パラスポーツのサポートを通じて次世代が活躍できる環境を【三菱商事の社会貢献活動50年】

2023.12.1

企業

0コメント

写真:MegumiMasuda/JWRF

「利益が上がったときにその一部を社会貢献に回す、ということではなく、企業が存在する社会、コミュニティーへの参加費として一定のコストを負担すべき」――。藤野忠次郎社長(当時)の強い決意と覚悟の下、三菱商事が「社会環境室」を立ち上げたのは1973年のこと。今では企業が当たり前に果たすべき社会的責任としてのCSRに、三菱商事は50年も前から取り組んできた。近年は「インクルーシブ社会の実現」を大きな軸のひとつとし、パラスポーツをサポートする「DREAM AS ONE.」に注力。三菱商事に所属する車いすラグビー池崎大輔選手のインタビューとともに、時代によって変化する社会課題に向き合ってきた同社の社会貢献活動の歩みを振り返る。

日本企業における社会貢献活動のパイオニアとして

三菱商事が社会貢献活動の一環で支援している国・地域数は延べ60に及び(2023年9月末現在)、自然保護をはじめ、文化の保護・支援や障がい者の支援、奨学金支援など取り組みは多岐に渡る。「社是である三綱領(※)がすべての拠り所。その下で公正で健全な事業活動を推進するとともに、社会貢献活動にも積極的に取り組んできました」と三菱商事社会貢献担当者は語る。

※三綱領:三菱商事における企業理念。1920年の三菱四代社長岩崎小彌太の訓論に由来し、「所期奉公」「処事光明」「立業貿易」から成る。

「継続性も大切にしながら、その時々の社会課題に沿ったもの、そして三菱商事らしさを活かせる活動を推進しています。また、新たな支援に目を向けつつ、従来の活動内容の見直しも重視しています。たとえば以前は、地球環境、福祉、教育、文化・芸術、国際交流・貢献の観点から社会貢献活動に取り組んでいました。しかし包括的に見たとき、福祉にカテゴライズできるものや、あるいは福祉という言葉では収まりきらないものがあるのではないかと考え、あらためて社会課題の文脈で整理し直したのです。2019年からは『インクルーシブ社会の実現』『次世代の育成・自立』『環境の保全』の3つの軸に沿った活動と災害支援を実施しています。いずれにおいても世界各地の社員が自発的に活動すること、そして継続して活動に取り組むことを大切にしています」(三菱商事社会貢献担当者/以下同)

【インクルーシブ社会の実現】多様な生き方が存在する今、それぞれを尊重し共生できる世の中になるよう、活動を続けている。
【次世代の育成・自立】未来を担う次世代を育成し、その成長と自立を支え促進するため、教育、研究、能力開発の支援などに積極的に取り組む。
【環境の保全】かけがえのない地球環境を未来へと伝え、人と自然が調和した豊かな社会を実現するために。

災害支援においては、東日本大震災復興支援を目的に135億円を拠出。2011年4月から10年間で延べ4,958名の社員が被災地でのボランティア活動に参加している。三菱商事の社会貢献活動における社員のボランティア休暇取得日数は4,603日、取得人数は2,709名(2023年3月末現在)に及び、こうした数字からも社員の積極的な姿勢が見てとれる。

「自分たちも実際に現地に行って手伝えることはないか」という社員の声から始まった東日本大震災の復興支援活動。

「とくに『インクルーシブ社会の実現』においては、誰もが生き生きと活躍できる社会を目指すことを目的に幅広くプログラムを実施しています。パラスポーツを支援するプロジェクト『DREAM AS ONE.(ドリーム アズ ワン)』もまさにその軸に沿った活動です。DREAM AS ONE.にはパラスポーツのすそ野を広げ、パラスポーツへの理解度・認知度を高めるという2つの目的があります。競技者と応援者の両面への働きかけを行うことで、ともに一つになり夢に向かっていこうという思いが込められています。競技団体や大会への協賛、障がい児向けスポーツ教室、セミナーやパラスポーツイベントの開催など、パラスポーツへ触れる機会の創出を行っています」

パラアスリートの活躍から広がる未知数の可能性

DREAM AS ONE.においては、パラアスリートのバックアップも特筆すべきプロジェクトだ。三菱商事には現在、トライアスロン、車いすラグビー、水泳、陸上競技など6名の選手が所属し、内3名は東京パラリンピックへの出場も果たした。

高橋勇市(たかはし ゆういち):陸上(T11)、トライアスロン(PTVI)選手
今井友明(いまい ともあき):車いすラグビー選手(1.0クラス)
池崎大輔(いけざき だいすけ):車いすラグビー選手(3.0クラス)
辻内彩野(つじうち あやの):競泳選手(視覚障がい(弱視)S13、SB13、SM13クラス)
木下あいら(きのした あいら):競泳選手(知的障がい S14クラス)
遠山勝元(とおやま かつもと):パラ陸上競技選手(T54クラス) 写真:日本パラ陸上競技連盟

「東京パラリンピックでは競技も選手も大いに注目され、ムーブメントがありました。それが一過性のもので終わらないよう、DREAM AS ONE.でもできることをしていきたいと考えています。協賛している『DREAM AS ONE.×みんなでチャレンジアカデミー SPECIAL FES.』もそのひとつです。障がいの有無にかかわらず一緒にスポーツを楽しむ機会を提供し、この11月も親子400組を招待して開催されました。体験ブースでは三菱商事に所属する車いすラグビー今井友明選手らも参加して、車いすラグビーの面白さを伝えました」

今井選手と車いすラグビーを体験する子どもたち。

トップアスリートを間近に感じてパラスポーツを体験するという非日常は、競技の魅力を周知するだけでなく、子どもたちの夢への一歩となる。「まずは知らない世界を知ってもらうことが大切」と、池崎選手も考える。

「『車いすラグビー』と聞いたとき、何だろう?ってまず思いますよね。小学校などの体験会で実際に車いすラグビーをやってみると、『わ、すごい!』『かっこいい!』『面白い!』と、子どもたちがみんな笑顔で楽しそうなんです。見たり聞いたりするより、体験することが知らない世界を知るための一番の近道。車いすのこぎ方、タックルしたときの音、衝撃を肌で感じて自分の口から素直な感想が言えることが大事だと思うんです。その笑顔が僕らにとってのモチベーションとなり、競技を知ってもらえたことで『試合観に行くね』『応援するよ!』と裾野が広がることにつながっていくんですよね」(池崎大輔選手/以下同)

障がいのある子どもたちにパラスポーツ体験を

日本代表でプレーする今井選手と池崎選手。

6歳のとき、1万人に一人といわれる難病「シャルコー・マリー・トゥース病」にかかった池崎選手。筋力が徐々に落ちていき、走る、投げる、蹴るができなくなっていった。「もうスポーツはできないのか」と思い始めた高校2年のとき、車いすバスケットボールと出会った。

「まだスポーツができるんだと喜びを感じました。15年ほど続けましたが、握力ゼロの僕にはバスケットボール自体が重く、ブレーキングの操作もうまくできなくなって。悩みながら、工夫しながら、仲間に支えられながらやっていたとき、車いすラグビーのチームからスカウトされて2008年に転向しました。

車いすラグビーは、ひと言で言うとフルコンタクトスポーツ。車いすと車いすがぶつかって倒れ、また起き上がってぶつかっていく。車いす同士がぶつからないよう、ブレーキングがマストだった車いすバスケとは正反対でした。ボールも軽くて扱いやすく、僕の障がいの特性的にも車いすラグビーが合っていたんです」

池崎選手にとってパラスポーツの入口こそ車いすバスケットボールだったが、世界への扉を開けたのは車いすラグビーだった。どんどん頭角を表し、2010年には日本代表に選出。エースとして日本代表チームを牽引し、リオ、東京パラリンピックとチームは2大会連続で銅メダルを獲得した。

車いすラグビー日本代表は、今夏に開催された「2023ワールド車いすラグビー アジア・オセアニア チャンピオンシップ」で優勝し、パリ2024パラリンピック競技大会への切符を勝ち取った。

「パラアスリートの障がいはさまざまで、一括りにできるものではありません。たとえば車いすラグビーは両手両足に障がいのある人が対象で、何か障がいがあればできるというわけではないんですね。四肢に障がいがあればラグビー、足の障がいであればバスケと、障がいによって競技の選択肢も変わってきます。僕が小さい頃にそのことを知っていたら、もっと早くパラスポーツの世界に入り、もっと若いうちからいろいろなことに挑戦できたかなという想いがあります。

だからこそ、障がいのある子どもたちにスポーツ選手になれる道があることを知ってもらいたい。早いうちから挑戦する機会があることが大切ですし、その親にも安心感を持ってもらえるんですよね。オリンピック選手の多くが、幼い頃からその種目に携わっています。ですが、障がいのある小さな子どもにとっては、なかなかそういう機会がありません。それをDREAM AS ONE.では障がい児向けスポーツ教室を開催し、いろいろなパラスポーツを体験するきっかけづくりをしているんですよね。今後も続けてやっていけたら次世代がもっともっと楽しい人生を送れるのではないかと、僕は思っています」

三菱商事は、「障がい児向けスポーツ教室」や「パラスポーツ体験会」を開催するなど、広くスポーツをする機会を提供している。

DREAM AS ONE.を通して次世代アスリートを応援

倒れても倒れても起き上がり、全力でぶつかっていく車いすラグビーは、メッセージ性の強い競技だと池崎選手は語る。

「人は誰もが何かしら壁にぶつかり生きています。だからこそ、パラスポーツのさまざまな競技を通して、自分も頑張ろうと思ってほしいんですよね。僕は『障がい者と思えない』と言われることも多いのですが、正直、『障がい者』『健常者』という言葉で分けられるのは好きではありません。障がいについて話す場面も多いのですが、子どもたちには障がい物リレーにたとえて話しています。スタートからいろいろな障害物があり、それを乗り越えていってゴールするでしょう。それと同じで人生いろいろ困難や辛いことがあるけど、一つひとつ乗り越えて成長して、夢や目標に向かっていくんですよ、と。それが車いすなのか二本足なのか、障がいがあるかないかで区別するのはおかしな話です。だって障がいは身体だけでなく環境にもたくさんありますから」

池崎選手は、パラスポーツはもとより障がいについても伝えていくことが、選手として結果を出すこと以外での自身の使命だと考える。それはインクルーシブな社会を創るためにも必要なことだ。

「みんなで一致団結しながらスポーツを発信する。夢を叶える良い環境をつくる。次世代の人たちのサポートをしていく。そのすべてを行うのが『DREAM AS ONE.』なんですよね。この素晴らしいプロジェクトを、今後も微力ながらも一緒にやっていきたいと思っています。

僕は今、とても恵まれた環境で車いすラグビーに専念できていますが、次世代の人が活躍していくためには環境づくりも不可欠です。しかし、誰かにお願いして良い環境にできるほどスポーツの世界は甘くない。まずは自分が頑張り、結果を出すことで知名度を高め、自分自身の価値を上げなければいけません。そうした次世代が活躍できるきっかけづくりも自分の役目だと思っています」

三菱商事では一般社団法人日本パラリンピアンズ協会の主旨に賛同し、若手パラアスリート支援のための奨学金「ネクストパラアスリートスカラーシップ~NPAS~」の支給を2024年度からスタートする。DREAM AS ONE.の活動の一環として、次世代のパラアスリート育成や環境づくりにも注力していく。