考えられる人になる 子どもに学ばせたい『論語』のススメ

臨済宗国泰寺派 全生庵にて 写真/片桐 圭

社会

考えられる人になる 子どもに学ばせたい『論語』のススメ

0コメント

山岡鉄舟ゆかりの禅寺として知られる全生庵(東京・谷中)。そこで、毎月第4金曜日を中心に「こども論語塾」が行われている。多くの経営者がビジネスのヒントにしてきた『論語』をなぜ、子どもたちに教えるのか。「こども論語塾」の主宰者であり、自ら子どもたちに『論語』を教え、伝えている安岡定子さんに話を聞いた。

 論語塾講師

安岡定子 やすおか さだこ

1960年生まれ、東京都出身。二松学舎大学文学部中国文学科卒。政財界に広く影響を与えた陽明学者・安岡正篤の孫。全国各地で幼い子どもたちやその保護者に『論語』を講義している。著書に『壁を乗り越える論語塾』(PHP研究所)、『仕事と人生に効く 成果を出す人の実践・論語塾』(ポプラ社)など多数。

»安岡定子公式サイト

続きを見る

『論語』の教えは大人にも子どもにも本質は変わらない

論語は、2500年以上も前の中国、春秋時代の思想家で儒教の開祖・孔子の言論を主として、孔子の死後、弟子たちによってまとめられた言行録だ。その内容は個人の在り方から国家・社会的倫理に関する教訓まで多岐にわたる。「日本資本主義の父」と呼ばれ、2024年に刷新される新一万円札の肖像に選ばれた渋沢栄一も『論語」』を通じた経営哲学を持っていたことで知られ、現在も多くの経営者が論語を学び、その教えをビジネスに生かしている。

全生庵で「こども論語塾」を主宰する安岡定子さんは『論語』の持つ魅力についてこう語る。

「『論語』はもともと、孔子が良い国作りをするためには人材を育てなければならないと思い至って、自身が身につけた教養、知識、経験を若い弟子たちに発信したものです。一般的には経営者や政治家といったある一定層に向けた本というイメージが強いのですが、人として大切な原理原則が述べられているので、子どもに教えても本質は変わらないというのが私の考えです。

それに、本に書かれた孔子の言葉の背景には、孔子と弟子とのさまざまなドラマや人間模様が垣間見えます。『論語』自体はいわゆる思想や哲学というジャンルですが、それがすべてではない部分があり、読み込むほどに新しい発見があります」(安岡さん、以下同)

『論語』との出合い

安岡さんが「こども論語塾」を始めることになったのは、子育てがひと段落したころに通った『論語』の講座がきっかけだった。

「大学では中国文学科だったこともあり、『論語』は古典の基本だという認識でしたので、改めて学び直したいと思いました。そこで、恩師と呼べる講師の方と出会うことができ、ほかの受講生とも親しくなることができました。受講生の中にスポーツ関係に携わっている方がいらして、子どもたちの精神面の育成のために『論語』を活用したいと提案され、論語塾という形が生まれました。そのときに恩師が講師をやれば、と薦めてくれたのが始まりです」

そうして始まった『こども論語塾』は、間もなく全生庵でも行われるようになった。全生庵で教える魅力は畳の部屋が教室であることだという。

「畳の部屋は子どもも靴を脱いでリラックスできるし、お母さんはおむつを替えたり、おっぱいをあげたりしながら一緒に『論語』を読んで学べます。お子さん連れでも参加しやすいというのが最大の魅力です」

全生庵「こども論語」安岡定子先生
「半分くらいは保護者に向かって言っているのではないかと思います」(平井住職)
禅寺で『論語』を学ぶ意義

安岡先生の「こども論語」について、全生庵の七世住職であり政経電論でも「急がば坐れ!~全生庵便り」を連載している平井正修住職は語る。

 

全生庵で安岡先生の『こども論語塾』が始まったのは10年ほど前からです。もともとは経営者向けの坐禅会があり、参加者たちのお子さんたちにも何か習い事をということで、子ども向けの坐禅会と一緒に始まりました。それまで、子ども向けの坐禅会は単発で行っていたのですが、じっと坐って集中するという習慣づけにもなるので、定期的にしてみたかったのです。

 

『論語』と禅は直接の関連性はありません。共通点は、禅は中国を起源とするもので、『論語』も同じです。中国に仏教が伝わったときには儒教や道教が教育的な基盤としてあり、禅はそのなかで発展していきました。だから禅語と呼ばれるものの中には『論語』を出典にしたものもたくさんあります。『論語』の言葉に普遍的な真理や宗教性があるからでしょう。

 

子どもたちにとって今は意味がわからなくても、成長したら何かのきっかけで日常と『論語』の言葉が一致するときが必ず来るでしょう。そのときに拠り所になれば良いと思っています」(臨済宗国泰寺派全生庵七世住職 平井正修

身近なテーマから考える「こども論語塾」

安岡さんは現在、全生庵以外でも都内や鎌倉市(神奈川)のほかに京都市(京都)や都城市(宮崎)などでも開催している。

「講座ではまず、子どもたちに『迷子に出会ったらどうする?』とか『みんなで絵を描くときにクレヨンが1人分足りなかったらどうする?』とか日常的な想像しやすいことをたくさん質問してやり取りするところから始めます。そうして自分ならどうするかということを考えてもらうようにしています

これは、孔子の考え方の根本である『自らを省みる』ということに基づいています。他人の言動を批判する前に、自分はどうであるかということを考えることが重んじられているのです。子どもの年齢によっていろいろな答えが出てくるので面白いですよ」

そうした日常的な会話や質問のやり取りから『論語』の言葉の引用や説明がされるだけでなく、素読をすることも大切にしている。

「自ら論語塾に通いたいと思う子どもはいません。何かしら気持ちのある保護者の方が手を引いて連れてくるのが始まりです。そうなると最初が肝心で、楽しかった、次も行きたいと子どもが思ってくれることが重要です。そのためにどうしたらいいかというのは日々考えています」

全生庵「こども論語」安岡定子先生 素読

『論語』を通じて子どもたちに伝えたいこと

講座の中では「自らを省みる」だけでなく、折に触れて習慣の大切さも伝えている。

「『論語』に『性、相近し。習い、相遠し』という言葉があります。『性、相近し』とはみんな良い資質を持って生まれてくるという性善説の考え方。『習い、相遠し』とは、それを磨いていかないと忘れていってしまうということです。磨き続ける、学び続けるためには良い習慣を身につけることが必要なんですね。

例えば、学ぶことなら辞書を引く習慣、日常生活なら片づけや掃除をするという習慣を持つことで、幅広い教養や気持ちの良い生活を得ることができます。そうすると豊かで魅力的な人物になることができる。『論語』ではそういったことも学問と同じように大切だと説いているんです」

全生庵「こども論語」安岡定子先生と挙手する子どもたち

子どもに伝えたいことはほとんど『論語』の中にあるという。安岡さんが習慣のすごさを実感したのが講座に通っていたある男の子のエピソードだ。

「その子は幼稚園の頃から通っていましたが、小学4年生の頃、学校が忙しくなってしばらく来られなくなりました。中学3年生になってまた来るようになりましたが、小さい周りの子たちと比べると中学校の制服も着ているし、明らかに違和感がある。

ちょっと恥ずかしがるかなと思っていたんですが、受付の手伝いや小さい子どもたちの相手も自然体でしてくれて、さらに感動的なことがありました。講座の最後に好きな論語の章句を前に出て、一人ずつ発表するのですが、このときも堂々と出てきて発表し、自分なりの解説もすらすらと話したんです。ちゃんと小さいときに習ったことを覚えているし、周りの気遣いもできるようになっていました。すごいな、こんな風になれるんだなと思いました」

古典から現代にも通じる生き方を学ぶ

もちろん、子ども向けだけでなくビジネスに通じる言葉も『論語』の中にある。

「社会人に向けるならば、『遠き慮(おもんぱか)り無ければ、必ず近き憂い有り』という言葉があります。『遠き慮り』は遠い将来を見通した考え方です。『遠慮』も『論語』から来ている言葉なんです。遠慮がなければ『必ず近き憂い有り』、つまり必ず将来困ったことになりますよというシンプルな教えです。

この中には、見通しを持って将来のために今何をしておくべきかという人生設計から、今これを言ったら相手がどういう気持ちになるかといった日常的なことまで全部含まれています」

古典の素養を持つことは、現代にも通じる生き方や考え方を備えるということだと安岡さんは考える。

「『こども論語塾』を通じて思うのは、子どもたちには『自ら省みる』、考えられる人になってほしいということ。人任せにしない、誰かが考えてくれるから自分はいいや、とは絶対に思わないようにとは繰り返し伝えています。子どもたちには『また言ってる』と耳にタコ状態ですけど(笑)。そのくらい言ってちょうど良いかなと思っています」

全生庵 谷中寺子屋「こども論語&坐禅」

開催:毎月第4金曜日 17:00~18:30 ※8月のみ28日(水)、詳細はHPにて要確認

»全生庵ホームページ

 

場所:全生庵 台東区⾕中5-4-7
対象:幼児~⼩学⽣のお子さんと保護者
内容:17:00~ 安岡定子さんによるこども論語、18:00~ 平井正修住職による坐禅
会費:1000円(⼤⼈・⼦ども共通)※3歳から有料
問合せ・予約先:全⽣庵 東京都台東区谷中5-4-7/03-3821-4715/zenshoan@cup.ocn.ne.jp

 

全生庵「こども論語」の後は坐禅の時間
「こども論語」の後は親子並んで坐禅も