「定年」にどう立ち向かう? 会社員の恐怖をまぶしたロマンチック・コメディ【映画『終わった人』】

2018.6.1

社会

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「定年」にどう立ち向かう? 会社員の恐怖をまぶしたロマンチック・コメディ【映画『終わった人』】

©2018「終わった人」製作委員会

本作は、舘ひろしがこれまでのダンディなイメージからはかけ離れた“情けない男”に扮するロマンチック・コメディ。シニア世代が直面する問題がテーマだが、会社員がいずれ迎える「定年」にフィーチャーすることで幅広い世代に向けた作品になっている。関係者の言葉や舞台裏のエピソードをもとに、映画の見どころに迫った。

『終わった人』

劇場公開:6月9日(土)/配給:東映
出演:舘 ひろし 黒木 瞳 広末涼子 臼田あさ美 今井 翼 ベンガル 清水ミチコ 温水洋一 / 高畑淳子 岩崎加根子 渡辺 哲 田口トモロヲ  笹野高史
原作:内館牧子「終わった人」(講談社刊)
監督:中田秀夫

東大卒で大手銀行に入行するも、出世コースから外れ子会社に出向させられたまま定年を迎えた田代壮介(舘ひろし)は、仕事のなくなった日常に戸惑う。美容師の妻・千草(黒木瞳)は、グチばかりこぼす壮介が疎ましくなってきてしまう。そんなある日、壮介は文学を学ぼうと思い立ち、カルチャースクールへ。受付の女性・浜田久里(広末涼子)に惹かれ始める。壮介の暮らしは再び輝きを取り戻すかに見えたが……。

実は人間賛歌! 『リング』中田監督の本懐

本作のメガホンを取ったのは中田秀夫監督。映画『リング』や『仄暗い水の底から』などで知られるジャパニーズ・ホラーの第一人者だ。原作の内館は、ホラーの名手が演出を手掛けると聞いて相当驚いたそうだ。「からかわれているのかと思った」とまで言っている。

原作:内館牧子「終わった人」(講談社刊)

しかし、中田監督自身によれば、本作は決して“心機一転”ではない。もともとロマンチック・コメディが好きで、本作こそ「本当に撮りたかった作品」だという。原作に惚れこんで、初めて自ら企画書を制作会社に持ち込んだ。

『終わった人』はもちろんホラーではなく、タイトルから連想されるような先のない老人の重苦しいドラマでもない。壮年世代に「泣いて笑って、最後はほっこり温まってもらう」(中田監督)ことを目指した、人間賛歌のような映画だ。

旧友に刺激を受けたり、新しい仕事に挑戦したり、若い女性にときめいたり、夫婦関係を見つめ直したり、故郷を訪ねたりと、ストーリーも起伏に富む。主人公の壮介(舘ひろし)がむなしい目に遭うたび、葬儀や仏事を思わせる効果音が響くなど、演出も軽妙だ。

定年退職当日、部下たちに見送られる様子が自らの出棺にも感じる壮介。
翌日から出社する必要のなくなった壮介は何をしていいかわからない。

定年コメディ”とはいうものの、定年間近の会社員が自虐的に笑うだけの映画にはなっていない。定年を迎えた壮介が、部下から半ば形式的に送られるシーン。肩書を失っただけで妻や娘と会話するのにも四苦八苦する壮介。若い女性からの慈悲にも似た好意に一喜一憂する壮介。それらを自分に置き換えて想像すると、ちょっと背筋が寒くなる。

何のために働くのか、自分の居場所はどこなのか……、誰もが模索したことのある考えが、定年を意識した日から“恐怖”や“絶望”に変わるのだ。そんな恐怖に壮介は立ち向かい奮闘するわけだが、考え方次第で「定年」はホラーになり得るという意味では、中田監督が本作を手掛けていることにも妙に納得してしまう。内館も「監督のコミカルな人間描写が、“終わった人”の哀愁をより深くしてくれた」と称賛している。

中田秀夫監督

舘ひろしがノリノリで広末とのシーンをセルフ演出

「あぶない刑事」シリーズをはじめ、刑事役を数々演じてきた舘ひろしにとっても、『終わった人』は新境地となった。監督は舘に、役柄のイメージを『アバウト・シュミット』のジャック・ニコルソンだと伝えた(ニコルソンの役どころは退職して妻もなくし、トレーラーハウスで旅に出る男)。舘はその一言で演技の方向性をつかんだという。

「父として、夫として、また一人の男として、誰しも共感できるような部分がある」と演じがいを感じた様子。撮了後には「私自身も新たな舘ひろしに出会えた気がする」と手ごたえを語っている。

壮介が久里(広末涼子)との浮気を妄想するシーンでは、舘が演出を考案して、久里の動きを自ら実演してみせ、監督や広末にイメージを伝えた。広末は「(実演する舘が)すごくイキイキされて楽しんでいらっしゃったのが印象的でした」と証言。ここは、中年男性の夢が広がる名シーン(?)といえるかもしれない。

舘と黒木による夫婦のシーンは、約20年ぶりの共演とは思えないほど息の合ったやりとりが見られる。舘は「やっぱりやりやすい。俺の芝居ができた。瞳は最高です」と黒木を絶賛。

黒木は「長年連れ添った男女だからこそ、支え合える手段があるんだなと思いました」と、撮影を通じて映画から前向きなメッセージを受け取ったようだ。ちなみに、壮介が自宅で千草(黒木瞳)に髪を染めてもらうシーンでは、美容師の指導を受けた黒木が実際に染髪している。

感動のクライマックスは盛岡ロケで

壮介が故郷・盛岡へ帰るシーンは、実際に盛岡で撮影。「普遍的な故郷を代表するものが盛岡にはある」と中田監督は語る。

壮介が母校のラグビー部の試合をスタンドから見守るシーンは、エキストラ550人という規模に。舘自身、高校時代はラグビー部のキャプテンだったとあって、撮影直後にはモニターで迫力の試合映像をチェックし、「いいねえ」と満足げな様子を見せていたとか。

舘が最も印象に残っていると話すシーンも、盛岡でカメラに収めた。壮介が同級生たちと酒を酌み交わしながら、地元ではみんなの憧れだったはずの自分が今どんな生活を送っているのか、正直に打ち明ける場面だ。

笹野高史やベンガルらが演じる同級生たちがその告白を受け止め、全員で盛岡伝統の「盛岡さんさ踊り」を踊る。理想と現実に揺れ続けながら定年を迎えた男のむせび泣きは、世代をこえた感動を呼ぶ。ぜひ大きなスクリーンで鑑賞してほしい。

バイプレーヤーたちも存在感を発揮

壮介・千草夫婦の一人娘・道子役にはドラマ「問題のあるレストラン」や映画『南瓜とマヨネーズ』の臼田あさ美、千草のいとこ・青山俊彦役にミュージシャンや映画監督としても活躍する田口トモロヲなど、バイプレーヤーにも演技巧者が揃う。

壮介とスポーツジムで知り合うIT社長・鈴木直人役には映画初出演となる今井翼(病気療養のため、現在は活動休止中)。マシンでぐいぐい筋トレに励み、ジム中のシニアたちを魅了するシーンなどを演じた。鈴木が経営する会社のシーンは、新宿にある実在のIT企業オフィスでロケを。舘は「ストレートで感受性豊かですばらしい」と今井の演技を高く評価している。

ほか、壮介が再就職活動で出会うクセの強い夫婦役を温水洋一と清水ミチコが演じるなど、脇役のキャスティングや演技がユニーク。壮介が公園や図書館、ジムなど行く先々が老人たちのたまり場になっている現実にガックリする点描シーンでは、どの場面にも同じ俳優(86歳の菅登未男)が出演しているというおちゃめな仕掛けも。ちなみに、原作者の内館もジムのシーンにカメオ出演している。

菅登(手前左)と原作者の内館(手前中)。

最後に流れる今井美樹の主題歌が染みる

主題歌は今井美樹の「あなたはあなたのままでいい」。今井が映画主題歌を担当するのは、中田監督の『リング2』以来、およそ19年ぶりのことだという。今井美樹と作詞・作曲の布袋寅泰は夫婦そろって映画にコメントを寄せた。

「(映画を観て)何度も吹き出して笑い、難しい気持ちでため息をつき、気づけば涙がこぼれていました。そして穏やかなラストシーンの後に自分の声が流れてきたとき、この作品に参加させていただけて本当によかったなぁと思いました」(今井)

「胸に咲いた思い出の花は散らない。この映画は50代半ばを迎えた私たち夫婦にも力を与えてくれた。この歌が、心の故郷を目指して、今日も自分らしく生きていたいと願う人への、静かなエールとなりますように」(布袋)

『終わった人』の最後に流れるこの歌は、エールとも、救いともとれる。定年がまだまだ先という方も、本作で定年がどんなものか疑似体験できるはず。60年間以上走り続けた男のロマンはあなたにどう映るだろうか。

映画『終わった人』予告編

映画『終わった人』 は6月9日(土)より公開。