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大王製紙が犯した間違い 巨額借入事件はなぜ起こったか<「政経電論」編集長 佐藤尊徳>

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2011年、大手製紙会社の大王製紙で、現役会長の巨額借り入れ事件が明るみに出た。個人による特別背任事件だが、その背景には企業としての”間違い”も多分に含まれている。僕は借り入れをした元会長・井川意高氏とは深い付き合いで、今でも親友だ。これはまったくの第3者が書くことはできない。僕の友人が起こした事件について、勝手なことを申し上げたいと思う。

罪に問われるとは思っていなかった

まず、この事件について、詳細を知らない人たちは「業務上横領」だと認識しているようで、そうではないと一言言いたい。井川氏の罪状は「特別背任」で会社法違反。業務上横領は、簡単に言うと、会社の金を私的に流用して損害を与えるもので、井川氏の場合は、会社の金を借り入れて、私的に流用したものである。似て非なるものである。前者は、無断で会社から金を流用して、多くの場合は経理操作などで返済もしない。

東京地検特捜部から極秘裏に意高氏の銀行照会があったとき、「そんとくさん、僕は本当に心当たりがないんです」と相談されたことからも、井川氏は担保を差し入れた借り入れが、特別背任罪になるとまでは思っていなかったようだ。確かに、経営者失格かもしれないが、これを認識しているオーナーの方が圧倒的に少ないだろう。逆に会社が苦しい時には私財を差し出して、会社を守っていくものだ。僕だってそうだ。

その数日後に「話があるので、会えないか?」と切羽詰まった声で電話があった。僕は何かを感じとり、別の会食後、引き返してある場所で彼を待った。

「やはり、(東京地検特捜部は)僕がターゲットでした。資産超過だったので、借り入れをしても大丈夫だと思ったのです。不徳の致すところですが、認識が甘かった。ご迷惑をおかけしますが、これから事件になるかもしれないので、会長を辞任します。会社に及ぶことを少しでも軽くしたい」

そう言われて、僕は何が何だかわからなかった。酔った頭を冷静に切り替えて、ようやくこれは、内部告発で、クーデターだと直感した。罪の言い逃れはできないが、その後の大王製紙経営陣の動きを見れば、やはり創業家・井川家外しの千載一遇のチャンスだと思ったことがよくわかる。その次の日から騒ぎはとんでもなく大きくなった。

経営者の”自分の会社”という意識

井川氏は、その金額の大きさ(60億円弱)と、カジノの賭け金という使途について当時、世間を騒がせることになった。しかし何度も言うが、担保を差し入れて会社の金を借り入れたものだ。それは、公判中に自らの資産(主に株式)を現金化して、全額返済したことからもわかる。

また、これもあまり知られていないことだが、借り入れは上場企業の大王製紙本体からではなく、井川家が9割ほどの株式を所有する未上場企業からである。だから許されるというわけではないが、9割の株を所有していれば、経営者の誰しもが”自分の会社”という意識になる。

そこには、ほかの少数株主や従業員、顧客というステークホルダーがいるのだから、褒められたことではないが、資産超過で担保があるという認識で、現金を借り入れてしまった。当然、有価証券報告書にも載せていたのだが、事業使途と関係のない出金は、例え担保を差し出していても、特別背任の構成要件になる。これなら、中小企業のわれわれはみんな捕まってしまうような気もするが、法律に明記されているのだから、仕方がない。100%の所有者だと、当局も逮捕はしないという噂だが。

まさか犯罪に至るとは、東大法学部卒の井川氏でも思わなかったのだが、結果的に誰にも金銭的な迷惑もかけず、会社も存続したのだから、懲役4年が妥当かどうかは個人的に疑問が残る。とはいえ、法治国家だからそれは仕方がない。井川氏は何の不平も言わずに刑に服している。

創業家を排除した現経営陣の矛盾

さて、この背景は何なのか。オーナー企業にありがちな、創業家にはモノが言えない社風がこれを生んだのか。

出金を命じられた経理担当者にしてみれば、社長でもあり、オーナーでもある人間から命じられたら、明らかに公序良俗に反していない限り、従ってしまうのがサラリーマンの常だ。これは、どの企業でも陥ってしまう危うさをはらんでいる。かつて西武鉄道が上場廃止になったのも、堤義明氏という絶対的なオーナーが君臨したことが悪い方に作用した結果だ。

大王製紙は、井川氏の罪を生んだのは、井川家支配の弊害だったとして、経営陣からファミリーを追放した。完全に井川家側の僕が言うのは説得力が無いかもしれないが、それはちと違わないかい? これは井川氏個人の罪であって、他の人が手を貸したわけではない。創業家の牽引で倒産会社からの復活を果たし、総合製紙メーカー第3位の地位まで確立したという今までの功績を考えても、井川家全員をパージするのはいかがなものかと思う。

それならば、ガバナンスを効かせられなかった現社長以下、役員もクビにすべきだ。現在では20%強の株式を握る北越紀州製紙と対立しているし(それだけの筆頭株主でありながら、手をこまねいている北越側も情けないが)、この厳しい時代に、駄々をこねている現経営陣は何を目指しているのかよくわからない。早晩、経営的には厳しくなるだろう。だから、このようなことが起こるまで何も言えない社風だったのだ。自分たちにもそれなりの責任があることを自覚していない。

社会の利益を考えられない企業は滅びる

他企業でも、大株主の創業家と現経営陣の対立が目立つ。最近は、出光興産で33%の株式を所有する創業家が合併に反対を示した。ほかにも挙げれば切りがない。

こう考えると、大株主が代表取締役を兼務しているような会社が、ガバナンスを効かせて永続的に成長するのはなかなか難しい。会社というものは、社会の公器であり、すべてのステークホルダーが幸福になるような経営をそれぞれが考える、ということ以外にはない。

属している従業員も、おかしいことはおかしいと主張し、それがいつまでも通らないような会社はそのうち滅びるので、去ってしまえばいいのだ。”間違える企業”というのは、利益の本質を勘違いする経営者や、従業員が引き起こすもの。全体(社会)の利益が最後は、自らに返ってくることを自覚していけば、絶対に間違った企業体にはならないはずだ。