急がば坐れ!~全生庵便り

特別編:禅寺に眠る幽霊画~心の奥底をのぞいてみませんか?

2014.9.10

社会

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全生庵では、落語家・三遊亭円朝の命日である8月11日をはさむ1ヵ月間、円朝を弔う「円朝まつり」を開催。この期間は、”円朝コレクション”と呼ばれる幽霊画数十点が展示され、毎年多くの人が訪れる。でもなぜ、禅寺に幽霊画が? 今回は禅語を離れ、幽霊画について平井住職に話を聞いた。

落語界の大名跡が芸の肥やしに集めた? 円朝コレクション

怪談の代表作「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」「乳房榎(ちぶさえのき)」の原作者として知られる落語家・三遊亭円朝。”円朝コレクション”として知られる幽霊画は、円朝が芸の肥やしのために集めたといわれているが、本当のところはわかっていない。一説によると、柳橋の料亭で怪談会を催したときの「百物語」にちなんで、百幅の幽霊画を集めはじめたと伝えられている。

円朝は、全正庵の開祖である思想家・山岡鉄舟の禅のうえでの弟子であったことから、その遺骨は今も鉄舟とともに全正庵に眠っている。明治33年に亡くなった後、その名跡を継ぐ者はなく、円朝の一大パトロンであった藤浦家に財産のすべてが渡る。その藤浦家が、全正庵で行った円朝七回忌法要に際し、供養として所有する幽霊画の半分にあたる50点を寄贈したのだという。

ちなみに、藤浦家に残った50点は関東大震災の火災ですべて消失。100点すべてが全正庵に渡っていれば……と悔やまれる。

幽霊画
左:「月に柳図」光村、中央:「幽霊図」円山応挙、右:「怪談牡丹燈籠図」尾形月耕

平井住職が解説する幽霊図 3選

「幽霊図」円山応挙――日本一有名な幽霊画

「”美しい幽霊画”と言われたりしますが、よく見ると目に感情がなく、怖さを感じる絵です。応挙がどんな気持ちでこの幽霊を描いたのかはわかりませんが、やはりなんらかの思いを持った女を描いたのでしょう。実はこれと同じ幽霊画がほかに2点存在し、カリフォルニア大学バークレー校美術館にある1点には応挙の款記と印章があるので、全正庵のものは下書きだと言われています」

「怪談牡丹燈籠図」尾形月耕――円朝の怪談から生まれた幽霊画

「円朝が自分で作った怪談にちなんで、絵師に描かせた幽霊画。幽霊となったお露が、後を追って死んだ乳母お米の亡霊とともに大好きな新三郎のもとへ通って来る場面を描いたものです。この絵のお露とお米は恐ろしい姿ですが、話のなかで新三郎は2人を生前のままの姿で見ることになります。毎夜訪ねてくる美しいお露を新三郎は抱いてしまうのですが、ほかの人にとって2人は骸骨にしか見えない。新三郎の想いがお露を美しく見せてしまったのでしょう」

「月に柳図」光村――何に見える? 人の心を試す幽霊画

「これは、騙し絵と呼ばれるものですが、実際に作者がそれを意図して描いたのかはわかりません。月と柳と雲が描かれただけの風景画でありながら、見方によっては人だか幽霊だかわからないような横顔が浮かび上がってくる。まさに見る側の意志によって左右される絵です。人の心が一度あることにとらわれると、なかなかそこから抜け出せないということを教えてくれる面白い作品です」

切っても切れない幽霊画と怪談

江戸時代には、夏のイベントとしてよく”怪談会”が催されていた。今でいう肝試しである。怪談は日常の楽しみのひとつとして大切にされ、趣味人たちは料亭や自宅に落語家と聴衆を招き、肝試しを兼ねた怪談会を楽しんでいたのである。彼らは、絵師にこわ~い幽霊画を描かせて怪談会へ持ち寄り、「俺の幽霊画、怖いだろ」と競っていたとか。

日本で最も古い幽霊画は、円朝コレクションのひとつ、円山応挙(1733~1795)が描いた「幽霊図」だ。乱れ髪の美人な幽霊は応挙の妻がモデルである。”幽霊には足がない”というイメージは、この幽霊画に足が描かれなかったからだといわれている。当時の人々にとって、幽霊とはどんな存在だったのだろうか。

「幽霊というと、怨みや憎しみからくる恐ろしい存在と思われがちですが、幽霊画に描かれているのはそれだけじゃない。『牡丹灯籠』に登場するのは、新三郎が好きなあまりに焦がれ死んだお露という女性の幽霊だし、『怪談乳房榎』は、滝壺に投げ落とされたわが子を助けにいく幽霊。そこに愛情はあるけれど、邪悪な感情はありません。そういったさまざまな人間の強い思いが描かれたのだと思います」(平井住職)

幽霊は人の”思い”の産物

江戸時代に生きた人々のなかでも、特に女性たちは社会的環境として今よりも感情を抑圧されることが多かった。また、医療や科学が発達していなかったため、命がけのお産や病気などへのたくさんの”恐れ”が存在し、死が今より身近な存在であった。そうした環境のなかで、直感的に生きていた彼らは現代人よりもずっと感覚が鋭く、幽霊というものも身近な存在としてあったのではないか。幽霊画は、そういった江戸時代の人々の純粋な感情が描かれたものなのかもしれない。

「よく、幽霊は本当にいるのですか?と聞かれるので、私は”いる”と答えます。それは、幽霊が実際に存在するという意味ではありません。見る者の心情が幽霊を見せるということです。光村という絵師が描いた『月に柳図』は、一見、月と柳と雲が描かれたただの風景画です。しかし見に来た人たちは、これのどこが幽霊画なんだ?と目を凝らし、絵のなかに幽霊を探し始めます。すると人の横顔が浮かんでくる。そして一度、横顔だと思ったらもうそれにしか見えなくなる。怪談『真景累ヶ淵』も、主人公のうしろめたい気持ちが何の罪もない女性に恐ろしい姿を見せ、しまいにはその好きな人を殺してしまいます。つまり、幽霊とは人の”思い”の産物だということ。やましさや執念、罪の意識、愛憎など、人間のさまざまな思いが人に幽霊を見せてきたのではないでしょうか」

円朝が怪談や幽霊にこだわった理由は、そういった人間の思いや生き様を落語という形で人々に伝えていきたかったからではないか。怪談ばなしは、われわれが思う”怖いもの”という以上に、もっと奥の深いもののようである。

全生庵までのアクセス

住所:台東区谷中5-4-7

最寄り駅:JR・京成電鉄 日暮里駅より徒歩10分/地下鉄千代田線 千駄木駅(団子坂下出口より徒歩5分)

 

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