7月に沖縄県の玉城デニー知事は財界人らと共に北京、福建省などを訪問。中国側は玉城知事の訪中を強く歓迎した。緊張が続く台湾情勢、尖閣諸島問題、日本も巻き込んだ米中半導体摩擦などが背景にあるなかで、中国の玉城知事への態度にはどのような思惑が隠されているのだろうか。
玉城知事の訪中歓迎は“日本へのけん制”か
2023年7月3日から5日間の日程で、玉城氏は財界人らと北京を訪れ、習近平国家主席の側近である李強首相らと会談。中国と沖縄の経済交流活発化や直行便の早期再開について議論を交わした。また、台湾と海を隔てて隣接する福建省にも訪れ、沖縄と福建省の経済や文化の交流を活発化させていくことで一致した。
こういった報道が流れると「日本政府は沖縄知事の訪問を放置していいのか」、「なぜ尖閣諸島での領海侵犯について言及しないのか」、「玉城知事は親中派だ」など多く意見がネット上にあふれるが、それとは別に、ここではなぜ中国が玉城知事の訪中を強く歓迎したのか、その政治的背景を探ってみたい。
まず、前提として、台湾情勢や貿易摩擦など、米中の間で対立が先鋭化するなか、中国は台湾を統一し、そこを軍事的最前線と位置付け、将来的には西太平洋で影響力を拡大するため米軍をけん制したいと考えている。そのため、中国としては現在、高いリスクもなく、できることがあれば、全てやっておこうというスタンスである。
おそらく今回の玉城知事の訪中歓迎も、その“高いリスクなくできることがあれば全てやっておこう”に該当する。当然ながら、中国が台湾侵攻という決断を下せば、沖縄に在日米軍が集中している以上、その米軍が関与する可能性があるため、台湾統一が軍事的に難しいことは熟知している。つまり、前段階としてサイバー戦や認知戦などと同じように、日本をけん制できる手段のひとつとして同訪中をとらえていた可能性が高い。
ちなみにこれは、中国が描く海洋軍事戦略に沿って言うと、九州~沖縄~台湾~フィリピン~ボルネオに至るライン、いわゆる「第一列島線」を基地化し、そこから伊豆諸島~小笠原群島~マリアナ列島(サイパン・グアム)~パプアニューギニアを結ぶライン「第二列島線」に向けて米軍をけん制していくことになるが、当然ながら、これは極めて難易度が高い、非現実的な目標に映る。
アメリカの政治と経済の間に摩擦を
“けん制”の前例はすでにある。北京とワシントンが政治的な対立を深めるなか、習政権は2023年6月、訪中したイーロン・マスクやビル・ゲイツなど、アメリカの大物経営者たちを熱烈に歓迎した。イーロン・マスクは秦剛前外相と、ビル・ゲイツは習国家主席と会談するなど、中国側の対応はブリンケン国務長官などバイデン政権高官が訪中したときとはまるで空気が違った。
中国は国内の若年層の失業率が20%を超え、改正反スパイ法の施行などで、欧米を中心に外資の脱中国依存の動きが広まるなか、経済成長率が鈍化している。習国家主席がビル・ゲイツと会談した背景にも、外資の脱中国を抑え、さらなる投資を呼び込まねばという経済的懸念があることは間違いない。
そして、これは同時にホワイトハウスへのけん制でもある。すなわち、米中対立が激化するなか、中国としてはアメリカ国内の政治と経済の間に摩擦を生じさせ、バイデン政権に揺さぶりをかけたいのだ。実際に最近、アメリカの半導体企業の幹部らがバイデン政権と議論し、半導体分野で過剰な対中規制を控えるようバイデン政権に求めたことは、政治と経済の間に摩擦を生じさせたい中国側の思惑に一致する。
中国の狙いは日本国内に摩擦を生じさせること
玉城知事の訪中もイーロン・マスクやビル・ゲイツなどと同じようにとらえられる。しかし、ここで中国が狙うのは政治と経済の間ではなく、日本国内に摩擦を生じさせることだろう。
中国メディアは2023年6月、習国家主席が台湾と海峡を挟んで接する福建省を視察した際、中国と琉球の交流について言及したと報じた。また、中国共産党系機関紙の「環球時報」は7月から、中国と琉球の歴史的つながりについてSNS上で動画連載を開始。初回は北京にある琉球国墓地の跡地を専門家が巡る内容で、「現在、沖縄県は日本政府の管理下にあるが、歴史的には中国と琉球の関係史は中日関係史から独立している」と指摘していたという。さらに、共産党系機関誌である人民日報傘下の雑誌「国家人文歴史」も同月、沖縄の文化や米軍基地などに関する特集を掲載。沖縄の帰属について「現在の沖縄は日本の統治下にあるが、歴史的に琉球の主権が日本にあると定めた国際条約はない」と指摘し、けん制している。
中国としては沖縄との関係を政治的、経済的に深め、台湾有事や尖閣の領有権問題をにらみ、日本を政治的にけん制したい狙いがあるように感じられる。とはいえ、中国が望むように、日本国内で日本と沖縄をめぐる摩擦が広がることは考えられない。しかし、ビル・ゲイツやイーロン・マスクが訪中した時と同じようなレトリックで、玉城デニー知事の訪中を好機ととらえていた可能性はあるだろう。