“自民党以外”の政党はいかにして力を失ったのか

2016.9.12

政治

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世間が”一強多弱”と例えるように、猛攻を続ける安倍政権に対し、迎え打つはずの野党がまったくもって心許ない。しかし、彼らも一度は政権を担った勢力、ずっと弱かったわけではない。何がどうなって今のような”多弱”になってしまったのだろうか。力を失う紆余曲折を振り返り、問題点を明らかにする。

政権を担えない2大政党

自民党と拮抗する第2会派だと自画自賛した民主党(現・民進党)は、一度政権を握ったものの、夢想とポピュリズム、パフォーマンスだけで現実味が伴わない政策を多数打ち出したために国政は混乱。加えて2011年の東日本大震災・福島第一原発の放射能漏れ事故への対応では、危機管理が稚拙で不手際続き。彼らは、国民からはっきりと「ノー」を突きつけけられるハメになった。

この後遺症は極めて大きく、下野から5年が過ぎても、この党は復活どころか選挙のたびに議席を減らす体たらくぶりだ。

実際、野党側が四分五裂の状態にあることを見透かした安倍首相は、”民意を問う”とばかりに2014年12月に解散総選挙を強行したわけだが、想定通り自公連合は3分の2の議席を確保。同じく2016年の参院選でも、自公に加え改憲で一致するおおさか維新の会(現・日本維新の会)ら保守系野党を加え、悲願の3分の2を達成、憲法改正の発議に王手を掛けた。言い換えれば、肝心の野党第一党・民進党は、まったく歯が立たなかったことになる。

金権政治に反発、自民党と拮抗できる野党を模索

現在の野党第一党・民進党の前身である民主党の創設は1998年。流れはこうだ。

戦後長期にわたる自民党政権では金権政治にまつわる不祥事が続発。これを糾弾する同党の小沢一郎氏らは、自民党と拮抗し、いつでも政権を担える実力を持つ野党の誕生を模索する。

彼らは政権交代が起こりやすい「小選挙区制」への移行と金権政治を断ち切るための「政党助成金制度」の導入を叫ぶのだが、当時の自民党政権はこれを徹底的に排除。これに対し小沢氏や羽田孜氏、岡田克也氏など、いわゆる改革推進派は自民を飛び出し「日本新党」を旗揚げ。

1993年の解散総選挙で自民党を政権の座から引きずり降ろし、細川護煕氏を首相とした8政党を結集した「非自民・非共産連立政権」の新進党を発足する。これが現在の民進党の源流ともいえるだろう。

元自民を含む離党・脱藩組で民主党を再スタート

一方、同じく自民から離れ「新党さきがけ」を立ち上げた鳩山由紀夫氏や管直人氏らが同党を離党し、社民党の右派議員らと共に1996年に旧民主党を創設。また、これと並行して新進党が急速に凋落、やがて自民が社民と共闘し政権を奪還すると、小沢氏は新進党を解体、紆余曲折の後、1998年に今度は「自由党」を結成、一度は自民と握手、政権与党にくみするが間もなく離反する。

このように、野党サイドが細胞分裂の状態に陥る過程で、旧民主党を核に、民政党、新党友愛、民主改革運動といった、共産、公明両党を除く既存政党から”脱藩”した議員らが、それぞれ結成した泡沫政党を結集し、1998年に民主党を再スタート。さらに2003年には自由党とも合併、来る2009年7月の衆院選では308議席を獲得、絶対安定多数を握り、念願の政権奪取を果たすことになる。

政権を失い野党へ転落、再編へ

だが、こうして発足した鳩山政権は当初70%を超す支持率を誇ったものの、実力者である小沢氏との”二重権力構造”の問題や、小沢氏の政治資金にまつわる疑惑などで党内は混乱し、支持率は一気に急落する。

2010年6月、鳩山氏に代わり管直人氏が首相の座に就くものの、前述のように東日本大震災の際の危機管理の無さがたたって民主党政権の支持率はさらに急降下。2011年9月、管氏に代わり野田佳彦政権が発足、再起を試みるものの2012年7月には小沢氏が議員50名を引き連れ離党するという大ダメージを被るハメに。

そして同年12月、民意を問うとばかりに衆院解散総選挙に臨むのだが、230あった議席を57にまで落とす歴史的大敗北となって政権から退場、自公民連立の安倍政権の発足を許してしまうのだった。

満身創痍の同党は海江田万里氏を代表に据えて再起に挑むものの、支持率の低下は止まらず、2012年12月の衆院選ではついにトップの海江田氏自身が当選を果たせないという危機的状況に。

2015年には岡田氏が代表として再登板、2016年3月に松野頼久氏が率いる維新の党を事実上吸収合併し、名称も「民進党」へと装いを新たにして再スタートを図ったのは記憶に新しい。ただし出身母体はバラバラで、政治的信条も保守から左派・革新までさまざまという寄り合い所帯の政党が、果たして一致団結し、自民に抗っていけるのか疑問視する声も少なくない。

冷戦終結で明暗分けた左派勢力 社会は没落、共産は急伸

一方、戦後一貫して自民党政治に対しのアンチテーゼを自負し続けてきた左派勢力。その雄・日本社会党は衆院で100超の議席を誇り保守勢力が牛耳る永田町を揺さぶり続けた。

しかし、冷戦終結で彼らが目指す穏健的な社会民主主義は世界的に廃れるなか、党として目指すべき指針が曖昧となり、加えて1990年代の新党ブームで存在感が薄まる。生き残りのため、1993年には細川政権に合流したと思いきや、今度は1994年にこれを打倒した自民党などと連立政権を図るなどの節操の無さが災いし、革新勢力を支持する有権者の受け皿としての立ち位置を完全に失ってしまう。その後、社会民主党へ改名して再起を図るが、今では衆参合わせたった4議席に過ぎない”泡沫政党”へと没落。

その反面、左派陣営のもう一つの主軸・共産党は「潔癖」「頑迷」ともいうべき理念を戦後一貫して推進、支持者の鉄の結束は、ともすれば一般国民には”近づきがたい組織”とも見られがちだったが、社会党の勢力減退により革新支持派にとって一定の受け皿になりつつある。また、失業、就業、結婚など、とりわけ若者層の身近な問題に迫るテーマで選挙戦に臨み、これが功を奏して衆参両院いずれでも議席を大幅上乗せ、快進撃を続ける。

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