平井住職に聞く「不易流行(ふえきりゅうこう)」 変わることができる強さ

写真/片桐 圭

社会

平井住職に聞く「不易流行(ふえきりゅうこう)」 変わることができる強さ

0コメント

「不易流行(ふえきりゅうこう)」とは、いつまでも変化しない本質的なものを忘れないなかにも、新しい変化を取り入れていくこと。松尾芭蕉が提唱した、本来は俳諧の理念です。処理しきれないほど情報が溢れる毎日に、私たちはその中にある“本質的なもの”を見失いがち。一方、加速度的に進歩するテクノロジーを前に、“変わらないもの”など無いようにも思えます。激しく変化する現代において「不易流行」は何を意味するか、全生庵の平井住職に聞きました。

変わることへの恐れ

何かを変えることによって、維持されてきた状況が崩れてしまうことを恐れる人たちがいることは確かです。「暗黙の了解」「以心伝心」「和を以て貴しとなす」という言葉に象徴されるように、日本人は集団の意見を重んじ、異なる意見を唱える少数派については和を乱す存在ととらえて嫌悪する。そうした傾向がDNA的に息づいていますから、内側から変わろうとすればおそらく崩壊が起きるでしょう。

歴史を振り返っても、日本がダイナミックに変化したのは1853年の黒船来航による開国や、第2次大戦後のGHQによる民主化といった外部の影響によるものでした。記憶の新しいところではカルロス・ゴーン氏の日産代表就任後の改革があり、最近ではAmazonが日本経済における脅威的な存在になるだろうと言われています。

要するに、外部からの刺激なしに、日本人が変わることは難しいということです。

「不易」と「流行」の本質

「不易流行」の「不易」とは、永遠に変わらないものを示します。何事においても、変わらないものというのは目には見えないものです。例えば、人の心。「愛」や「平和への願い」は誰もが望む不変のものです。一方、変わるものというのは、形を持っていて、目で見ることができます。むしろどんなものでも形になった瞬間に変化するものになる。

一方、「不易流行」の「流行」とは、新しさを求めて変化するものを示します。例えば、科学。現代の科学の進歩は目覚ましいものがありますが、ただ、それを人間自体が進歩していると勘違いしてはいけません。あくまでも、使う道具が進歩しているだけであって、人が空を飛べたり、車さながらに走れるようになったりしているわけではない。人ができることは昔と変わりないのです。

現代文明のほとんどは電力で制御されていて、供給がストップしたらあらゆるものが機能しなくなります。当然、インフラは何の意味もなさなくなるでしょう。もしかしたらアナログなものが多かった昔よりも、便利に見える現代の方がよほど脆弱な世の中なのかもしれません。結局、テクノロジーや文明は“砂上の楼閣”。それをどれだけの人がわかっているか。

また、科学の進歩に関して人が“考えなくなる”ことにも懸念があります。AI(人工知能)がどこまで発達するかは予測しようもないですが、もし「人工知能の判断には誤りが無い」となったとき、人は自分で考えなくなるということが危惧されます。すでに、わからないことが出てくると、その答えをすぐスマートフォンに求める人は少なくありません。とかく、便利になりすぎると人は考えることを放棄しはじめます。科学が進歩した時代だからこそ、ちょっと足りないくらいがちょうど良いように思えるのです。

変わることができる強さ

禅の修業に行くときは、笠を被って草履を履き、調理も風呂も薪でたく。着るものも生活自体も数百年前とほとんど変わりません。それは、“人”の本質を極めようとするのが禅であるからにほかなりません。最近は坐禅の際に冷暖房を入れる、入れないという話もありますが、自然とともにあろうとする禅においては、必要の無いことだと私は思います。

昔はシンプルで今の方が複雑になっているという言い方もできますが、結局、飯を食い、水を飲まないと生きてはいけないという人の本質は変わりません。そして、本質は頭で理解するものではなく、心で感じるものです。暑いのも本質、寒いのも本質であり、それは“変えられないもの”とは絶対的に違います。

修業僧時代、師匠からよく公案(禅問答)を出されたものですが、あるとき問われた公案について、ずいぶん前に同じ問答を受けたことを思い出し、「それ、7年ほど前にもやりました」と答えると、師匠が「ではお前は7年間修業をして、何も変わっていないということか」とおっしゃる。

確かに、時代が変わり、社会経験を積むなかで、考え方が変わっていくのは当たり前のこと。「1+1=2」といった不変的な問いではない限り、答えが変わらない方がおかしいというわけです。

では、例えば「憲法」は「不易」でしょうか。戦争をしないために「憲法9条を変えるな」という人たちがいますが、憲法さえ変えなければ戦争にならない、巻き込まれないというのは極端な考えです。国を取り巻く状況が変化しているにもかかわらず、その人たちは憲法改正を反対するばかりで、「平和を守るためにどうするのか」という肝心な議論が抜け落ちているように思います。

変えるべき、変えるべきでないなどは、その人の生きている時代や経験、立場によって変わるでしょう。大切なのは、問題や困難に直面したときに“変わることができる”ということです。そのために変化を感じられる心を持ち、状況に合わせて変化できる柔軟性があれば、“変わらない”ということもひとつの在り方となり得ます。