢力拡大の戦略を立てる学問のこと。
ごく簡単な例を挙げると……、日本やイギリスなど島国は海のおかげで外国から侵略されにくいため防衛しやすく、物資輸送や交易に極めて有効な船舶(陸上輸送に比べ水の浮力を応用した船は重い荷物でも軽々と運べる)を駆使した海運が発達、自由航行重視の「海洋国家」になる傾向が強い。
一方、これに対するのが「大陸国家」で、ロシアや中国、大半の欧州諸国は周囲を地続きで隣国と接するため防衛に苦心するが、反面、他国への侵略は容易(ナポレオンやヒトラーの欧州大陸制圧など)。ちなみに旧大陸(アジア・ヨーロッパ・アフリカ)から離れ、地続きで国境を接するメキシコ、カナダともに同盟国のアメリカは、事実上島国のような立ち位置で「海洋国家」と見なされている。
中国はユーラシア大陸東部に位置し、旧ソ連/ロシアと旧大陸での覇権を競う典型的な大陸国家=陸軍国だと思われていた。だが旺盛な経済成長で2010年にGDPで日本を抜き、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国として台頭。潤沢な資金力で軍備、特に海軍力を強化し、瞬く間に正規空母2隻を筆頭に主力水上戦闘艦・潜水艦数350隻を誇る巨大海軍に成長。何と隻数では世界最強のアメリカ海軍を凌ぐ(以下の記事を参照)。
沿岸を警備する海警局(日本の海上保安庁に相当)の強化にも熱心で、満載排水量1万トン超、76mm砲を搭載する、ほとんど軍艦と言うべき“巡視船”も多数配備、2018年には人民解放軍の直轄とし、2021年には海上権益保護のために巡視船の武器使用を正当化する「海警法」も施行、「海警局は“第2海軍”」と指摘する向きも。
海軍力を増強する中国の野望
中国・習近平国家主席が海軍力増強に夢中になる背景には、高成長維持のため産業の裾野が広く、多くの雇用を生む造船所の稼働率をアップ……という公共事業的意味合いもあるようだが、極東アジア、ひいてはユーラシア大陸に君臨する“赤い中華帝国”の建国、という壮大な野望も見え隠れする。
そしてこれを達成するには眼前に広がる西太平洋の支配=制海権確保がどうしても必要なのだが、ここはアメリカの勢力圏。まず自国の目前の海、東シナ海、南シナ海の支配が王道で、となれば前者では日本領の尖閣諸島、後者ではベトナムやフィリピン、マレーシアなどと領有権を争う南沙諸島とその周辺海域(九段線海域)を自国領にし、加えてこの中間に位置する台湾も完全に併合する必要があるだろう。
そしてこの実現のために大型艦の大量建造と対艦弾道ミサイル、極超音速ミサイルの開発を推し進め、中国近海にアメリカの空母艦隊(空母打撃群)を寄せつけない「A2/AD(接近拒否・領域阻止)」戦略も強化――という三段論法に中国はまさに猛進中。昨今、経済新聞をにぎわす「一帯一路」構想や、台湾への軍事的圧力もこの流れに沿ったものだ。
地球儀の“西”を下にして中国を眺めると…
中国の膨張主義や軍拡路線が仮にユーラシア大陸の内陸部だけに向かう話ならば、バイデン政権もそれほど目くじらを立てなかったはずだが、海軍力増強となれば話は別。アメリカの安全保障上、極めて重要な太平洋が脅威にさらされる。この海はアメリカにとって中国が好んで使うまさに“核心的利益”であり、絶対に譲れない。
地球儀の“西”を下にして中国を眺めればわかるが、上に広がる外洋、つまり太平洋に中国が出るには、日本列島~台湾~フィリピン~カリマンタン島(マレーシア)の線の突破が不可欠。だがこのラインはすべてアメリカの同盟国・友好国で、事実アメリカは中国海軍の動きを牽制するため、このラインに沿ってSOSUS(音響監視システム)を構築し中国潜水艦を常時監視しているほどだ。
ただ、中国は外交・安全保障面で競合相手とはいうものの、脱炭素など環境問題などではむしろ協力を仰ぎたいと考えているバイデン政権。それだけにトランプ前大統領が愛用した「脅威」という過激な言葉を使えば必要以上に中国の反発を買ってしまうと判断、意味深長な「地政学上の試練」という難解な表現を選んだのでは、との見方も。そして「地政学上の試練」には、複数の意味が込められているのではと考えられる。
バイデン政権の「試練」に込められたさまざまな意味
まず直球の解釈として前述のように、冷戦終結後に構築したアメリカ主導の世界秩序、とりわけ“太平洋地域はアメリカの勢力圏”に挑む中国、という事象は、“アメリカをはじめとする自由主義世界にとっての試練”という意味。あるいはこれとは全く逆に「強大なアメリカに挑むという中国にとっての(無謀な)“世界規模”の試練」という意味。
一方、地政学では「大陸国家(陸軍国)が同時に海洋国家(海軍国)になりえない」が通例で、他国と地続きで隣接する大陸国家は国土防衛を担う陸軍に精力を注がなければならず、一般的に陸軍の建設よりもさらにコストがかかる海軍の増強を並行するのは無理で、したがって海洋国家にはなれない」という理屈。
そしてこれを踏まえてバイデン政権は、“陸軍国”の中国が通例を無視し、同時に海軍国にもなろうと海軍増強に走る姿に対し、「悪いことは言わないからあきらめた方がいいよ、国家が破綻するよ」との含みも込めて「地政学上の試練」と皮肉っているのかもしれない。しかも、歴史上この通例の例外を達成したのは「第2次大戦以降のアメリカだけ」という“但し書き”すらつく。
トランプ前政権の対中強硬路線をとりあえず継承するバイデン政権の中国政策第2幕はいかに。