身だしなみで健康寿命延伸に 「化粧療法」を研究する資生堂・池山和幸さんの取り組み

写真/小池彩子

社会

身だしなみで健康寿命延伸に 「化粧療法」を研究する資生堂・池山和幸さんの取り組み

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人は何のために化粧をし、身だしなみを整えるのだろうか? 医学の学位を持つ資生堂ジャパンの池山和幸さんは、化粧のモチベーションを想起する力に着目し、化粧をする行為自体を科学的に分析することで高齢者介護の現場に生かそうと研究している。「美容」の意識を高めることで、「健康寿命」延伸につなげようと試みる化粧品メーカー資生堂の取り組みに迫った。

資生堂ジャパン株式会社 CSR・コミュニケーション部 ライフクオリティー事業グループ マネージャー

池山和幸 いけやま かずゆき

1975年、三重県津市生まれ。京都大学大学院医学研究科にて医学の学位取得。在学中に介護福祉士の資格を取得。2005年、資生堂に入社。皮膚科学研究に従事しながら、高齢者の化粧実態調査を実施。2009年から「高齢者の化粧」に関する研究を開始。2013年7月に研究内容を事業化した高齢者美容サービス「化粧療法プログラム」を開始。

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化粧のチカラを科学的に分析してデータで提示

女性にとっては毎日の身だしなみ=化粧。外に出て、人と会うためのステップのひとつだが、高齢期に入ると、入院や施設への入居をきっかけに化粧から遠ざかってしまう人も多い。化粧品メーカーの資生堂は、化粧のコミニュケーションツールとしての効果に着目し、社交性が低下しがちな高齢期の心身の健康増進のため、化粧を取り入れる「化粧療法」を提案している。

化粧療法

化粧には、自己維持機能と対人的機能があるといわれている。化粧をすると、気持ちが引き締まったり、人に会うのが楽しくなったりするというメンタル面での変化に加えて、化粧をするという動作自体が脳に刺激を与え、高齢者にとって手指や腕の良い運動となることがわかっている。資生堂では、化粧の「心」「脳」「体」「口腔」に及ぼす4つの効果から、独自の「化粧療法」を開発した。

資生堂ジャパンライフクオリティー事業グループの池山和幸さんは、医学博士とともに介護福祉士の資格を持ち、長年「高齢期の化粧療法」について医学的なアプローチから科学的なデータを収集し、検証を続けてきた。

「化粧のメンタル面での効果、例えば化粧をすることによって気持ちが明るくなるとか、また外出したくなるという心理的な効果は、聞けば誰もがすぐに納得できることだと思いますし、できるなら取り入れた方が良いというのは理解してもらえます。

ですが、病院や施設など実際に多くの人が化粧から遠ざかってしまう現場において、『美容』は、治療や入浴・排泄などの身体介護と比べると明らかに優先事項ではありません。化粧療法の実際の効用をわかってもらうためには、化粧が健康維持や増進に深くかかわっていることを、科学的なデータで提示することが大切だと考えました」(池山さん、以下「」はすべて池山さんの発言)

化粧には意外とチカラがいる

池山さんは、1975年から資生堂がボランティア活動の一環として行ってきた介護施設への訪問を通して現場の声を聞き、70代の健康な高齢者の筋力を測定するなど調査を重ねてきた。その研究によって、「化粧」には、筋力維持のための実際的な効用もあることがわかった。

【第一背側骨間筋の筋活動量の比較】2016年に発表した池山さんの論文「要介護高齢女性の化粧行動と化粧療法効果」より/MVC:最大随意筋力(Maximum Voluntary Constrution)。ある特定の筋肉に最大の負荷をかけたときを100%とし、ある動作をしたときにその筋肉が何%の力が使われているかを%MVCで示す。

 

【上腕二頭筋の筋活動量の比較】

容器の開け閉めをしたり、顔にクリームや化粧水を塗布するときに、指先や腕の筋肉が使われている。これらの筋肉は、モノをつかんだり、持ち上げたりするときに使われる日常生活の動作に必要な筋肉で、筋肉量の少ない高齢者ほど負荷が高く、化粧することによって筋力維持のサポートにつながる。

特に眉を描く動作は、化粧の中でも負荷が高く、理論的には高齢者のリハビリにおける筋力増強トレーニングに匹敵するという。実際、介護施設に入所している要介護の方が、腕の力がつき、食事を自分でできるようになったという事例が数多く報告されている。

こうしたデータの積み重ねによって、化粧をすることが高齢者の健康寿命を延ばすこと、また、生活の質(QOL)の維持や向上に大きく貢献していることを、現場に提示できるようになった。

介護予防はひとり立ちから始まる

池山氏が提唱する「化粧療法」では月に2回、3カ月間の計6回のコースで、グループケアを行っている。視覚だけでなく、リラックスできる香りを用いたり、隣りの人と感想を伝え合ったりと、五感を刺激できるプログラムが組まれている。

資生堂ライフクオリティービューティーセミナー「いきいき美容教室」の様子。

「グループケアは専門知識を持ったビューティーセラピストが推進しますが、複雑なテクニックやメソッドを教えるのではなく、みんなで楽しく取り組む、自分自身でするということを大切にしています。例えばリップの色でも、その人の人生の歴史の中で嗜好ができ上がっているので、『こんな色が似合いますよ』と提案しても、好みでなければ受け入れてもらえません。

ですので、最初は『好きな色は何ですか?』と聞くことにしています。大抵は恥ずかしがって『私は何でもいいわよ』なんておっしゃるのですが、昔つけていた色はどんな色ですか、流行はどうでしたか、などと問いかけていくことによって、少しずつ本人の好みをお聞きします。そして可能な限り自分で選ぶようにしていただきます。それが“自分でやる”ということにつながっていくんです」

個人の持っている力、「残存機能」をいかに引き出すかが考えられたプログラムは、「自分で行う」ということへの意欲へつながる。そして、極力日々の肌の手入れは「自分で」するようにと伝えるという。プログラムには、メイクアップのほかに、化粧筋(化粧行為で使う腕の5つの筋肉)を動かす体操、スキンケア、ヘアケアが含まれている。

「自分でやる」「ワイワイしながらやる」ことが大事と池山さん。

化粧がつなぐ地域包括ケアシステム

こうしたプログラムは、自治体や施設などからの要請で企画されることが主だが、新たな取り組みとして地域の医療機関との連携も始まっている。特に歯科医院では、歯科衛生士の口腔ケアと合わせて、薬の副作用等によるドライマウスのケアのための唾液腺マッサージを楽しく伝えるために化粧療法が取り入れられている。

「歯科に行く方は、普通に生活できている方が多い。歯に問題を抱えているので健康に対しての意識も高く、化粧療法の効果が大きいのです。最近では、介護スタッフに加えて、歯科衛生士のセミナー受講が増えてきています。

厚生労働省の『かかりつけ歯科医院』の推奨により、かかりつけとして選んでもらうための差別化として、美容や化粧が取り入れられています。ただ患者さんを待っているのではなく、進んで地域に出て行くきっかけとなり、患者さんとコミュニケーションをして満足度を上げてもらうために、こうして医療従事者が取り入れるという流れが生まれています」

歯科以外にも、医療リハビリ、がん末期患者のための緩和療法、調剤薬局でのイベントなどにも化粧療法は応用できるだろう。人と人とをつなぐというコミュニケーションの基盤としての化粧は、高齢者うつ予防でも期待値は高い。

化粧療法は、地域の包括連携として、多職種をつなぐ役割が担えるのではないかと考えています。リハビリの現場では手指や腕のトレーニング、歯科では口腔ケア、介護分野では日常生活動作の向上、メンタルケアの分野では、気持ちが明るくなるといった効果を生かして、さまざまな分野が化粧療法を通じてつながっていけたら」

口腔ケア、メーキャップなど、介護スタッフや関心のある方に向けて、「化粧療法」に基づいた技術を学べる講座もある。

「化粧療法」は男性にも有効

こうした化粧の持つ効果と取り組みは、女性にとっては身近で受け入れやすいものだが、男性とってはどうなのだろうか。

「これまではやはり、参加者は男性より女性が圧倒的に多かったですね。そもそも、要介護の認定者は8割弱が女性で、多くの介護施設の女性比率は約80~90%と圧倒的に女性の方が多いんです。でも、化粧療法は女性だけでなく、男性にももちろん有効だと思っています。

昨年は初めて、男性だけのグループケアが2件ありましたが、参加者の満足度は大変高いものでした。ただ、男性の場合は、美容や化粧というキーワードではなくて、『身だしなみ』とか『介護予防』といったことや地域性を意識した打ち出し方が必要ですね。加齢臭のケアやメンズスキンケアなどへの関心が高まっているので、需要の拡大も期待できるのではと思っています」

「女性は隣同士で会話しながらワイワイとした雰囲気ですが、男性だけのグループケアは全員、先生の方にきっちり向いてまじめに受講されます。全然違いますね(笑)。進め方にも工夫が必要です」

化粧は人が人らしくあるための権利

自分に自信を持てること、自分が自分らしくいられることは、人が幸福な生活を送るのに必要不可欠な要素のひとつだ。「水道」「電気」「ガス」などと同じように、「化粧」も社会のインフラサービスのひとつとなる社会の実現に向けて努力し続けたい、と池山さんは語る。

「これは男性の方に限らないのですが、化粧療法で『美容』『化粧』をあまり押し出してしまうと、家族がもう化粧品は必要ないだとか、本人も自分はもうそろそろいいかな、などと思ってしまう傾向があります。そこを健康のため、介護予防のためといったワードに変えることで本人も参加しやすくなったり、家族も勧めやすくなるという現状がありますね。

日本では高齢になったのだからもう化粧なんてしなくていい、と考えがちです。しかし化粧は本来、人が人らしくあるための権利でもある。こうした周りの意識も、少しずつ変わっていくことが大切だと思います。高齢者の心と体が健康になることは、家族も医療従事者も心から望んでいることなのですから」

人間は生涯を終えるそのときまで、人とのかかわりを断つことはできない。心の状態は健康寿命に大きく影響し、その心の状態を良く保つための大きな要素は、「食事」「運動」「人とのかかわり」だといわれている。その人と人の間をつなぐ役割を担っている「化粧」が、超高齢社会で果たす役割はまだまだ広がりそうだ。