カーボンニュートラル(CO2の排出量と同等のCO2量を別の場所で削減・吸収、プラス・マイナス・ゼロにする発想)を実現するにあたり、水素(H)を燃料として利用できればエネルギー資源調達のリスク回避にもなるし、脱炭素の芽も大きい。しかし、現状ではコストが高いために自国生産だけで賄うのは難しく、まずは海外から調達しようという動きが進んでいる。鎬(しのぎ)を削る3つの方式を紹介しよう。
水素社会の実現は日本の悲願
2021年中に閣議決定予定の「第6次エネルギー基本計画」で初めてエネルギーの主力の一つとして名を連ねた「水素」に注目が集まっている。
水素社会にこだわる日本だが、それはなぜか。理由は簡単で、エネルギー資源が乏しい反面、周囲に「水=H2O」の形で水素が溢れ、燃やしてもCO2を出さず、貯蔵可能なエネルギーだから。このため日本の水素研究の歴史は長く世界最先端を行く。
ちなみに経済産業省/資源エネルギー庁の試算では、水素の国内供給量(2017年)は約0.02万tだが、2030年に1000倍以上の30万t、2050年には1000万tへと急拡大。既存の石炭/LNG(液化天然ガス)火力発電の燃料に数十%混ぜる「混焼」で、CO2削減と水素の消費拡大=価格低下を期待する。
これにより価格は現行の100円/Nm3(N/ノーマル=0℃・1気圧の意味)から2030年に30円/Nm3、2050年に20円/Nm3まで引き下げる計画だ。ちなみにLNGは2017年時で輸入量8500万t、価格は16円/Nm3。
タダ同然の化石燃料からブルー水素を造る
では、大量で安価な水素をどうやって安定調達するのか。「周りを海に囲まれた日本だから洋上風力発電を近海に林立させて、ここで得た電力で海水を電気分解し水素ガスを造ればいい」と、考える向きも多いだろう。だが、現状では洋上風力発電の設置・運用コストが極めて高く、ここで得られる電力がどれだけクリーンで見かけ上タダだと言ってもトータルで考えるととても採算が合わない。まずは化石燃料由来の安価な水素を海外から調達、これを呼び水にして水素の国内市場を拡大、将来訪れる“夢の水素ガス自給自足”に備える、というシナリオを描いた方が現実的だろう。
すでに日本は主として3方式を実用試験中で、肝は“タダ同然の化石燃料からブルー水素を造る”点。
水素と炭素(C)が主成分の石炭や石油、天然ガスを高温高圧で処理すると比較的低コストで水素ガスが取り出せ、これらはもちろん水の電気分解よりもはるかに安い。しかもこれまで廃棄対象だった未利用の油分・ガス分や低価格な褐炭(後述)が原料ならば、さらに安く上がる。
排出される大量のCO2が気になるが、これはCCS/CCUS(CO2の回収・貯留/CO2の回収・利用・貯留)技術を駆使し、当面は地下の奥底に注入して貯蔵し、将来的にはこれを原料にセメント原料の炭酸カルシウム(固体)やメタンガスなどを合成したり、大規模野菜工場で“植物の餌”として消費したり再利用も視野に。ただしあくまでも採算に乗せることが必須だ。
オーストラリアの褐炭を液体水素化
ではさっそく実用試験中の3方式を見ていこう。
オーストラリア南東部で産出される豊富な褐炭を原料に水素を造って現地で液化、専用大型タンカーで日本に輸送する構想で、「CO2フリー水素サプライチェーン推進機構(HySTRA=ハイストラ)」の下、川崎重工業や岩谷産業、シェルジャパン、Jパワー、丸紅、ENEOS、川崎汽船が参画。世界初の液化水素運搬専用大型タンカー「すいそ ふろんてぃあ」(約8000総トン)も竣工し、現地のガス化・液化プラントも稼働。これだけ大規模な液体水素輸送実験はもちろん世界初だ。
「褐炭」は熟しきっていない石炭で、通常の石炭より熱量が低く30~60%もの水分を含み、乾燥させると自然発火するなど面倒な代物のため、国際取引はまれで自国の火力発電用として消費されるのがもっぱら。ただし価格は石炭の10分の1程度と安価。
輸送効率アップのため、水素ガスはマイナス253℃に冷却して液化、体積を800分の1に圧縮して輸送する。日本到着後は再びガスに戻し発電用やFCV(燃料電池自動車)用として使う。
日本とは準同盟国のオーストラリア、しかも地政学的にリスクの高いペルシャ湾や南シナ海を全く通らないエネルギー・ルートのため、安全保障の面でもメリット大だろう。
サウジの未利用油をアンモニア化
一大産油国サウジアラビアの製油所から排出される残渣(ざんさ)油(成分の悪い残りかすの油類)や、油田から出る副産物のガス(産出量や成分が不安定)は半ば邪魔者。安価のためこれを原料に水素ガスを抽出し窒素(N。大気中から採取)と反応させてアンモニア(NH3)を合成するというもの。NH3は通常気体だがマイナス約33℃で液化、冷却にさほどコストがかからず、しかも1300分の1にまで圧縮するので「水素キャリア(水素分子を運ぶための物質)」としては非常に魅力的。
猛烈な刺激臭と急性毒性、腐食性に要注意だが、アンモニア自体は肥料や各種工業の原料として昔から世界で広く使われ、インフラは既存のものを利用でき、取り扱いのノウハウも十分なため、サプライチェーン的にも有利。さらに、よく燃えるのでそのまま燃料として利用可能でもちろんCO2も出さず( NH3+O2=H2O+NOx)、既存の石炭火力発電所で「混焼」したり、アンモニア専焼火力発電の燃料として利用したりできる。
サウジ国営石油会社(アラムコ)やエネルギー経済研究所(IEEJ)、三菱商事、日揮、三菱重工業、宇部興産などが参画、すでに世界で初めて本格的な専用タンカーを使った日本への液化アンモニア大量輸送を達成している。
ブルネイの未利用ガスをMCH化
東南アジアにあるブルネイのガス田から産出される未利用の炭化水素ガス(主役の天然ガスとは成分が異なる、いわば不純物)は、これまで大半が廃棄対象だった。この未利用ガスに着目し、塗料などに使われるトルエン(C7H8)と水素を反応させてMCH(メチルシクロヘキサン:C7H14)を合成、水素は実質500分の1に圧縮され、これを水素キャリアとして専用タンカーで日本まで運ぶ仕組み。
MCHは聞き慣れないが、通常液体である点がミソで、前述の2方式に比べ冷却コストが無用な点が有利。だが、反面原料のトルエンが猛毒な上、日本に到着後MCHを元の水素とトルエンに分離(脱水素)するコストがバカにならない(トルエンはブルネイに返送され再利用)など手間やエネルギー効率が少々悪い。
「次世代水素エネルギーチェーン技術研究組合(AHEAD:アヘッド)」が結成され、三菱商事、日本郵船、千代田化工建設、三井物産などが参画、こちらも2020年に世界初の、製造から輸送まで一連の工程をトータルで行った国際サプライチェーンの実証実験が続けられている。
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このように、主に3方式が国際水素サプライチェーンの有力候補として名乗りを挙げるが、「かつてのVHS対ベータのビデオテープ戦争と同じく、最終的にはどれがデファクト・スタンダード(事実上の標準)を握るかの話」(業界関係者)との見方もあり、すでに水面下では互いに火花を散らしているという。
今年10月に発足した岸田政権では経済安全保障担当大臣のポストが新設、米中対立を念頭に最先端技術の流出など“経済戦争”を意識した対策に動き始めたが、経済安保の一丁目一番地はなんといってもエネルギーで、「水素」は今後の主軸になるだろう。そして日本は同分野で“今のところ”世界のトップを走るが、EUや中国、韓国などが何兆円規模の資金を投じて巻き返しを図っているのも事実。いつものように「気がつけば世界の半周どころか3周遅れ」とならないことを祈るばかりだ。
BigMac
水素の製造や運搬、アンモニアについては、政経電論2021年2月26日やLIMO2021年3月27日の記事に詳しく掲載されています。
トルエンが猛毒と書かれてありますが、ベンゼンに比べれば低毒性でしょうか。実験室ではベンゼンも使われ、ベンゼンの代わりにトルエンがよく使われます。両方とも工業的にはよく使われています。猛毒と書かれると抵抗感があります。トルエンからメチルシクロヘキサンそしてトルエンへの水素化脱水素化は化学技術として確立されていて面白いと思います。
文中、水素はH2、窒素はN2と書くべきと思います。
2021.10.20 11:43