三橋貴明が説く 今さら聞けない経済学

第5回:安全保障と利益追求

2014.7.10

経済

0コメント

国民の生命と財産を守る安全保障の強化と、企業の利益追求をいかに両立させるべきか。安全保障が脆弱な国では、企業はビジネスの拡大が困難になる。逆に、安全保障強化を理由に、企業活動があまりにも制限を受けるのも問題だ。重要なのは、両者を両立させるバランスである。

三橋貴明の原則

冒頭から大仰で恐縮だが、「三橋貴明の原則」と呼んでほしい「原則」を2つ挙げておきたい。

●第一原則:規制緩和・グローバル化と安全保障の強化は、両立しえない
●第二原則:経済政策には「インフレ対策」と「デフレ対策」の2種類しかない

第一原則の「安全保障」とは、軍事面に限らない。例えば、来るべき首都直下型地震や南海トラフ巨大地震といった大規模自然災害から「国民を守る」ことも、立派な安全保障の一部だ。さらには、国民を飢えから守る「食料安全保障」、国民に適切なコスト、品質の医療サービスをアクセス良く提供する「医療安全保障」、非常時に国民に必要な物資を届ける「物流安全保障」、国民が必要とする電力を滞りなく供給する「エネルギー安全保障」など、安全保障は多岐にわたる概念である。

「無駄」の許容

安全保障が厄介なのは、平時にはどうしても「無駄」が生じてしまう点だ。例えば、南海トラフ巨大地震へ備えるため、大規模堤防を建設したとしよう。堤防とは津波発生などの非常事態が発生しない場合、無用の長物以外の何物でもない。
とはいえ、非常事態は起こりえる。あるいは「起きるかもしれない」からこそ、政府が公共投資で大堤防を建設するわけだ。この種の「平時には役に立たない」建設物を、民間企業が自らのコストで建設するだろうか。無論、その種の篤志家がゼロとは言わないが、何しろ民間企業の目的は「利益追求」である。利益を度外視し、企業が堤防建設のコストを負担するなど、さすがに無理がある。
だからこそ、政府が存在するのだ。政府が建設国債を発行し、公共投資で堤防を建設することで非常時に備える。民間は政府の投資により「安全保障が確立された」地域でビジネスに勤しみ、所得を稼ぐ。すなわち、経済が成長する。
政府は民間が稼ぐ所得から「税金」という形で分配を受け、国債を償還(返済)する。短期的に利益を出せない「安全保障のコスト」を、長期的、マクロ的に回収していくわけである。

 

非常時に備えると政府の規制は強化される

さて、規制緩和とは、特定産業や特定分野における政府の関与を弱めるという話だ。さらに、国境を越えて規制を緩和する発想が、グローバル化になる。
規制が緩和され、政府のパワーが小さくなっていくと、当然ながら「経済活動」の主流は利益最大化にシフトする。民間企業の目的が「利益追求」である以上、当然だ。
例えば、流通部門における規制をさらに緩和し、外国企業を含めた運送業が激しく利益を追求する、完全なる自由市場が成立したとしよう。政府が各運送企業の経済活動に介入できないとして、国家として非常事態への備えが実現するだろうか。
もちろん、無理だ。何しろ、非常事態へ備えるためにはコストがかかる。そして、非常事態は「起きない」かも知れない。「起きない」可能性がある事態への対処のために、現在、コストを支払えと言われ、素直に納得する企業は少数派だろう。
だからと言って、政府が法律を定め、国内で事業活動を行うすべての運送事業者に、非常事態発生時のためのコストを担わせる(例:大規模自然災害発生に備え、トラックと運転手の予備を確保せよ、など)となると、結局は「政府の規制が強化された」という話になってしまう。
いつ発生するか、あるいは発生するか否かさえ誰にもわからない「将来のリスク」に備え、トラックの台数や運転手の人員を増やすべき、などという法律を政府が制定した場合、国内運送事業者はともかく、「利益追求」の色が濃い外国企業は、普通に日本におけるビジネスを縮小していくだろう。すなわち、グローバル化が反転する。

安全保障の意味

大元の話として、日本の安全保障とは「日本国民の安全を守る」ことである。すなわち、日本政府が安全保障を強化したとして、便益を受けるのは日本国民であり、外国人ではない。そもそも、外国人は日本国民とナショナリズム(国民意識)を共有してさえいない。日本国民とナショナリズムが異なる外国人に「日本の安全保障」の一翼を担ってもらうなど、発想自体に無理がある。
日本国の安全保障は、日本国民自身の手で確立するしかない。安全保障やナショナリズムと書くと言葉の響きが強くなるかも知れないが、要は「困ったときは、お互い様」という話に過ぎない。国民同士が助け合うという発想なしでは、戦争が起きないとしても、この自然災害大国で日本国民が生き延びることは困難だ。
無論、安全保障を確立するためならば、政府はどれだけ規制を強化してもいい、という話ではない。企業の「利益追求」の意志こそが、経済成長をもたらし、国民の所得を増やしていくことも、また確かな事実なのである。
要するに、「政府による安全保障の強化」と「企業の利益追求」を両立させるバランスを「探らなければならない」という話だ。上記のバランスを追い求めることこそが、まさに「経済」すなわち経世済民(けいせいさいみん)の基本なのである。

次回(2014/9/10公開)は「三橋貴明の第二原則」について書いてみたい。