岸田政権が実現を目指す「資産運用立国」、その課題と落とし穴
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岸田政権が実現を目指す「資産運用立国」、その課題と落とし穴

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現在、政府は家計の金融資産を成長投資に振り向ける「資産運用立国」の実現を掲げている。10月4日には「新しい資本主義実現会議」で「第1回資産運用立国分科会」を開催。今後は資産運用会社を抱える国内大手金融グループの運用力向上やガバナンスの改善に向け、有識者との議論を重ね、年末までに具体的なプランをまとめるという。しかし、クリアすべき課題は多い。果たして、山(個人の金融資産)は動くだろうか。

金融庁が旗振り役となって進めている「資産運用立国」

2022年9月末時点で日本の個人金融資産は、約2023兆円と過去最高となっている。その内訳は、有価証券比率の高い欧米に比べて現預金の比率が高く、半分以上を占める。これは、資産運用の余地が大きいとされる一方で、資産運用会社数は欧米の主要国に比べて少ないため、競争が働きにくいという課題を抱えている。さらに、専門性の高い人材育成も課題だ。今後は「資産運用特区」を創設して海外の専門家を受け入れるとともに、国内勢を活性化させて運用能力の向上を目指すという。

「資産運用立国」の旗振り役は金融庁だ。2023年8月29日に発表した同庁の2023年事務年度の金融行政方針の冒頭には、「資産運用立国の実現と資産所得倍増プランの推進」を掲げ、 成長と資産所得の好循環を実現するため、「資産運用業の高度化やアセットオーナー(※)の機能強化など、資産運用立国に向けた具体的な政策プランを年内に策定するとともに、『ジャパン・ウィークス』の開催等を通じて国内外へ積極的な情報発信を行う」「新しい NISA 制度(2024年1月開始)の普及・活用促進、金融経済教育の充実など、資産 所得倍増プランを推進する」と謳われている。

※アセットオーナー:顧客(受益者)から委託された資産を保有し、受益者のために管理、運用益の獲得を目指す機関投資家のこと。年金基金や銀行、保険会社などの金融機関、財団などが該当する。

投資促進イベントでは「80年代の奇跡の再来」の“予言” も

そして、金融庁が音頭をとり、9月25日〜10月6日まで都内で初めて開催されたのが「ジャパン・ウィークス」だ。海外の投資家や資産運用会社などを日本に招待し、「貯蓄から投資」の促進や資産運用立国などに関するイベントを実施した。一連のイベントには岸田文雄首相も計5回出席する熱の入れようだった。

岸田首相を囲むラウンドテーブルに参加した米資産運用会社ブラックロックのラリー・フィンク最高経営責任者(CEO)は、「日本は驚異的な経済の変容途上にある」とした上で、日本経済が急成長した「80年代の奇跡がよみがえり、その奇跡は今回は長く続くだろう」とまで言及した。“80年代”の奇跡とは、株価が3万8915円87銭まで上昇したバブル期に他ならない。市場は空前の活況を呈するというのか。

政府は継続的に海外投資家のニーズをとらえて規制緩和などの対応を進める「資産運用フォーラム」を設置すると表明。年内に準備委員会を立ち上げる。

大手金融機関も資産運用ビジネスに前向き

また、「ジャパン・ウィークス」の一環として、3メガバンクグループや大手証券2社のトップが参加した「金融ニッポン」トップ・シンポジウム(日本経済新聞社主催)が10月3日、都内で開かれた。「貯蓄から資産形成、銀行・証券が果たす役割」をテーマに、各トップは講演やパネルディスカッションを通じて、自社の資産運用ビジネスなどの取り組みについて語った。

三井住友フィナンシャルグループの太田純社長は、10月2日付で銀行・証券・信託の連携強化を目的に、グループのリテール事業における資産運用ビジネスの体制を見直したと強調した。そして、みずほフィナンシャルグループの木原正裕社長は、「ミドルキャップの企業群に光を当てたい。事業成長、企業価値向上を徹底的に支援していきたい」と述べ、企業の成長支援を後押しする姿勢を示した。さらに、三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)の亀澤宏規社長は「資産運用と資産管理をセットで考えている。ここは強化したいし、M&A(企業の合併・買収)を含めて行っていきたい」と、買収が視野にあることを示唆した。その上で、資産運用と資産管理のビジネスは、同社の事業ポートフォリオ全体の7%程度を占めるが、これを「倍ぐらいには持っていきたい」と踏み込んだ。

過去にも持ち上がった「資産運用立国」構想

官民を挙げて取り組む「資産運用立国」への期待はいやおうなく高まっているわけだが、そもそも「資産運用立国」というテーゼはいまに始まったことではない。まさに古くて新しいテーマに他ならない。

「資産運用立国」が最初に政治の場に登場したのは、1996年の第2次橋本内閣が金融規制改革「金融ビッグバン」を打ち上げことに始まる。現預金に滞留する巨額な家計資産を、市場運用を介してリスクマネーへ誘導しようという試みだった。しかし、直後の97年に北海道拓殖銀行、山一証券が破綻、日本発の金融危機が高まり、期待とは逆に現預金の比率は上昇し、リスクマネー創出気運は急速に萎んだ。

その後、この現状を打破するため、歴代政権は「貯蓄から投資へ」をスローガンに、家計資産の有価証券投資への誘導を試みた。「家計金融資産の8割を株式や債券、投資信託で運用する米国では、過去20年間で家計の金融資産は2.4倍に増加したが、日本は1.2倍にとどまっている。日本の家計は保守的過ぎる運用姿勢から、本来享受できる巨額な利益を失っている」(金融庁幹部)と訴えてきた。

高齢者の金融資産を動かそうとした「老後資金2000万円問題」

焦点は、家計金融資産の6割超を保有する65歳以上の高齢者の動向に注がれている。「数パーセントが投資に向かうだけでも数十兆円のインパクトがある。一気に投資に流れなくとも相応の経済効果は期待できる」(同)とされるが、この層の現預金志向は岩盤のように固い。

そこで、金融庁が2019年6月3日に公表した金融審議会「市場ワーキンググループ(WG)」の報告書で触れたのが、いわゆる「老後資金2000万円問題」だ。これは、定年退職後に必要とされる金融資産について「夫が65歳以上、妻が60歳以上の無職世帯が公的年金に頼って暮らす場合、毎月約5万円の赤字が出る。この後、30年間生きるには約2000万円が不足する」という試算を打ち出したことが端緒となり、マスコミによって「公的年金だけでは老後は危うい」という意味に曲解されて世の中に広まった。

結局、報告書を諮問した麻生太郎金融担当相(当時)は「世間に著しく不安や誤解を与えている」として、「正式な報告書として受け取らない」と、事実上の撤回を余儀なくされた。金融審議会の報告書を担当大臣が受け取らないのは前代未聞であり、この対応が野党から糾弾された。

そもそも、市場WGに諮問されたのは、金融庁が目指す「貯蓄から資産形成へ」をどう実現するか、高齢化社会のあるべき金融サービスについて、個人及び金融サービス提供者の双方から令和時代の始まりに相応しい行動を論理立てて示すことにあった。

だが、「金融庁はその資産運用の受け皿として税的メリットが高いNISAや積立NISAをより浸透させたいあまり、一般の方にわかりやすいようモデル世帯の不足額を盛り込んだことが逆にアダとなった」(メガバンク幹部)。報告書自体は、年金生活に入る前に相応の資金を貯蓄することが望ましい。そのために若いうちから資産運用に努めることが期待されるという示唆に富んだ内容だったのだが……。

高齢者の資産運用のネックは株式の相続税

金融資産の最大の保有者である高齢者の多くは価格変動リスクの大きい株式の保有について、依然として強いアレルギーを持っている。さらに、「高齢者が株式保有に二の足を踏む要素に、相続への心配が挙げられる」と大手証券幹部は指摘する。

現状、相続時に対象財産となった上場株式は、原則として相続時の時価(相続時の時価と、相続以前3カ月間の各月における終値平均値のうち、最も低い価格)で評価される。かつ株式の相続で生じる相続税の税率は相続する資産の評価額によって異なる。

具体的には、相続する株式の評価額が1000万円以下は税率10%、3000万円以下は15%で、控除額が50万円、5000万円以下は20%で、控除額200万円、1億円以下は30%、控除額700万円、2億円以下は40%で、控除額1700万円、3億円以下は45%で、控除額2700万円、6億円以下は50%で、控除額4200万円、6億円超は55%、控除額7200万円となっている。相続税の税率はもともと高い上、累進課税によって最大55%となるため、評価額が高額の場合、非常に高くなるという特徴があるわけだ。

一方、同じように相続時に課税対象となる土地は路線価(公示価格の80%程度)、建物は固定資産評価額(建築費の50~70%)、ゴルフ会員権は市場取引価格(時価)の70%と、評価額が事実上割り引かれている。「株式で相続財産を持っていることは他の資産に対して非常に不利になっている」(大手信託銀行幹部)と言っていい。しかも、価格変動リスクが大きい株式は、相続時に株価が高騰していれば、法外な相続税を納めなければならなくなるリスクも高く、価格変動リスクが低い預金や債券に比べても不利となっている。

こうした相続財産間の歪みを是正するため、金融庁は来年度の税制改正要望で、「高齢者が老後資金のために蓄えた資産を安心して保有し続けることのできる環境を整備する観点から、相続税に係る見直し」を求めた。狙いは、上場株式の時価評価の見直しであり、評価額の引き下げに他ならない。「貯蓄から資産運用へ」を推進する金融庁は、2024年からの新NISA(少額投資非課税制度)の恒久化と、上場株式の相続税見直しで、「高齢者にもっと株式を持ってもらいたい」(金融庁幹部)と願っているが、税制の壁が立ちはだかっている。

家計資金とリスクテイク、“金融リテラシー”に課題

さらに金融庁は非上場のスタートアップに個人マネーが回りやすくなるよう、現在1社につき一律50万円までとしている非上場スタートアップへの個人の年間投資額の上限を年収などに応じて倍の100万円以上に引き上げる方針だ。企業の調達額の上限も5倍にする。個人の運用手段と資金不足がネックになりがちなスタートアップ双方の選択肢を広げ、成長が見込める事業を後押しするのが狙いだ。まさに「資産運用立国」への布石にほかならない。

だが、家計資金を有価証券投資へ振り向けることは、高齢者にリスクテイクさせることに等しい。この層の“金融リテラシー”はそれに耐えうる水準にあるのだろうか。不測の投資環境の悪化で、過大な損失が生じることになれば、政権の致命傷となりかねない。まさに諸刃の剣であることは忘れてはならない。