社会

国際連合の正義などまやかしだ!

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第7号の佐藤優氏のコラム「世界を読むチカラ」にも「イスラム国」について書かれているが、テロ行為は決して許されるものではない。本稿は決してテロリストたちの行為を賞賛するものではないことを付記しておく。また、集団的自政権についても、現時点で反対するものでもない。

武力行為はテロ行為と同義

2001年、9月11日記者子は夜遅くまで飲んでいた。スマホも普及しておらず、瞬時に世界の出来事が伝播する、という世相ではなかったが、ニューヨークの高層ビルに飛行機が突っ込んだニュースはさすがに外にいた人間にもすぐに広まった。
家に帰り、飛行機が突っ込む映像を見ると、現実に起きたこととは思えず、これは映画のワンシーンではないのか? 放送局が作った映像を流しているのではないのか?と考えてしまうほど、衝撃的なものだった。

この出来事に関して、犠牲者の方やその遺族の方々への哀悼は語りきれないが、アメリカと対立してきたイラクが小バカにしたようなコメントを出したことはまずかった。

アメリカはこの頃からナショナリズムの台頭が起き、イスラム過激派に対して憎悪の念が深くなったように感じられる。本国を攻撃されたのだから仕方ないが、その怒りはテロリストたちに向けられることであって、イラクやアフガニスタンへ向けられる話ではない。

アメリカは同時多発テロから2年後、大量破壊兵器、化学兵器保持の疑いでイラクに戦争を仕掛けた。当然、アメリカは国連の安保理(アメリカ、フランス、イギリス、中国、ロシアの5ヵ国)決議にかけるのだが、いつものごとく、ロシアと中国は棄権して採択される。しかし、安保理の決議があれば、爆弾をぶち込んでもいいという考えはおかしい。

そして、アメリカ軍、イギリス軍、オーストラリア軍、ポーランド軍がイラク国内に空爆を行った。強気だったイラクのフセイン大統領も、圧倒的な戦力の差に防戦一方。強がるしかなかったのだろう。結局、フセイン大統領が拘束されるまで戦闘は続いたが、果たして大量破壊兵器は見つからなかった。何の大義があって戦争を仕掛けることができたのだろう?

国連

結局内政干渉したものはすべて内乱で混乱

これは許されるのだろうか? 国際法上は、【文民(民間人)を攻撃してはならない】となっている。イラク戦争開戦から10年後に発表された報告書(米・ブラウン大学の研究グループ)によると、13万人を超える民間人が戦争の犠牲になったという。

明らかに戦争犯罪だろう。テロは許さないが、正義の名のもとに、空爆をして多少の民間人を殺害しても罪ではない、というのか。おかしいだろう。 後にフセイン大統領は拘束され、シーア派住民を大量虐殺した罪に問われ、死刑になったが、そのあとのイラクの内乱ぶりをみれば、フセイン政権の恐怖であっても、秩序が保たれていたということにならないか。結果、圧政で人が死ぬよりも多くの人が内乱によって死んでいったはず。

アメリカは日本にとって最重要で、安保上も大事な国であるが、だからといって罪なき人を殺めることを、どんな理由があれ、追認することは許されない。為政者の都合で空爆など傲慢だ。

今回、イスラム国が行っている一連の行為は許されるものではない。しかし、内政干渉をして、他国に空爆を行うのは、その犠牲になった人たちの憎悪の連鎖しか生まない。特にイギリス(アメリカも州法で禁じられている場所が多い)では死刑が廃止されているにも関わらず、他国の民間人は多少の犠牲になってもいいというのか。

なぜ、武力でしか解決できないのだろうか。宗教観の違う者同士、話し合いは難しいのかもしれないが、貧富の格差をなくすことや、経済発展の手助けなど、いくらでもやれることはあるはずだ。

ここまで来たら、もっと言ってやる!

核拡散防止条約も腹が立つ。核兵器など人間社会に当然必要ない。だから、すべての国が廃棄すればよい。しかし、「俺たち崇高な国は持ってもいいけど、野蛮な国は許さない」とばかりに、5ヵ国(安保理国)以外は核兵器を持ってはいけない、というのはなんという身勝手。

「隗(かい)より始めよ」という言葉を知らないか。現にインドやパキスタンは不平等条約だと批准せずに核兵器を持っている。傲慢な大国が世界の秩序を保たせられる時代は終わったのだ。もっと平和に解決できないものか。