安倍晋三元首相、演説中に撃たれ死亡 歴代最長政権

2022.7.9

政治

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安倍晋三元首相、演説中に撃たれ死亡 歴代最長政権

政経電論の創刊号では安倍元首相に表紙インタビューを慣行 写真:若原瑞昌

安倍晋三元首相が7月8日、奈良市内で参院選候補の応援演説中に銃で撃たれて死亡する事件が起きた。午前11時半ごろ、近鉄大和西大寺駅前で演説中に銃撃され、心肺停止の状態で病院に緊急搬送されたが午後5時3分に死亡が確認された。奈良県警は発砲したとみられる元海上自衛官の男を現行犯逮捕。日本のみならず、世界に衝撃が走った。首相経験者が殺害されるのはもちろん、銃撃されるのも戦後初めて。参院選のさなかということもあり、多くの聴衆が見守る中での凶行だった。

華麗なる政治家一族の出自

安倍元首相は享年67歳。1954年に東京都で生まれた。父方の祖父は衆院議員を務めた安倍寛、母方の祖父は後の首相、岸信介。父の晋太郎は当時、毎日新聞の記者だったが、後に岸氏の外相秘書官、首相秘書官を経て衆院議員となった。岸氏の弟であり、安倍元首相にとって大叔父である佐藤栄作氏も後に首相に就いており、華麗なる政治家一族で育った。

成蹊大学法学部を卒業後はアメリカに留学し、1979年に帰国。神戸製鋼所に入社した。3年間働いた後、父の外相就任に伴って外相秘書官に就任。1991年に父・晋太郎が急死したことを受け、1993年の衆院選に父の地盤である山口1区から立候補し初当選した。安倍元首相は奇しくも父と同じ年齢で帰らぬ人となった。

初当選当時から政界のプリンスとして扱われたが、世間の注目を浴びだしたのは2000年に小泉政権で官房副長官に就任してからだ。官房副長官は衆参両院の国会議員1人ずつと、官僚出身者の計3人。特に政治家は首相の側近から選ばれることが多く、若手の登竜門とされる。安倍元首相は副長官時代の2002年に小泉首相の訪朝に同行。拉致被害者5人の一時帰国につなげるが、北朝鮮に帰国させるかどうかで政府内でも意見が分かれるなか、強行に反対して注目を集めた。

その後、2003年に小泉首相が女性スキャンダルの表面化した山崎拓幹事長を交代させる際、後任に安倍元首相をサプライズ指名。まだ閣僚も党の要職も経験していない安倍元首相の幹事長起用は異例で、大きな注目を集めた。首相に上り詰めたのはそれから3年後だ。

幹事長は1年で退任したが、後任となった武部勤幹事長の下で幹事長代理に就任。2005年には第三次小泉政権で官房長官に就任し、翌年に小泉の任期満了に伴って行われた自民党総裁選で麻生太郎氏、谷垣禎一氏を破って当選した。2006年9月26日、第90代内閣総理大臣に就任。当時52歳で、戦後最年少、初の戦後生まれの首相だった。

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第一次政権は試練、約1年で退陣

ただ、第一次政権は安倍元首相にとって試練の一年だったと言っていい。最初のつまずきは郵政造反組の復党問題。小泉時代の郵政解散問題を機に党を離れていた造反議員12名のうち、11名の復党を認めたところ支持率が急落。その後、閣僚のスキャンダルが相次いだ上に「年金記録問題」が浮上し、支持率はさらに低下した。2007年参院選で自民党は民主党に第一党を奪われ、与党としても過半数を下回った。

安倍元首相率いる与党が参院選で敗北したことにより、国会は衆院では与党が過半数を占めるものの、参院で野党が過半数を占めるという“ねじれ”状態に。それまでと違って法案を容易に通すことができなくなり、国会は混乱に陥った。

当時、国会で焦点となっていたのはアフガニスタンでの米軍の活動を後方支援するテロ対策特別措置法の延長問題。安倍元首相は参院選敗北への批判に加え、小沢一郎氏率いる民主党に振り回されて窮地に陥った。そんななか参院選から1カ月半が過ぎた9月12日、体調不良を理由に退陣を表明した。後に難病である「潰瘍性大腸炎」を患っていたことがわかった。

首相の座は福田康夫氏、麻生太郎氏に引き継がれたが、国会で主導権を握れないこともあり、自民党の支持が回復することはなかった。麻生氏が任期切れ直前に行った2009年の衆院解散総選挙で与党は敗北。民主党に政権を奪われる。

2012年の総裁選で奇跡の復活、そして歴代最長政権へ

自民党内では安倍元首相を非難する声は多く、そのまま政治家として終わるとの見方が多かったが、2012年の総裁選で奇跡の復活を果たす。所属する派閥内でも立候補すら止める声が多いなか、1回目の投票で石破茂氏に次ぐ票を獲得。決選投票では石破を上回る票を獲得し、総裁への返り咲きを果たした。保守系議員からの根強い支持があったことに加え、“反石破”票が安倍に流れたとみられる。それから2カ月半後の衆院総選挙で自民党は圧勝し、第二次安倍政権を発足させた。一度辞任した首相の再登板は戦後、初めてだ。

その後の活躍は知っての通り。大胆な金融緩和、機動的な財政出動、成長戦略の「3本の矢」を代表とする「アベノミクス」を打ち出し株価は大幅に上昇。安全保障関連法やIR法を成立させるなど、着実に政策を前進させた。在任時の国政選挙は連戦連勝。党内外にライバルらしいライバルもおらず“安倍1強”と称された。2019年には首相としての通算在職日数が桂太郎氏を抜いて歴代最長となり、2020年には連続在職日数が大叔父の佐藤栄作氏を抜いて歴代最長となった。

2020年8月、潰瘍性大腸炎の再発を理由に辞任を表明したが、その後の菅義偉政権、現在の岸田文雄政権でも党内最大派閥・清和会の会長として大きな影響力を発揮していた。特に保守系の政策については安倍元首相が陰で主導していたといっても過言ではない。

2022年7月10日の参院選後は憲法改正の議論が活発化される見通しだが、そうした議論の行方にも安倍元首相の死は大きく影響しそうだ。