美を追究し、「BEAUTY INNOVATIONS FOR A BETTER WORLD(美の力でよりよい世界を)」を企業使命に掲げる化粧品大手の資生堂は、2019年から研究所のオープンイノベーションプログラム「fibona(フィボナ)」に取り組んでいる。それによって創業150年を迎えた資生堂に起きた変化とは何か。「fibona」の立ち上げからかかわっているプロジェクトリーダーの中西裕子さんに聞いた。
既存の研究開発スタイルからの進化
2019年4月、資生堂は横浜・みなとみらいに最先端の研究施設「資生堂グローバルイノベーションセンター」(GIC)を開設。一般開放エリアである美の複合体験施設「S/PARK(エスパーク)」も併設した同施設は「美のひらめきと出会う場所」をコンセプトとした都市型オープンラボだ。オープンイノベーションプログラム「fibona」はGICを拠点とし、同年8月に本格稼働している。
fibona(フィボナ)
2019 年から開始した、化粧品・美容だけでなく新領域の研究や事業化を目指す、資生堂研究所のオープンイノベーションプログラム。「スタートアップ企業とのコラボレーション」「生活者とのコラボレーション」「スピード感のあるβ版の市場投入」「新たな研究風土醸成」という4つの活動で構成される。プログラムごとに資生堂内の研究、事業等の各部門が参画する。現在スタートアップ企業との連携は4期目を迎えている。
- 第1期(2019年4月)募集テーマ「Beauty Wellness」で連携先を決定
- 第2期(2021年11月)募集テーマ「Beauty Wellness」で連携先を決定
- 第3期(2021年12月)募集テーマ「Medical Beauty」で韓国にて開催、連携先を決定
- 第4期(2022年8月)募集テーマ「メディカルビューティー技術/ホリスティックビューティー技術」で中国にて開催
「『fibona』は、GICのコンセプトを体現するようなプログラムができないか?というところから立ち上がりました。これまでも資生堂は国内外問わず、大学や企業との共同研究はありましたが、スタートアップ企業や生活者との接点は必ずしも多くはありませんでした。『fibona』はそういった点にもアプローチできるプログラムとして設計されました」(中西裕子さん、以下同)
なぜ積極的にオープンイノベーションを採用し、スタートアップ企業との協業に踏み込んだのか。研究員としてのキャリアも持つ中西さんは当時、ある種の危機感を抱いていたという。
「2015年から資生堂は『世界で勝てる日本発のグローバルビューティーカンパニー』 となる目標を掲げました。現在ではさらに、企業使命『BEAUTY INNOVATIONS FOR A BETTER WORLD(美の力でよりよい世界を)』のもと、生涯を通じて一人ひとりの健康美を実現する『PERSONAL BEAUTY WELLNESS COMPANY』になることを目指しています。
これまでは研究開発の対象は肌そのものや化粧品が中心だったのが“美”全般にシフトしたわけです。そうなると、化粧品は得意分野でも、そのほかについては知見やノウハウが不足していると感じる部分が出てきました。世の中の変化のスピードも加速していますし、従来型の研究開発のスタイルに限界があるのではないかという思いに至ったのです。『fibona』を立ち上げた背景には現状の資生堂の研究開発スタイルを進化させたいという狙いもありました」
スタートアップ企業との協業で得た教訓
新領域の研究や事業化を目指す「fibona」では、立ち上げから現在までの約3年で、計4期にわたってスタートアップ企業を募集。各期では毎回多数の応募があり、現在までで9社が採択されている。
「パートナーを決める基準は大きく2つあります。ひとつは資生堂に無い技術やアセット(資産、長所)を持つ会社であること。もうひとつは“ビューティー”や“美容”という分野に関心を持ってもらえるかということです。
例えば、現在協業しているSCENTMATIC(セントマティック)は香り体験システムを開発されています。協業にあたっては、それを化粧品や香水をテーマにして活用することに関心があるかどうかというのが大きな分かれ道だったと考えています。同じように、足元の動きを計測・解析する独自のセンシング技術と靴を組み合わせたスマートフットウェアの開発をされているno new folk studio(現 ORPHE)との協業は、足の動かし方が姿勢や肌など美しさにつながるポイントに接点や関心を持っていただけるか、といった点がパートナーとして選定する重要なポイントでした」
オープンイノベーションはまだ実証実験が主だが、そのなかで、スタートアップ企業からはいろいろな教訓を得られているという。
「特に気づかされたのは研究開発のスピードやサイクルの早さです。これまで資生堂では年単位の長期的な視点で、“完璧なもの”を目指して研究開発を行っていました。例えば化粧品ですと世界中に出せるクオリティにして、量産化も可能にして出す……というのが普通だったのです。しかし、スタートアップは資生堂が年単位かけるような研究を3カ月ほどで行ってしまいます。『1回試してみよう』という考えなんですね。
そうなるとフィードバックも早いので『こうリバイスしていこう』とか『研究をこっちの方向性に変えよう』といった判断がすぐできるのです。われわれがこれまで取ってきたやり方以外にも方法はあるのだとわかったのは大きな成果でした」
協業で活かせる資生堂の強み
スタートアップ企業から教訓を得ることができた一方で、資生堂ならではの強みも実感することができたと中西さんは語る。
「スタートアップ企業の方々には資生堂の基礎研究に対するアセットに大きな魅力を感じていただけました。「Skin Beauty INNOVATION」の研究領域には「皮膚科学」、化粧品の色や固さ・性能といった材料工学的な研究「マテリアルサイエンス」、脳波などを調べて感性や心地良さを研究する「感覚・心理」などが含まれています。
例えば、皮膚のたるみはどうして起こるのか、それに対応する薬剤を開発したり、マッサージ法などを考えます。ほかにも化粧品のテクスチャ(肌に乗せたときの質感)を感性工学的に研究したり、高級感を醸成する商品パッケージの重みを追求したりするのも基礎研究の一部です。基礎研究とはいえテーマが幅広いのが特徴で、すべては“心地良さ”につながるものです。
長年積み重ねてきた知見やデータの精度にとても喜んでいただけることもありますし、GICのような研究施設があるということにも驚かれます。そういった自社の強みをあらためて実感できるという点でもオープンイノベーションを実施する意味があるのかなと思っています」
好きな香りを言語化「香り体験システム」
製品・サービス化に向けてスタートアップ企業との協業のなかで実を結びつつあるものもあり、前述のSCENTMATICとのコラボもその一つ。
資生堂とSCENTMATICは、オープンイノベーションプログラムのなかで超感覚体験イベント「資生堂 fibona × セントマティック Experience KAORIUM 2022」をS/PARKで開催(2022年7月14日~10月14日)。化粧品をベースにした香りを複数嗅いで、感じた印象などをキーワードから選んで回答していくと、自身がどのような香りを好むのかをAIが診断・言語化してくれるユーザー体験コンテンツだ。普段は目に見えない香りが言葉として可視化されることで、香りの感じ方も変わる点が興味深い。S/PARKで期間限定での一般公開は終了したが、今後、他の資生堂の施設でも体験できる機会を検討しているという。
「香りには心地良さを与えたり自律神経に及ぼしたりする作用があるという研究結果もあります。。それは身体にも影響しますし、肌と身体とこころは相互に関連し合い、“美”につながっていくものと考えています」
定義できない“美”の概念
肌と身体とこころの関連について、資生堂は「PERSONAL BEAUTY WELLNESS COMPANY」を掲げたことで一層着目するようになったという。
「肌と身体とこころが調和していることが一番well-being(ウェルビーイング)な状態、wellness(ウェルネス)な状態なのではないかと考え、SCENTMATICとの協業をはじめ、いろいろな取り組みをしています。もともと化粧品にも香りがあるので『こころにも影響は与えるよね』『そういうことって大事だよね』という話は以前からしていましたが、ここまで深く考えることはありませんでした。
とはいえ、“美”もBeauty Wellnessも それぞれの主観が入りますので、“これ”という明確な定義づけをするのが難しい。肌と身体とこころは全部密接につながっているので、どれがいちばん重要かというのは決めきれないのです。
資生堂にもさまざまなブランドがあって、それぞれの“美”を表現していますし、さらにBeauty Wellnessとなると、いろいろな解を生み出していかなければならないと思うのです。だからこそオープンイノベーションをする意味があるのかなと考えています。あえて定義づけをせずにいろいろな答えや可能性を導きだすというか。
実際に研究開発を中心に約3年、オープンイノベーションを行ってきましたが、“美”の広がりというものを実感しましたし、すごくいいコミュニティができてきたと思っています」
海外のパートナーを得て世界へ羽ばたく「fibona」
近年の「fibona」の活動は国内にとどまらず海外にも広がっている。今後、ビジネスとしての展開・拡大を目指すなかでどのような方向に向かうのだろうか。
「今は大きく2つの方向性を考えています。ひとつはすでにいくつかのプロジェクトで行っていますが、研究所外の事業部門とのコラボレーション強化、もうひとつは、研究分野で他社とのコミュニティが増えてきたので、さらに海外にも広げた展開です。
すでに昨年、韓国のスタートアップ企業との協業も行うことができましたし、8月から中国のオープンイノベーションのプラットフォーマーと連携してスタートアップ企業を募集しています。資生堂がそういったことができるようになったのもfibonaがあったからですね」
資生堂が世界のさまざまなパートナーと共に生み出す新しい“美”に注目したい。