ウクライナ戦争に傭兵としてかかわり、「プーチンの秘密部隊」と言われてきたロシアの民間軍事会社ワグネル。6月下旬に突如、ロシアに反旗を翻し、クーデター未遂を起こしたが、プーチン大統領は鎮圧ではなく、ワグネル側に「雇用の選択肢」を提示し、クーデターを不問に処した。その背景には、追いつめられたロシアとプーチン大統領の窮状が伺える。
クーデター未遂後のワグネルの動き
ウクライナ戦争において、ロシア側の最前線で戦ってきたロシアの民間軍事会社ワグネルは6月24日、突如ロシアの首都モスクワへ向けて進軍を開始し、ワグネル部隊がロシア軍の戦闘機を撃ち落とし、パイロット10人あまりが死亡するなどしながらモスクワまで200キロのところまで迫った。だが、ワグネルの指導者であるプリゴジン氏は突如進軍を停止すると発表。プリゴジン氏はロシアと接するベラルーシに自家用ジェット機で移動したことなどがメディアで広く報じられたが、その後は詳しい消息はわかっていない。
これについて、北大西洋条約機構(NATO)のストルテンベルグ事務総長は7月11日、リトアニアの首都ビリニュスで開催中のNATO首脳会合での記者会見で、これまでのところロシア民間軍事会社ワグネルのプリゴジン指導者や兵士らがベラルーシに移動したり、活動したりする兆候は確認していないと発表している。
一方、ロシアの大統領補佐官は7月10日、プリゴジン氏が反乱開始から5日後の6月29日までにベラルーシから出国後、モスクワに到着し、ワグネルの司令官らとともにプーチン大統領と会談したことを発表。プーチン大統領から「雇用の選択肢」を提示されたというプリゴジン氏は、ロシアのために戦闘を継続する用意があるとの意思を伝え、プーチン大統領もワグネル支援を表明したという。
“内なる敵”こそがロシアの脅威か
ロシアのタス通信が、プリゴジン氏はベラルーシからロシアに戻ってプーチン大統領と会談したと報道したことから、次の一手をプーチン大統領とともに考えていると推測できる。そして、それは同時にプーチン大統領の焦りをわれわれに想像させる。つまり、プーチン大統領にとって最大の敵、潜在的脅威はウクライナやNATOなど外にあるのではなく、その中にあるということだ。
まず、プリゴジン氏はウクライナでの戦闘中、SNS上で弾薬が足りないなどとジョイグ国防相やゲラシモフ参謀総長など国防幹部へ強い不満を示していた。反乱にプーチン政権を崩壊させる意図はなくても、2人を強制的に退陣に追い込む意図はあったように思う。
ここで問題となるのは、一時的な反乱未遂だったとしても、ロシア国内で準軍事組織がクーデターのような出来事を起こしたという現実である。
ロシアが抱える“内乱の種”はワグネル以外にも
さらに、反戦を求めるロシア国民の声も根強い。注目すべきはロシア南部のチェチェン共和国やダゲスタン共和国などカフカス地域だ。ここは他の州と比べ、高い割合で地元住民が徴兵され、ウクライナでの戦闘の最前線に駆り立てられ、多くが犠牲になっていると言われている。
長年、プーチン政権とカフカスは紛争関係にあった。カフカス地域で多数を占めるのがイスラム系住民で、ロシアでは少数民族として長年差別を受け、モスクワとは大きな経済格差があった。チェチェンなどでは分離独立をめぐる動きが激しくなり、1994年から1996年の第一次チェチェン紛争、1999年から2009年の第二次チェチェン紛争はそれを物語る。
また、それによりカフカス地域を拠点とするイスラム過激派によるテロ活動も活発化。2002年10月のモスクワでの劇場占拠事件、2004年5月のカディロフ・チェチェン共和国大統領爆殺事件、同年9月の北オセチア共和国ベスランでの学校占拠事件などは代表的なテロ事件となる。
アルカイダや「イスラム国」など、ジハード系のイスラム過激派の影響も同地域に浸透し、「イスラム国のコーカサス州」を名乗るグループも2015年あたりに台頭。テロをめぐる構図は地域だけでなく国際的要素も加わり、より複雑化している。
こういう歴史的背景があるなか、ウクライナ戦争でロシア軍の劣勢が顕著になり、ワグネルが反乱未遂を起こした事実は、カフカス地域の人々にはどう映るだろうか。
もしかすると、紛争時にプーチンの軍事的強制によって抑え込まれてきた積もりに積もった不満や怒り、恨みを爆発させるチャンスと捉えるかもしれない。カフカスにとって、プーチンが政治的、軍事的に追い込まれることはチャンスとなるのだ。
今のところ、ロシアでプーチン政権の崩壊をもたらす規模のクーデターが起こる可能性は低い。しかし、ワグネルの反乱未遂をプーチンが丸く収めようとしたのは、それが国民やカフカスなど他のリスクに波及する恐れを感じていたからに違いない。